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美大から、未知の領域「経営コンサルタント」へ

JBAは学生時代の専門分野やそれまでの職歴などに関係なく、やりたい役職にチャレンジできる社風が魅力。

「多様なキャリア」シリーズでは、現在JBAで活躍中の社員のうち、少し異色と言える経歴をもつ人たちにお話を伺います。

美大出身の私とコンサルティング

はじめまして、原口です。私は2012年にJBAに入社し、現在に至るまでずっとコンサルタント職とディレクター職を兼務しています。見出しにもあるように、異色のキャリアですね。入社当初に志望したデザイナーには1回もなっていないんですから。

というのも、当時は入社して2年は営業をすることになっていて、なかなかうまくこなせずに失敗を経験するうちに、目の前にくる仕事をひたすらこなすしかない、そこに「どの役職でやるか」は関係ないのだと考えるようになったんです。

美大卒の私とコンサルタントという仕事は、キャリア的に繋がらないのが普通ですが、JBAにおいてはだれよりも「コンサルタント」という職に愚直に向き合ってきた自信があります。

経営の〝け〟の字も知らなかった私が、大手上場企業のキーマンを相手に、対等にディスカッションし、更なる提案ができるようになったのはなぜなのか。そんなところをお話しします。

コンサルティング&クリエイティブの世界へ

私は、武蔵野美術大学のデザイン科を卒業しました。デザイン科というと、ずっと作品を作っていたり、表現を追求しているイメージがありますが、私はつくるだけでなく、コンセプトを練ることや考えることもできるデザイナーになりたいと思っていました。

当時の美大の就活はだいたい4つに分かれていました。「プランニングやディレクションを行う広告代理店」「その下請けとなる制作会社」「企業内デザイナー」、そして「デザイン事務所」です。

私はJBAと大学の説明会で出会い、2つの点に共感し、志望の意思を固めました。

まずは、「環境」です。JBAは「お客さまと直接取引すること」を大事にしています。大手企業の下請けでは、クリエイターがお客さまの課題に直接触れられる環境はなかなかありません。下請け仕事を良しとしないことで、クリエイターがお客さまの近くにいられるJBAは特別な存在でした。

2つめは、「課題に向き合う姿勢」です。例えば、おむつメーカーの提案に誘われれば、部長を含め、プランニングのメンバー全員がおむつを履いて、課題を設定しようとする。他の会社ではなかなか考えられないですよね。(笑) お客さまに対する、真面目で前のめりな姿勢にひかれました。ある課題に対してとことん追求していく姿には、ものづくりに通じるところがあると感じています。

コンサルタントとしての転機

入社してから1~2年目は、業務を身につけることに精一杯で、コンサルタントとしての仕事に力が入れられませんでした。それでは当然、取引先からクレームをいただいてしまいます。自分は何もできないのか、と落ち込むこともありました。デザイナー職に転向することも何度も考えました。それでも「ここでデザイナーの道を選ぶことは逃げだ、何でもやろう!逃げないで立ち向かおう!」と気合をいれなおしていた入社3年目。コンサルタントとしての仕事を考えさせられるできごとがありました。



転機となったのは、ある大手化学メーカーの社内報の担当責任者になったことです。ちょうど社長が交代されたばかりだったので、お客さまにとってとても大切な時期でした。

どのように取り組んでいけばいいのか、課題設定はどうしたらいいのか、社内報の右も左もわからなかった私は、まずとにかく地道にお客さまのことを調べようと思いました。ここで、美大での「探究することをあきらめない」という経験が活きました。

国会図書館で社名を検索して、お客さまの名前が出ている発行物を10年分すべて見ました。時系列順に記事を見ていったことで、化学業界全体が、2008年のリーマンショック以降、経営を改善しきれていない現状を目の当たりにしました。そして、お客さまもこの業界共通の課題を抱えていたこと、なぜ社長が交代したのか、社長から社員に宛てたメッセージの背景にある会社の問題などが、全て自分の中で繋がりました。

美大時代の経験が、今も生きている

この出来事を機に、ロングスパンで組織観を捉え、課題を汲み取る力が大切だと気付き、コンサルタントとしての自分なりの取り組み方を身に着けることができました。それからは、大企業の役員クラスの人たちと広報全般についてディスカッションするようになったり、大手自動車メーカーのインナーブランディングを依頼されたりと、どんどんできることが広がっていきました。

入社4年目の時には、先輩と「後方での企画・企業分析に注力していこう。分析して課題を特定すれば、コンサルタントとしてできることがもっと増える」という意図で、JBAに初のプランニング部を立ち上げました。

お客さまから新たな依頼をいただけるのも、依頼に対してお客さまに寄り添った提案ができるのも、お客さまをしっかりと理解しているJBAだからこそです。お客さまの為であればどこまででも努力させてくれる環境に身を置いて、どんどん自分が成長していくのを体感できました。

コンサルタントとしてのキャリアを改めて振り返ると、私は「目の前の仕事から逃げない」この一点だけを心の支えに駆け抜けてきました。これは美大時代の作品作りに通じています。

今後の展望

どれほど利益を出している会社でも、課題は必ずあります。課題を抱えていない完璧な会社なんてありません。いま、お客さまと同じ視点を持つことで、多角的に課題を設定でき、更なる提案ができるコンサルタントが求められています。しかし残念なことに、お客さまに親身に寄り添い、課題設定や解決の提案ができるコンサルタントはまだまだ少ないのが現状です。

現在、私は依頼を受けたら、「お客さまの課長クラスでもここまでロングスパンで経営の移り変わりやそれに伴う戦略を語れる人はいない。」と言えるくらいお客さまを理解するようにしています。色々な記事を読み込んで、トップのインタビューや役職者とのミーティングにもついていきます。

JBAを、そこまでの情熱をもってお客さまと向き合える集団にしたい。お客さまに親身に寄り添えるコンサルタントに後輩が成長できるよう、今後は社員の教育にも力を入れていきます。


原口さん、貴重なお話をありがとうございました!

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