400万人が利用する会社訪問アプリ
Takefumi Ueda
2013年、立命館大学産業社会学部卒。 元々新聞記者を目指して在学中も原稿執筆や論文作成に取り組む。その傍らでインドネシアでのボランティア活動から海外での起業に興味を持ち、大学を卒業後単身メキシコに行きたこ焼き屋さんを開業。この経験から、企業の経営者やマネジメント層など人々を束ねて価値を生み出すことにいそしむ人々に共感するようになり、現在はJBAで取材から執筆、冊子の編纂などを担当している。
園田 勇也
1987年生まれ。 2010年、新卒で日本ビジネスアート株式会社に入社。 入社1年目に新規事業(医療経営支援事業部)を立ち上げ。現在は学生がビジネスの現場で真剣勝負し、仕事を通して磨かれ、世にはばたいていくための長期インターンシップの拡大に専念。“学生だからここまで”と天井を外し挑戦し、自分の可能性を信じることができる環境をつくる。
フットサル選手からの大転身、「経営方針の代弁者」の仕事とは?
諏訪 大治
二世帯の家で生まれ、常にじいちゃんばあちゃんと一緒にいた幼少期。 おじいちゃんはいつも優しく、自分はなんでもできるんじゃないかなと錯覚してました笑 学生時代は高校まで野球に没頭し、グラウンドがなぜかない学校で、それを「逆境は励まし」と良いように解釈して、環境の良い奴らには負けないと、なんだかずっと張り切ってましたね笑 何も知らない私が大学で海外に行き、これまでの視野の狭さを痛感し人生のパラダイムが変わりました。 いろんな国籍でバックボーンを持つ若い人が、スポーツ、観光、石油など、色んなビジネスを自分でやっている姿をみて、自身の視野の狭さに衝撃を受けました。 それまでの夢はパイロットでしたからね笑 素敵な職業ですが、私がもしなっていたら落ち着いて3時間も同じ席に座ってられないので、、(そもそもなれないですが) 気づいたら、友人と日本で起業をしてました。 「飲食店の空席をゼロにしよう」 飲食店側とお客様をどのようにマッチさせられるのか、飲食店のかたと一緒にアプリを開発。 当時は全くお金もなかったので、事務所にもコストをかけられず、 住宅展示場やカラオケでテレアポしたりしてたのは良い経験だったのかなと思います。 その後、縁がありJBAに入社。 業界問わず、大手企業の様々な担当部門の方と直接会い、課題を聞いてコンサルティングとクリエイティブの力で解決する仕事。これも人生のパラダイムを変えました。全く自分一人の力で歯が立たんのです!笑 どれだけやるんねんというほどの失敗経験をさせてもらい、気づいたことは「お客様に価値を出すこと=自分が頑張ること」ではないんだということ。 その頃から、人事領域をやり始めて、最高の仲間をつくりたいという思いが強くなりました。 最高の環境、最高のチームのなかで自分が働くのではなく、 その環境やチームを自分がつくりたい。それなら無知の私でもできるなと確信になり、今に至ります。 現在は、人材採用とクリエイティブ組織の責任者としてJBAで仕事しております。
ホテル最大手への密着型ブランディング支援
萩原 紀子
1995年生まれ。2018年大阪大学卒業。 高校時代、自由な校風と京都という町に憧れ、京大合格を目指すが2度失敗。後期で大阪大学法学部に進学することを決意。誰よりも大学生活を充実させようと決意し、カナダでの語学留学をはじめ、ベトナムでのビジネスインターンシップや、ニューヨーク及びワシントンD.C.でのリーダーシップ研修など様々な課外活動に参加し、国際的視野を広げる。 米国留学時に感じた、日米でのキャリアに対する考え方の違いに衝撃を受け、就職活動は出版社一本で挑むことを決意。しかし、結果は惨敗し、地元兵庫の酒蔵への就職も考えていた頃、逆指名型の就活イベント経由でJBAと出会う。クリエイティブとコンサルティングをかけ合わせた働き方や、熱い想いを持って働く社員に惹かれ入社を決意。 現在は、入社3か月目にして、Webとwantedlyの執筆を担う。
誰かと一緒に、本気になりたい!|大阪大学 萩原紀子
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