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freee設立後、26番目の社員として入社した根木 公平は、一貫してパートナー事業に携わり、2022年現在では責任者を務めています。営業やCS、PMMなどあらゆる経験を積んだ根木が、なぜマネジメントの道に進んだのか。これまでのキャリアを振り返りながら、根底にある想いをひも解きます。
根付いたリスク回避志向と、芽生えたチャレンジ精神
(▲新卒入社した会社の新人研修にて)
大学は教育学部に進学した根木。就職活動では、消極的な理由で就職先を決めてしまいます。
根木 「就活してると『あそこは激務だよ』『めっちゃ詰められるらしいよ』とか、噂を聞くじゃないですか。それで避けていた業界がちらほらありました。
反対に『働きやすい会社ランキング』を鵜呑みにして、評判のよかった電機メーカーを志望しました。ただ、就職温暖期ではありましたが、一次面接でたくさん落とされ挫折を味わったんです。最終的には、かろうじて内定をもらった大手SIerに就職しました」
このようなリスク回避志向は、幼少期の環境に影響を受けたといいます。
根木 「兄が父親に叱られる姿をよく目にしていたので、自分は叱られないように、なるべく優等生っぽい振る舞いをして生きてきました。
こうして身に付いたリスク回避志向は根深く、20代前半から老後や年金問題に不安を覚えたり、就職活動に影を落としたりしました。しかし当時はこんな自分の性格を問題とは思っていなかったんです。
また、就職偏差値的なコンプレックスも芽生えていました。私は『自分は大丈夫』という漠然とした自信がありましたが、面接がうまくいかず、社会に出る上で優等生なだけではダメだと知る良い機会になりました」
新卒で大手SIerに入社後、営業部に配属された根木。当時をこう振り返ります。
根木 「営業先は神奈川県内の製造業でした。IT商材のすべてを担当していたので、おかげで浅く広くではありますが、ITのことを広範囲に理解できました。
一方で、新規の営業先はあまりなく、既存のお客様に向けたシステム更新等の営業活動がメインだったため、営業力がついている実感はありませんでした。お客様の課題を考え、能動的に『この会社にはこれが必要だ』と提案する必要があまりなかったのです。
また、契約のメンテナンスなどの営業事務処理も多く、工数が圧迫されていることが多かったんです。そんな日々を過ごしていると、自分が何をしてるのかわからなくなり、将来に対する不安を感じていました」
根木に転機が訪れたのは、入社3年目のこと。
入社1年目の冬に読んだ『若者はなぜ3年で辞めるのか?』に影響を受けたこともあり、転職に向けた自己分析をはじめました。
根木 「この自己分析で、初めて自分のリスク回避志向に気がつきました。それは裏を返せば、これまでの人生でほとんどチャレンジしてこなかったということです。
すると今度はチャレンジしてこなかったというコンプレックスが新たに芽生えました。もっとチャレンジングな環境に身を置かなくては、と転職活動をはじめたんです」
ワークス流の営業を学んだことが自信に繋がった
(▲前職時代の中途入社同期と。根木は下段の左から3番目)
根木はもっと営業を深掘りたいと考え、引き続き営業職を希望しました。その中で考えていたのは、営業の介在価値が最も出やすいのは、業務系のソフトウェアということでした。
根木 「IT商材は大きくハードウェアとソフトウェアに分けられますが、ハードウェアだと仕様や価格で契約が決まることが多かったんです。私もパソコン1万台で数億円という商談をしたことがあるのですが、他社さんよりも価格を下回ることだけが重要で、大きな金額を扱っている割には営業としての介在価値を感じることはありませんでした。
一方、会計ソフトや人事ソフトなどの業務系のアプリケーションを扱っていれば『今何にお困りですか?』『こういうやり方で解決しましょう』のような提案ができ、営業としてクリエイティブにお客様と関わっていけそうだなと思ったんです」
ソフトウェア業界に絞って転職活動を行う中、根木はワークスアプリケーションズ(以下、ワークス)の説明会で衝撃を受けました。
根木 「ワークスは営業を科学している会社だったので、初めてその理論に触れて、これまでの営業上の疑問が腑に落ち、空回っていた理由がわかったんです。
厳しそうな環境だとは思いましたが、大企業での安定を捨ててでもチャレンジしないといけないと自分に言い聞かせ、そのままワークスに転職を決めました」
根木は配属が決まると、会計知識とプロダクト知識をキャッチアップし、デモ試験に挑みました。
通過後待っていたのは、年商1,000億円以上の大手企業向けの会計システムと人事給与システムの新規営業でした。
根木 「組織攻略の方法などの論理的な営業手法は確立されていて、かなり鍛えられました。顧客の組織図と登場人物を全部書き出して、次にどう提案するか、思わぬところにリスクはないかなど、複数のマネージャーにフィードバックを受ける機会があり、受注するために営業はここまでやらなければいけないのかと奥深さを知りました。
また、ワークスでERPの発想を学んでいたので、freee入社後にも役立ちました」
充実したワークスでの日々。入社して1年半がたち、根木はfreeeへの転職を決めます。
根木 「自分の中でワークスは修行の意味合いが大きかったのですが、働くにつれ『長い仕事人生の中で、一度はベンチャーで上場するような経験をしてみたい』という想いが湧いてきました。そんな時、転職サイト経由でfreeeからスカウトが来たんです」
それはCEO・佐々木 大輔とのカジュアル面談の誘いでした。根木は「Google出身の人ってどんな人なんだろう」という気軽な想いで面談を受け、翌週にはCFO・東後 澄人とも面談。オファーを獲得します。
根木 「決め手はワークスで掲げていたビジョンとfreeeのビジョンが近く、キャリアの連続性があったことに加え、価値の提供先として大企業よりも中小企業の方が意義が大きいと感じたからです。そこにシンパシーを感じて、他社は特に見ずにfreeeに決めました」
あらゆる角度からパートナー事業に関わった──事業成長に向け共に伴走する日々
(▲freee SALES AWARDで表彰されたチームメンバーと)
2014年4月、根木は事業開発としてfreeeに入社。それから一貫してパートナー事業に関わってきました。
根木はパートナー事業部の業務をこう語ります。
根木 「一言でいうと、税理士さんにfreeeを使ってもらい、気に入ってもらえたら、その顧問先である中小企業の方々にも広めてもらうというお仕事です。ただ、大半の税理士さんは既に使っている会計ソフトがあるため、まずは既存ソフトと並行して使ってもらい、段々とシェアを広げていく流れです。
そのために、税理士さんと直接コミュニケーションしながら伴走する役割もあれば、研修やコンテンツを企画してスケーラブルに習熟を進める役割や、税理士さん向けのパートナー制度や税理士さん同士の交流イベントを企画してモチベートを高める役割などがあります」
根木は入社後パートナーチームに所属することになりましたが、当時はまだパートナー事業は本格的には動き出してはいませんでした。
根木 「当時freeeはまだ30人くらいの会社で、ビジネスサイドは10人ほどしかおらず、みんなカスタマーサポートを掛け持ちしながら自分の業務をやっていました。
パートナー制度自体は入社前からあったものの、ただ登録しているだけという税理士さんが200事務所ほどいるという状況で、具体的にビジネスにつなげていく動きはあまりできていませんでした。
なので、まずは税理士さんにfreeeの操作を覚えてもらう目的で、2時間くらいの研修をひたすら開催しました。そこで経理知識とプロダクト知識のキャッチアップをすることができました」
その後チームはセールスとマーケティングに分かれ、2015年の秋になるとパートナー事業は投資領域となり、本格的に動き出します。
根木はパートナーセールスチームに所属し、商談から導入支援まで全てを担当していました。
根木 「営業アプローチとして、まずは税理士さんにプロダクトの思想を理解してもらうことと、freeeを使いこなせるようになってもらうことに注力しました。それから税理士さんが顧問先に対しても導入できるように、教え方を伝えるという二段構えでした。
アプローチを始めて半年くらい経つと、まとまった件数の導入コミットをいただけるようになり、少し風穴が空いたことを実感したのを覚えています」
導入先が増え、組織が拡大すると、根木はパートナーセールスチームで得た経験を生かすべく、プロダクト側のチームへ異動します。
根木 「セールスの時から、プロダクトがどうなればより税理士さんがサクセスできるのか、日頃からPMと相談し、考えていました。そんな折にPMM(プロダクトマーケティングマネージャー)として異動の打診があったので、快諾しました。
PMMでは税理士さん向けのガイドを作ったり、新規サービスの立ち上げや将来構想の企画などを行いました。企画したものは1〜2年越しに実装され、税理士さん向けのサクセスが進化する要因になりました」
税理士業界が変われば、スモールビジネスの未来が変わる
(▲年1回のパートナー向けイベント『freee Advisor Day』に登壇)
PMMとしてプロダクト側からパートナー事業に関わって半年後、根木は再びパートナー事業部に戻ってきます。そこでセールスの標準化やトレーニングに関わったあと、マネジメントの道に進むことに。
パートナー事業部のセールスイネーブルメントやセールス&カスタマーサクセスのマネージャーを務め、2020年7月からパートナー事業部全体の責任者となりました。
根木 「パートナー事業部が動き出してから色々な手法でアプローチをしてきましたが、さらに多くの税理士さんに価値を届けるために、営業のやり方、カスタマーサクセスのやり方、全てを1から見直すことになりました。
それまではハイタッチ(1対1)での導入支援を前提としていましたが、生産性という観点で行き詰まりを感じていました。そこで研修コンテンツや税理士さん同士の交流機会のようなロータッチやテックタッチ(1対多)の導入支援に力を入れ、多くの税理士さんに届けるための仕組みを構築してきました」
根木は改革を推進するにあたり、事業部メンバーと地道に向き合い続けました。
根木 「正直、チームには戸惑ったメンバーも多かったと思います。事業部のほぼ全員のやることが変わりましたが、それでも税理士業界やスモールビジネスに価値を届けるためには必要な改革だと信じて進めました。
そこで、あらゆる会議に参加して、あの手この手で改革のコンセプトを伝えるようにしたり、時には事業部のメンバー全員と1on1をして、現場で起こっていることや意見・疑問を聞いたりしながら、考えが理解されるように努めました」
入社して約8年、一貫してパートナー事業に携わってきた根木。これまでを総括し、これからの目標を語ります。
根木 「freeeのプロダクトは、既存の『簡単に入力できる』ソフトではなく、そもそも『入力しない』ことを目標としていますが、その思想を税理士さんに理解してもらうのには苦労しました。今でこそ100%共感して、freeeの導入を勧めてくれる税理士さんも増えましたが、より多くの方に理解を得ることは未だ課題のままです。
また、どうしても税理士業界には長時間労働・低賃金というイメージがつきがちですが、実際には生産性の高い事務所も数多く生まれてきているので、もっと人気業界になって、若くて優秀な人材が集まってくるようになればいいなと思っています。
税理士さんは、中小企業のほとんどが関与しており、決算を行う過程でお財布の中身まで把握できる立ち位置にいるという点で、中小企業を導ける唯一無二のポジションにいるのは間違いありません。税理士業界がイケてる業界に変わっていけば、スモールビジネスの未来、ひいては日本の未来は確実に開けると信じています。そのために、まだ紙やエクセルで作業をしている税理士さんに寄り添いながらも、変化に導いていけるような組織でありたいです」
「freeeさん、わかってるよね」「freeeさんからはいつも気づきをもらえる」、こんな声を税理士の方々から当たり前にいただける組織を作るべく、根木はこれからも挑戦を続けます。