Wantedly, Inc.に入る前
Wantedlyに入る前は、某大手の流通小売会社で営業や販促管理を担当していました。新卒から2年半、神奈川と首都圏の配送センターで働きました。
その会社のメインの商材は有機野菜。セレブや妊婦さん、おばあちゃんなどを相手に個別宅配をする生協みたいなモデルのビジネスでした。自分で新規営業に行くことも多かったので、重たい有機野菜のサンプル(パイナップルとか土付き人参とか)をぶら下げて1日5件〜7件個人宅を訪問営業していました。電車に揺られながら肩に大量のパイナップルを下げた姿は、さながら移動八百屋だったかも知れません。新規で行ったお客様先の家族とすごく仲良くなったり、仲良くなりすぎて宗教や政党支持の勧誘をしつこくされたり。兎にも角にも、コテコテのBtoC営業の中で、数値に対する執着を学ぶことができました。昨対売り上げをどうやって越えて行くか、どう現場と管理の間に立って営業チームのモチベーションを維持するかなど、本当に素晴らしい仲間に囲まれ、色々なことを勉強させてもらいました。
ただ、少しずつ働きながら自分の中に何かつっかえを感じるようになりました。それは自分の中で海外で挑戦したいという思いが強くなってきたことです。元々この会社に入ったのは、日本の誇る農産物を海外に伝えていきたいという、海外への想いありきでした。しかし、そのような仕事の機会を掴むまでには、何回も異動を重ねなければならず、自分はすぐにおじさんになってしまいそうだと容易に想像できたのです。
自分の意志でより早く機会を掴み取り、自分が関わりたい仕事につくためには、多少のリスクはあったとしてもその場所に踏み込むことに躊躇している暇はない。会社には出来るだけ依存せず、自分が「個」で事業を作る力を身につけなければならない。
そう考えているまさにその時に、友人からインドネシア立ち上げ担当の募集の話をもらいました。
Wantedly,Incに入り、インドネシアに赴任
Wantedlyに出会ったのは、営業が波に乗って来た時期でした。 友達からインドネシア事業の立ち上げメンバーを探していると聞き、興味本位でとりあえず話を聞きに行ったら、それから1ヶ月くらいで入社が決まっていました。
海外にただ挑戦したいというのではなく、インドネシアという国への赴任にも思い入れがありました。
僕は学生時代、インドネシアに2ヶ月強ほど滞在し、震災孤児(2004年のスマトラ島沖地震)の施設でボランティアをしたことがあります。その時感じた衝撃は今も生生しく覚えています。イスラム教の国なので、お祈りのために公共バスは止まるわ、トイレに紙はないわ、食べるご飯が全て辛くて毎日お腹を下すわ。でも悪いことばかりじゃなくて、溢れんばかりの熱気があって、何より人が温かかった。結構な田舎だったので、日本人が来たというだけで、ホストブラザーの部屋に見物の群衆ができていて、昼寝から目覚めると15人くらいに取り囲まれていて、拉致されたのかと勘違いしたくらいでした。
僕のホストブラザーが日本に来たのは僕のインターン終了の1年後くらいでした。その時はインターン生としての来日だったのですが、僕みたいな日本人との交流を通じて、日本で働きたいという意欲を強めてくれたようで、必死に日本語を勉強していました。頑なに日本留学を親から反対されていたのに、その頑固な両親が僕のホスティングをきっかけに心を変え、日本に行く費用を工面し、背中を押してくれたそうです。彼は僕のことを家族と呼んでくれ、学生が終わって2年が経つ頃にもずっと連絡をとり続けていました。初めはたった2ヶ月強の付き合いだと思っていたのに。
インドネシア赴任の話があった時、僕にはその思い出深い場所に帰らない理由がみつからなかったのです。社会貢献とか、今後の経済成長する可能性とか、インドネシアにビジネスで来る人の理由は様々ですが、僕は純粋に第二の家族がいる国をもっと良くしたい、日本と繋がることでインドネシアがもっと良い国になって欲しいという思いがありました。
インドネシア着任と三重の「ない」
インドネシア赴任後は、インドネシア事業立ち上げに関するあらゆる業務に携わってきました。スタートアップ企業への営業やイベント開催、オンラインマーケティング、日本企業を巻き込んだ新規のサービス提案など。インドネシア人のメンバーと協力し、出来るだけローカルに入り込める活動を心掛けています。
着任当時僕は三重の「ない」に悩まされました。
- まず英語が話せ「ない」2. IT企業なのに全くITに通じてい「ない」3. スタートアップの働き方を知ら「ない」
現地での初めての仕事が、大規模イベントでの現地のスタートアップへのピッチ(事業内容を説明し、サービスに興味もらう)だったのですが、まぁ説明はしどろもどろで、自分のあまりの英語の出来なさに、ショックで1ヶ月くらいは英語恐怖症になりました。また、営業に行っても話に全くついていけない。スタートアップの将来性を話してくれる経営者の話をニコニコ聞いて理解した風を装っていました。日本で野菜売りしかやって来なかったのだから当然ではあるのですが、ありとあらゆるカルチャーショックに苛まれたのを覚えています。でも自分で決めたのだから、引くに引けなかった。
↑当時のローカルメンバーとの写真。月2万円の空き部屋をオフィスに使用したこともあった。
その後:インドネシアは自分を高める最高の環境
こっちに来てもうすぐ2年が経とうとしています。ただ、月日を重ねる中で、何とかやれるようになりました。足りないことは勉強して、やれることはすぐ試してを続けてきたことが少しずつ身を結んで来たかな、と思います。ただ、克服しては次の壁が現れるので、日々これからも勉強です。
インドネシアでの生活の本当にいいところは、日本人のコミュニティが親密で、分からないことは先輩や後輩からどんどん吸収できること。また、身の回りに娯楽が少ないので、「精神と時の部屋」みたいに集中して自分を高めることに時間が使えることです。(実は日本の漫画喫茶とかもあるにはあるんですが。)
もちろん、異文化異言語の方とお仕事するので、コミュニケーションが難しい部分はありますが、それは日々生活する中で相手のことを理解しようと心がければ、自然と克服できるものだと思います。
また、何よりインドネシアは東南アジア最大の人口を有し、今後の市場の成長性が見込まれるため、ネクストマーケットとしての企業や投資家から非常に注目されています。街の熱気や勢いもある。(きっと日本の高度成長期もこんな感じだったのでしょう。)多くの面白いスタートアップ企業や人に出会う度に、刺激をもらっています。
周りの環境に支えられて、僕はあまり心を折れることなく仕事を続けて来れました。これは今の企業以外の機会でも、東南アジアという環境以外ではありえなかったことだと思っています。
今後もWantedlyのインドネシア事業を通じてもっともっと成長したいと思っていますし、インドネシアをWantedlyの良さをより多くの人にわかってもらえるように日々精進していきたいと思います。
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今Wantedlyではインドネシア首都ジャカルタの海外現地募集の特集を実施しています。
海外にチャレンジするならこの機会に一歩踏み出してみませんか?
インドネシアのスタートアップ企業での募集をはじめ自分が成長できる機会がきっと見つかるはず!