代理店から事業会社への転職は、決して珍しいキャリア選択ではありません。しかし、ウォンテッドリーの新任広報である奈良英史は、大手メーカーの工場勤務からITベンチャーのエンジニアに転身した後、さらに大手PR代理店での修行期間を経て、この春ウォンテッドリーに入社したという、一風変わった経歴の持ち主です。
「おせっかい焼きのハードワーカー」を自称する奈良が、紆余曲折を経てたどり着いた「PR」という天職について、ウォンテッドリーの新任広報としての意気込みと合わせてインタビューしました。
「ここが人生のゴールなのか?」鏡に向かって自問自答した岡山の日々。
新卒では理系就職人気No.1の大手メーカーに入社。岡山県の工場と寮を行き来する日々を過ごす中で、「本当にこれでいいのか?」と自問自答する意識が芽生えたといいます。
岡山時代は、毎日のように男子寮からすし詰め状態のバスにのって工場に向かい、話すことといったら週末に行くゴルフの話ばかり。犯罪さえ起こさなければ一生働けるような環境で、だんだんと何がやりたいのか分からなくなっていったんです。初めは、このままレールの上に乗っていけば人生は安泰だと思っていたのに。
その頃、ひょんなことから読んだスティーブ・ジョブズ関連の本に影響されて、毎日鏡の前に立って「情熱を注げる仕事をしているか? 悔いのない仕事ができているか?」と自分に問いかけていたんです。答えはやはり「NO」でした。
25歳にして人生に迷ってしまった僕は、大企業でのキャリアをかなぐり捨て、ものづくりが出来ればいいというだけで当時ソシャゲで立て続けにヒットを飛ばしていたITベンチャーに転職しました。実際に入ってみると、社員全員がKPIを見据えてヒリヒリしながら働いていて、自分の求めていた環境にとても近いなと。ただ、僕はプログラミングも中途半端でデザインもできない。なにか突出したスキルがほしいと思って、友人の紹介で業界最大手のPRエージェンシーに入社したんです。
PRの世界で味わった、“地獄”のような成長環境
そこでの毎日は地獄のようにタフでした。PRコンサルの仕事なのにビジネスメールすらろくに打てなかったので、毎日のように上司から詰められて。もともとタフな環境で修行をしようと思って入ったので、「この会社で楽な仕事はできないぞ」と自分に言い聞かせていましたが、本当にできなかった(笑)。想像を超えるタスク量で仕事の厳しさを知りましたね。
ただ、20代は苦労した方が良いと思っていたので、タスク量自体はそこまで苦痛ではなかったです。何よりも、クライアントワークの経験を積み重ねる中で、徐々に顧客と成功体験を共有できるまで成長できたことは大きな励みでした。自分が中長期的に設計したPRストーリーが、実際にその通りに広まったりするのを見るのは、本当に楽しい体験でした。
PRの仕事って、「各種ステークホルダーとの関係構築」と説明されることも多いのですが、要は「企業と世の中の間に架け橋を作ること」だと思っています。企業という共同体と、世の中に暮らす個人との間には隔たりがあって、その隔たりを埋めるストーリーを作ることで両者の距離が縮まる。企業の思いをより自然な形で、PRストーリーという架け橋を通じて届けることができるか。これがパブリック・リレーションのあるべき形だということを前職では学ばせてもらいました。
おせっかいを焼きたくてウォンテッドリーへ。
怒涛の日々から抜け出し、転職の末に辿り着いたウォンテッドリー。困った人を放っておけないおせっかいな彼にとって、「シゴトでココロオドルひとをふやす」というミッションは大きく響いたそう。
もともとWantedly Visitを使って転職活動をしていたんです。それで、なんとなくウォンテッドリーにも面接に行って。
ビジョンやミッションを掲げる会社っていうのは数多くある。でも、それをどこまで言語化して社員たちに浸透させていくか、というのがすごく難しい。でも、ウォンテッドリーは思想や理念に対して、プロダクトで解決していくというのが言葉として規定されて形になっている。そこに惹かれましたね。
Wantedly Culture Bookっていうウォンテッドリーの文化や思想を取りまとめた社内本もあって、内容も毎年アップデートされている。もしかしたら、「宗教じみている」「気持ち悪い」なんて思う人もいるかもしれないけれど、そこに強く共感して事業にコミットしている人が集まっているのは、すごいことだと思いません?
あとは、プロダクトやビジネスモデルと、掲げているビジョン・ミッションとの乖離がほとんど無いということ。元々ビジョナリーな会社というイメージはありましたが、企業活動のありとあらゆる側面が明確なビジョンに紐づいている例は、ちょっと他には思いつかない。カジュアル面談で話したメンバーはさも当たり前のように説明してくれましたが、僕にとっては鳥肌が立つくらい衝撃的なことでした。
あと、二社目でエンタメ業界を経験した自分としては、世の中のニーズを解決する会社だということも魅力的でした。落ちているボールがあったら拾いに行きたいし、困っている人がいたら助けたい、効率が悪ければ良くしたい…… 基本的に人におせっかいを焼くのが好きなので、人一倍おせっかいを焼くためにもウォンテッドリーに決めました。
積極的に、かつ慎重に。事業会社で味わう景色の違い
代理店時代のハードワークで培われたPRとしての知見を、新天地でどう活かすことができるのか。「1人広報」として戦う責任の大きさは、さっそく奈良の意欲を刺激しているようです。
僕はまだ入社して1ヶ月ほどしか経っていないのですが、広報として業務の中断は許されないのですでにフルスロットルで稼働しています。ありがたいことに、さっそく面白い企画が続々動いているので、興奮しっぱなしです。
前職には3年間いたのですが、密度としては10年くらい働いたような感覚で。死ぬ気でいろいろ経験してきたと自負しているので、ウォンテッドリーではそこで積んだ経験をすべて出しきりたいなと思っています。気になったことはどこにでも顔を突っ込んでいこう、という気合いで。
同時に、事業会社サイドに立場が変わったことで、より慎重に動かなくてはと思うようにもなりました。代理店にいる限りは、自分がどれだけコミットしてもクライアントさんが最終的な責任を持つという構造は不変でしたから。でも事業会社でPRするとなれば、僕がOKを出したりNGを出したりすることで、会社と社会のコミュニケーションが大きく変わってくる。単純に、自分の仕事がもたらす影響力がとても大きくなったと感じています。
そんな責任重大なPRの役割を、育休中の先輩広報が復帰されるまでは1人で守っていかなくてはいけないわけですが、キーとなる意思決定者に対して一歩一歩信頼を勝ち取り、自分にできることの限界値を意識しつつ人を巻き込んでいければと思っています。社内の接点を増やすことで意思決定の質を高めながら、広報が1人とは思えないような、3人分くらいのパフォーマンスを出していくのが当面の目標ですね。
広報とは、愛を持って思想を翻訳する仕事。
都内Web系企業を中心としたアーリーアダプター層に価値を見出されたWantedly Visitが、日本の全労働人口のキャリアのインフラとして成長するためにはコミュニティの「越境」が必要です。そしてPRとはまさしく異なるコミュニティ間での「翻訳」を担当する存在だと奈良は語ります。
Wantedly Visitにはより多くの企業・個人の課題を解決する可能性があるからこそ、「価値」の伝え方には注意を払わなくてはいけない。自分が地方勤務を経験したからこそわかるのですが、例えば地方の名企業に営業をかけるとして、「採用にもリードジェネレーションが大切で...」というような話し方ではメリットが伝わらないですよね(笑)その圧倒的マジョリティにWantedlyというサービスを広めるためには、Web業界が慣れ親しんだ横文字の翻訳も行っていかなければいけない。これもまた、僕の思う「架け橋」のひとつです。
ウォンテッドリーのサービスにはテクノロジー企業としての思想が色濃く反映されているので、IT界隈の人には自分たちの価値を理解してもらいやすいのは確かです。でも、全く別の界隈の人に対して、どんな言葉でコミュニケーションをしていくのか、となると話は別。全国規模でみてみれば、ウォンテッドリーもその一員である都内のIT業界は「村」みたいな小さなコミュニティにすぎません。だからこそPRとしては、自社と地方のお客さんの間に立ってサービスの思想を翻訳し、「つまりWantedly Visitというのはこういうサービスなんだ」という理解を得ていく必要があると思っています。
うまくいくコミュニケーションには、「愛」が不可欠です。自社を愛しているだけではダメで、伝えたい相手を愛する気持ちが大切。伝えたいメッセージを噛み砕いて、でもエッセンスは残したまま相手に伝わる形でどのように届けるか。それをひたすら丁寧に、愛情を持ってやっていくことが僕の役割だと思ってます。