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「できない自分から逃げたくない」ーー新卒1年目でマネージャーに抜擢された”こだわり”

※2023年3月9日当時の記事です

ミラティブでは20代から活躍するメンバーも多く、社員の約3割が20代です。今回は、インターンから新卒のプロダクトマネージャーとしてミラティブに入社、新卒1年目にしてマネージャーに就任した若手のホープともいえる石井 弦にインタビューを実施。「自分は決して”できる側の人間”ではない」と語る彼の原動力と、人よりも努力し続けるマインドセットに迫ります。


石井 弦(いしい げん)
1999年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部(SFC)在学中に学生スタートアップを共同創業し、複数の新規サービス立ち上げを経験。ミラティブにてインターンを経験後、2022年4月に同社新卒入社。プロダクトマネージャーとしてアプリ運営に従事。同年、プロダクトマネジメント事業部の企画チームのマネージャーに抜擢。Mirrativをより魅力的でサステナブルなプロダクトにするために、日々ユーザーさんと向き合う。

劣等感を抱くところからスタートした大学時代

ーーまずは、石井さんの学生生活について教えてください。

僕は慶應義塾大学のSFCに入学しました。入学当初は、そこまで深い考えはなく、何かやりたいことがあったタイプではありませんでした。「慶應義塾大学」ってかっこいい響きだな、SFCってモダンなことができそうだな、くらいの気持ちでした。

いざ入学してみると、1年生の頃から劣等感を抱く学生生活がスタートしました。北海道から出てきた自分にとって、いろいろな個性を持つ人が集まるSFCは衝撃的でした。特にSFCはスタートアップでインターンに就業している生徒や、高校生からプログラミングをやっていましたといった学生もいて、このままでは「自分はなんにもないやつになってしまう」という危機感や焦燥感に駆られたのを覚えています。

そのため、大学1年の冬に「とにかく何かに取り組まないと」という焦りから、たまたまサークル内チャットで募集が流れきたベンチャーキャピタルのインターンに参加しました。当時は市場のリサーチ業務などを行っていました。0から世の中に価値を提案し、実際に大きな影響を与えてきたさまざまなプロダクトを知るなかで「新しいプロダクトをつくる」ということがとても魅力的に感じたのを覚えています。

ーー大学1年生からそんな思いに駆られていたんですね。その後、大学在学中に起業された経緯とは?

はい。大学2年生のときに大学の友人と起業しました。スタートアップに関わるベンチャーキャピタルの業務に触れていくうち、一方的に「わかったような気になっている」自分がいることに気づきました。ちゃんとプロダクト作りを知るためには、「実際に自分でゼロからやってみないとわからないな」と思ったんです。そこで友人と起業し、最終的にはSNSサービスを2つほどリリースしました。

ーー起業することに、抵抗はなかったですか?

ない、といえば嘘になります。ただ、学生だったのでリスクもほぼないと感じました。「リスクがないなら、とりあえずやってみればいいじゃん」と。でも、今振り返ると、タイミングや流れに後押しされたなと感じます。

起業といっても、当時の自分にとって壮大なプロダクトをつくることは非現実的でした。日常のなかで見つけたささいな課題を起点に、市場調査を進めました。
最終的には、自分たちが使いたいと思うプロダクトをリリースしました。今振り返ると、ゼロからサービスをつくった経験は非常に貴重でした。もちろん、完璧にマスターしたわけではないですが、プロダクトづくりにおける重要なポイントを俯瞰して理解できるようになったのは、今の仕事にも活かされています。

起業から就職を決意、ミラティブとの出会い

ーーそのまま自分の会社を続けるという考えはなかったんでしょうか?

当時、自分たちのサービスがそこまで大きく成長をしているわけではない状態でした。「自分に何が足りないか」を考えたときに、このまま我流でつくり続けることにこだわるのは正解ではないなと思いました。プロダクト作りのノウハウや事例はインターネットに色々出回っていますが、それは氷山の一角にすぎないと思っています。実際のプロダクト作りは泥臭いことや綺麗事では済まされないことがたくさんあり、そのもっと深いところを実際に体験したいと思いました。

プロダクトを作る上でのリアルな葛藤や意思決定の過程で、実際にプロダクトを伸ばしている人の考え方ややり方を自分の血肉にしていきたいなと。そのためにはプロダクトを伸ばしている人の隣で実際に働いてみるしかないと思ったんです。そこから自分でものづくりを理解していこうと思いました。

ーー最終的に、上場企業に内定をもらったんですよね。上場企業に就職しようと思った理由は?

就活するなかで、日本で最大手の事業会社に内定をもらいました。その会社では、関わる人も生み出されるサービスも多様です。一緒に働いてみたいと思える優秀な人がたくさんいます。また、その会社は、ボトムアップでサービスが沢山リリースされている企業文化なので、そういう環境に身を置きたいなと思いました。

ーー内定後に、ミラティブのインターンを受けに来てくれたんですよね。

はい。内定をもらった後に、何かできることはないかと模索していたとき、赤川さんのSNSからミラティブのインターン募集を知りました。元々自分でSNSを運営しているときに、当時流行していたClubhouseで赤川さんが話してるルームを欠かさず聞いていました。赤川さんのプロダクトへの解像度の高さと考え方に影響を受けていたので、「そんな赤川さんの元で働けるなんてこんな絶好のチャンスはないだろう」とインターンに応募しました。

ミラティブ入社動機は「できない自分から、逃げたくないから」

ーーミラティブでのインターン経験はいかがでしたか?

ミラティブで実際にインターンをやりはじめてから、「何もできていないなぁ」と思うことが本当に多くて。当時は「社長室補佐」というポジションで、とにかく注力プロジェクトのなんでも屋として働きました。赤川さんの元で、がむしゃらに目の前の業務をこなしていきました。

でも、自分の思考を周りの人に伝えることはおろか、自分のなかで「関わってるプロジェクトをどうしたいのか」という言語化ができていませんでした。意志を持てていなかったんです。
目の前のことを、がむしゃらにこなしてるつもりではあったけど、冷静に立ち止まってみると「自分で何もやれてないじゃん」って思ったんです。周りが考えたことを自分で遂行するだけ。そんな自分が許せませんでした。

当時の上長である山田 大悟さんに「石井くんは、自分の企画でも議論の矢面に立とうとしない」とフィードバックを受けました。その言葉に、今でも悔しさを感じています。これは、自分で意思を持たずに周りに委ねてしまっていた象徴的な出来事でした。

このままインターンを終了して内定先に行けば、何もできていないまま逃げることになるなと思いました。
だから、当時内定をくださった会社には大変申し訳無いと思いつつ、ミラティブに正社員として入ることを決断しました。

ーーインタビュー全体を通して、劣等感が石井さんの原動力になっているような印象です。

そのとおりだと思います。実際、高校時代まで遡ると「できないやつになるのが嫌」で、払拭しようと思っていました。

例えば、高校時代はサッカーを頑張っていたんですが、結局怪我でできなくなってしまったんです。その高校に入学した当初は、どちらかというとサッカーのスキルは高い方でした。でも怪我によって、長期間プレーできなくなってしまった。徐々に同世代が活躍しはじめているなかで、周りから「できないやつ」と思われたくない、そして「自分はできないんだ」と自覚もしたくなかった。そんな自分がすごくストレスでした。

だから、「なにかできるやつ」になろうと思って、進学校でもなかった高校で勉強に励み、慶應義塾大学に入学しました。一般入試で大学受験をすることさえも珍しい高校で、慶應に受かったらすごいだろうなと。

受験を決意したときは、慶應に受かるような学力ではありませんでした。
先生の言葉に背中を押されたり、少し前に流行っていた「ビリギャル」の話も思い出したりして、必死に勉強したんです。

ーーそこまで努力できた理由は?

できないことをそのままにして、やりきれないほうが自分にとって苦しいんです。周りに「できない」と思われることも嫌だし、そう思われてるなと思う自分も嫌いです。仮にいまこの瞬間「努力しない」選択をすると、今この瞬間は、少し楽になるかもしれません。しかし、どこかで絶対に「あのときやっていれば」と思う姿が想像できるし、そこからまた再起するほうが自分にとってストレスだと思います。

根本的に、自分はできない側の人間だと思っています。例えば地頭の良さとか、基礎的な学力とか、周りの優秀な人と「よーいどん」で競争すると、全く勝てる気はしない...…勝つためには、早く動くしかないんです。人よりもたくさん動いて、いち早く動いて、経験を積まないと、勝てないという自覚があります。
今なにか出来ないことがあったとしても、年齢と経験を重ねることで、それができるようになる人はたくさんいます。でも、僕の場合、今できないことを、いつかできるようになっている自分を全然想像できないんです。未来の自分に全く期待していないからこそ、「今できないことは、今できるようにならないといけない」という焦りを常に感じています。

自分ができることや知ってることを増やし続けて、自分を補っていくしかない。それが自分の「生存戦略」なのかなと思います。自分への期待はないのですが、こだわりとプライドはあるんです(笑)

ーー生存戦略のその先に、目指している何かがある?

ゴールはあまり意識していないです。常に”できない自分”と戦っていて、自分に打ち勝つために努力しています。僕は、今まで「次にこれを成し遂げれば、”できない自分”から卒業できる」と思って、その場を頑張ってきました。結局、その目標を成し遂げた先では、また違う”できない自分”に出会うんですよね。
実際、受験生のときは「慶應に入れれば、人生安泰だ」と心から思っていました。しかし、実際入ってみると全くそんなことない。周りにいる友人はそもそも全員慶應生です。当たり前のことですが、慶應の学内で慶應生であることは「特別なこと」ではありません。ここで、僕はまた”できない自分”と出会い、記事冒頭の劣等感まみれの学生生活に戻るわけです。これは一例ですが、そういった経験を繰り返していくタイプなんですよね。

僕は、逆算思考で生きていくタイプではありません。常に「今できないことを、どうしていくか」しか考えてないです。せいぜい「1年後どうなっていたいか」を考えるくらいが限界です。僕にとって、自分の人生は「できない自分」を追い越していく、マラソンみたいな感覚です。走り続けるのも辛いけど、一旦やめてまた走り出すほうが辛いから頑張って走り続ける、みたいな…(笑)

人より頑張らなきゃならない、だからコミットする

ーーストイックに走り続けた結果、新卒1年目でマネージャーに抜擢されるほど評価されていますよね。

急に部長から「マネージャーになるから!」と言われて、びっくりしました(笑)。今はMirrativのユーザーさんに、長く楽しくMirrativを続けてもらえるような企画を推進するプロジェクトに在籍しています。マネージャーになった以上、自分のキャパシティの範囲内でやれることをこなすだけではダメで、「事業成長のためにチームとしてどう成果にコミットしていくか」について、もっと視座を上げていかなければいけないと痛感する日々です。

ーーどこを評価されてマネージャーになったと思いますか?

コミット量と気概を買ってくれたのかなと思っています。「早く動く」が自分の考えなので。
僕としては、「23歳だから」と前提条件付きの評価だと勝手に思っているんです。「若いのに」「新卒なのに」とか、そんな前提があるからこその評価かなって。早く実力で評価されるようにならないと、と思っています。
やっぱり根本的に自分の能力が低いと思っているから、人より頑張らないと成長角度はどんどん緩やかになっていくと思っています。若いのに頑張っているという評価に満足した時点で、ベースの差を埋めることなく、周りからどんどん引き離されていきます。だから今、このタイミングで、先にどれだけ量と質を積み上げられるかが自分にとって重要です。引き続き、自分の強みであるコミット力を軸に取り組んでいきたいと思います。

ーー最後に、目標はありますか?

今は、プロダクトで成果を出すことが自分の目標です。短期的な成長はもちろんですが、中長期で成長していけるプロダクトになったら良いなと思います。サスティナブルなプロダクトとしてMirrativを盛り上げていけるよう、走り続けていきたいです。

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