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英語力ゼロから、TAMシンガポール法人「TAMSAN」代表へ。日本人がグローバルキャリアを築くヒントとは?

「多国籍な環境で働きたい」「将来海外に住んでみたい」ーー。

みなさんも一度はそう思った経験があるのではないでしょうか。変化が激しく、日本の先行きが読めない時代だからこそ、国や言語にとらわれることなく働ける、グローバルキャリアこそが “安定” という声も聞こえます。

TAMは、日本の独立系デジタルエージェンシーの中では、海外に向けて積極的に事業展開をしている数少ない存在です。現在、サンフランシスコ、ロンドン、シンガポール、台湾、アムステルダムに拠点を構え、企業のデジタル施策を支援しています。

そんなTAMでグローバルキャリアを体現してきたのが、シンガポール法人「TAMSAN」代表の藤原寛明さん。今回はTAM代表の爲廣慎二さんを交えて、藤原さんの過去を振り返り、日本人がグローバルキャリアを築くヒントを探ります。


“惚れ込んだ国” に住むために取った選択

ー藤原さんはこれまで、1年半ほどしか日本では働いたことがないと伺っています。ほとんどの期間、海外での勤務とのことですが、これまでどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。

藤原寛明(以下、藤原)さん 大学を卒業して、大阪で自動車部品の専門商社に入りました。半年くらいしてからエクアドルに駐在し、2年ほど働いていました。ただ、エクアドルは治安が良くなく、文化的にも合わなくて退職することに。そもそも僕はアルゼンチンへ行きたかったので。

ーアルゼンチン?

藤原 学生の時に留学で訪れてから、アルゼンチンが好きでたまりません。

20世紀初頭のヨーロッパのような街並みや、文学・劇・クラシック音楽などの文化も好きですが、気の合う友だちがたくさん住んでいることが、僕にとっては何より大きいです。エクアドル駐在の後は、そのアルゼンチンで病院やサッカーのクラブチームなどのインターンシップにアメリカやヨーロッパの人を斡旋したり、ビジネスの真似事みたいなことを2年くらいやっていました。

ー学生の時から海外志向が強かったんですね。

藤原 海外志向というかアルゼンチン志向です(笑)。

アルゼンチンでの生活は大好きでしたが、当時日本にいた彼女のことや、いろいろ思うところあって、帰国しました。半年くらい何もせず、フラフラしていました。親も心配しますし、そろそろ働かないと、と思って求人サービスに履歴書を掲載して。そしたら、爲廣さんから連絡が来たんです。

爲廣慎二(以下、爲廣)さん 面接に来た時は「アルゼンチンってどこやねん!」って聞いたのを覚えていますよ(笑)。当時のTAMは、まだ日本にしか拠点がなかったのですが、ちょうど海外進出を目論んでいたタイミングで。

藤原 面接で爲廣さんに「日本のモノを海外に、海外のモノを日本に売るような新規事業を始めたい。藤原くん、それやらない?」と提案されて。僕はアルゼンチンに関係するビジネスをしたいと思っていたので、こんないい話があるのか、と。4回くらい面談をして、入社を決めました。

ー爲廣さんが海外進出に積極的だったのはなぜでしょうか。

爲廣 僕ら日本人って、単一民族だから、「言わんでも分かるやろ」という阿吽の呼吸で仕事をしてしまうじゃないですか。ですが、グローバルスタンダードは、基本的に “言わないと伝わらない・聞かないと分からない”。これに対応できずに、今後もビジネスをやっていけるような時代じゃないだろうと思ったからですね。

ダイバーシティは、企業利益の源泉と考えています。ですが、「ダイバーシティが大切」と言葉で言われただけでは学べない、頭で分かっていても、体が覚えないとただの机上の空論なんです。藤原くんみたいに、自分で体感したことがある人じゃないと、本当のところは理解できない。ダイバーシティを語れる人、体現できる人を社内に一人でも増やしていかなければ、という思いは今でも強いです。


希望の事業から撤退ーーシンガポール法人代表になるまで

ーTAMに入社後、藤原さんは、どんな業務を担当されたのですか。

藤原 まずは、アルゼンチンのヴィンテージ家具をオンライン販売する事業を始めました。最初は本当に手探りでした。手続きの仕方を調べて実際に家具を輸入したり、TAMのカメラ機材を使って商品の撮影をしたり。ですが、7カ月くらいで事業をたたむことになりました。

事業を止めて、TAMの他の業務を担当するか、TAMを辞めるか。1カ月くらい爲廣さんと話しました。その中で爲廣さんから「海外法人を立ち上げるプロジェクトはどうか」と声をかけてもらって。香港法人設立のためのプロジェクトでしたが、やってみようと思い、TAMに残ることを決めました。

爲廣 とにかく「行ってみて、やってみなはれ」という感じでしたね。それで動ける人って本当に少ないんですけど、藤原くんはそれができるタイプ。自分で市場調査を進めて、飛び込み営業をして。ただ、そのうちに、震災で止まっていた日本の他の案件が忙しくなってきて・・・。

藤原 「東京事務所が大変だから、来週から東京でWebディレクターをしてくれないか」って突然メールが来ました。”必要とされるならどこへでも” という思いで、1年ほど東京で勤務しました。

ーアルゼンチンのヴィンテージ家具のオンライン販売、香港法人設立のためのプロジェクト、そして帰国して急遽Webディレクターと、入社後はかなりチャレンジングな日々が続いたのですね。その後、何があってシンガポール法人の代表に?

藤原 海外展開の話が再浮上したんです。2012年のゴールデンウィークに、爲廣さんに「シンガポールを見てきてくれないか?」と言われて、まずは出張で来ました。せっかくなら、何か仕事をして帰ろうと思い、出張中に案件を1つ獲得して帰国。そのままの流れでシンガポール法人設立と赴任が決まりました。2年くらいで帰るつもりで来ましたが、もうすぐ8年目を迎えます。

事業は、Web開発や広告運用、Salesforce製品やKintoneのインプリなど幅広く、クライアントのデジタルマーケティングに寄り添って、開発メインですがクリエイティブもオンライン広告運用も手がけています。現在はパートの人含め9人のスタッフでまわしています。


激しいキャリアの変遷、その原動力

爲廣 香港にしてもシンガポールにしても、本当にすごいことですよ。だって藤原くんは、最初英語ができないにも関わらず、飛び込み営業から始めたんだから。

藤原 今でこそそう言ってくれますが、家具の輸入販売のビジネスを始めた最初の7カ月間では、毎日のように爲廣さんに怒られていました。ああしろ、こうしろと言うのではなく、僕が考えた提案内容に対して、実施の有無をジャッジしてもらうかたちでしたけど。

当時27歳で、「自分は仕事ができないやつなんじゃないか」と相当自信を失くしました。ただ、仕事の考え方の “いろは” を叩き込まれたのもあのころでした。また、特にプランニング能力、未知のことに対する課題解決力が磨かれたと思います。

爲廣 当時は大変だっただろうけど、今となっては仕事に活きているのかな。シンガポール法人が軌道に乗るまでも、苦労はたくさんあったんじゃないですか。振り返ってみるとどう?


藤原 最初は儲からないですし、採用も失敗して、楽しくないことのほうが多かったです(苦笑)。日本のTAMから借りているお金を返さなければ、というプレッシャーもあるし、休みの日も全然気が休まらなかったことを覚えています。

特に「人」で苦労しました。シンガポールに来てすぐ、新卒の方を採用しました。ですが、当時僕は英語もろくに話せないですし、現地の人がどんな感じで働くのかも分からなくて。しかも、クライアントの多くは日系企業で、先方の担当者も日本人なので、ほとんど日本語ベースの仕事でした。採用されたほうからすると「自分は何のためにいるのか」という状況ですよね。結局、その方は1カ月くらいで辞めることになってしまいました。

その後、マレーシア人の方を採用しましたが、半年くらいで同じように辞めてしまいました。日本人も採用しましたが、半年もしないうちに帰国してしまうし。採用って、一度コケると、半年以上の長い期間、お金も仕事もダメージを受け続けることになるので、かなり痛いんです。

そもそも、いい案件をいい価格で取ってこないと、うまく行かない業界。ですが、最初はとにかく案件を獲得しないと始まらないじゃないですか。だから利益もなかなか立たなくて。また、当時のシンガポールはインフラが今ほど整っておらず、移動一つ取っても不便だったので、仕事だけではなく生活すること自体、総じてストレスフルでしたよ(苦笑)。

爲廣 今でこそ笑えるけど、当時は必死だったよね。スマホアプリの大型案件を受託開発した時は、納品後にふたを開けたら大赤字で、給料を払えないこともあったなあ。それからシンガポール法人が好転したのは、2年目あたりかな?

藤原 はい。現地の転職エージェント向けにセールスフォースを使う案件を始めたあたりから。次第に企業規模の大きなお客さまが増えてきて、だんだんと軌道に乗ってきたような気がします。

ー軌道に乗るまでの2年間、大変な苦労の中でも頑張り続けられた理由は何だったのでしょうか。

藤原 とにかく、嫌だったんです。 “自分はできない人間なんだ” と思ったまま、終わりたくはなかった。悔しい体験と意地が原動力になっているとは思います。


それに、シンガポール法人を立ち上げてから一度も「帰ってこい」と言われなかったんです。もし爲廣さんに、「藤原、もうダメだ。帰ってこい」と言われていたら、すぐに帰っていたはず。「大丈夫だ」と言い続けてくれたし、ある意味、逃げられなかった部分もあります(笑)。

爲廣 藤原くんのように “逃げずに頑張りきることのできる人” は、世界中探しても稀有な存在です。そんなに簡単に見つかる人ではない。10年に1人、出会えたらいいくらい。彼は、人脈の作り方もすごいんです。偶然、一緒にサッカーをした人から案件を取ってくる。大酒飲みをしていると思えば、仕事につなげている。逸材ですよ。

グローバルキャリアを築くヒント、後押しするTAMという場

ーTAMが開催するイベントでは、海外志向の学生さんが増えていると聞いていますが、“未来の藤原さん” には出会えそうでしょうか。

藤原 海外に行くハードルがどんどん下がっているとは思うんですけど、「行ってきて」と言われて、短期間ではなく、「2年でも3年でもやってきます」みたいな人は少ないんじゃないかと思います。

爲廣 ゆとり教育の世代の中では、特に二極化しているように感じますね。自分で道を切り拓いてやっていくタイプの人と、言われたことをやっていく人。極端に分かれているんじゃないでしょうか。もちろん、われわれが求めているのは、前者の人たちです。

TAMは今後、さらに海外展開を推し進めていく予定です。社員150人の中でも、5分の1くらいの人は「海外で働きたい」と思っているようで、場所としては、オーストラリア、フランス・パリ、インド・バンガロール、アメリカ・ポートランド/ニューヨークあたりは良さそうですよね。

ただ、藤原くんのように、飛び込んで道を切り拓いていくやり方は誰にでもできることではない。ですからこれからは、少しハードルを下げて、現地法人設立後の働き方を準備したり、社員向けに短期留学のようなプランを用意したりしていく予定です。

そうした短い期間で、海外で活躍できる人が育つとは思ってはいないですよ。あくまでダイバーシティのある環境をつくっていく手段の一つです。それに、新入社員が誰でもすぐに海外に行けるわけでもない。仕事ができる人じゃないと送り込めないですから。

あくまで「仕事ができるようになった人」に、次のステップとしてそうした機会を活用してもらうイメージです。もちろん、短期間ではなく、3年以上の長期間も大歓迎です。

藤原 海外進出する独立系のデジタルエージェンシーは数多くあるけど、実際撤退する企業も多いです。日本のデジタルエージェンシーの中で海外で働ける可能性でいうと、TAMは稀有な存在なんじゃないでしょうか。

爲廣 TAMの理念は「勝手に幸せになりなはれ」なんですよ。幸せとは、たとえ今後どんな時代や環境になろうとも、自分らしく生きていける、まわりから求められる、「自信」と「自由」を手に入れること。その自由の代償は「結果」。結果を出すという前提のうえで、スタッフのみんなには生きる力を鍛えてもらえるように機会をつくっていきたいと思っています。

ー最後に、藤原さんのようにグローバルキャリアを築くには、英語以外に何が必要だ思いますか。

藤原 能力について言えば、エンジニアのようなポジションであれば、技術力次第でどこででも働けると思います。コミュニケーション能力があればベターですが、そうでなくとも、スーパーエンジニアで国境に依存せず引っ張りだこな人はいます。

僕たちのようなディレクター職なら、新しい技術を習得する力や、未知のことに向き合う課題解決能力が大切。これは、業界や職種問わず、高く評価される能力だと思います。仕事をするうえで本質的な能力と言いますか。

あとは、仕事への取り組み方として、例外な人もいるとは思いますが、20代で、明確な武器を持っている人は少ないと思います。多くの若手社員は、最初は会社から投資をしてもらっている状態。だからこそ、素直に人の意見を聞くこと、とりあえずなんでも必死でやってみることが大事だと思います。必死でやれば、うまくいかなくても、必ず何かはその人の中に残るはずなので。

僕自身、上の人に、たくさんチャンスを与えてもらい、導いてもらい、成長してこられたなと思っています。アルゼンチンが好きなだけの、どこの馬の骨とも知れない業界未経験者の僕を採用してくれて、さまざまな新規事業をまかせてもらえたことは、ただただ感謝でしかありません。

爲廣 藤原くんは、今後のキャリアについてはどう考えていますか? アルゼンチンに行く構想、実現してください。協力しますから。

藤原 必ず、実現したいです。スタッフが活躍できる場をもっとつくり、自分の代わりになる人を育て、今の仕事は引き継いでアルゼンチンに行くことが、僕の今後のキャリアです。


TAMSAN Pte. Ltd. 代表 藤原寛明
1982年愛媛県生まれ。専門商社入社、エクアドル駐在、アルゼンチンでの個人事業を経てTAMへ入社。2012年のTAMシンガポール法人「TAMSAN」の設立から現在までシンガポール在住。TAMSANでは、デジタルテクノロジーを用いたソリューションで、在シンガポール企業の様々なビジネス課題を解決しています。
[取材・文] 水玉綾 [企画・編集] 岡徳之、池田礼 [撮影] 高尾祐征​
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