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「人の数だけ、キャリアをつくる。」をミッションに掲げるワンキャリア。それを社内からも実現するため、さまざまなバックグラウンドを持った社員が活躍しています。
今回は学生時代に体育会に所属していた22年卒・24年卒のメンバー3名に登場してもらいました。「体育会」とひとくくりにできないほど、競技も当時のチーム状況も個性も異なる3人ですが、全員が部活動で得た強みを生かして業務にチャレンジしています。
体育会の経験が、どう今につながっているのか。学生時代を振り返りながら語ってもらいました。
▼こんな人に読んでほしい
・体育会の経験を生かして仕事でもチャレンジをしたい人
・部活動を引退した後のキャリアや就職活動に悩んでいる人
・ワンキャリアに新卒入社した後のキャリアを知りたい方
▼座談会参加者
大村瑞帆(おおむら みずほ):2022年卒、大学では女子バスケットボール部に所属
高原令伍(たかはら れいご):2024年卒、大学では自転車競技部に所属
田山快(たやま かい):2024年卒、大学では柔道部に所属
部活引退後のキャリアを考える中でワンキャリアに出会った
―まずは学生時代について聞かせてください。体育会ではどのような活動をしていましたか?
田山:私は小学校から大学4年まで柔道一筋で、大学にもスポーツ推薦で入学しています。とはいえ、大学の柔道部は部員が10人ほどで、レベルも初心者から全国大会出場を狙う選手までバラバラ。監督やコーチも専任ではなく、OBの方々に仕事の傍らで務めていただいていました。
練習メニューはもちろん、試合までのスケジュールや部費の使途まで自分たちで決める環境で、4年生では主将を務めました。部員のモチベーションを合わせようと目標を団体戦での全国大会出場に設定しましたが、結果としては、個人と団体戦ともに全国大会まであと一歩で届きませんでした。
(田山)
高原:自転車競技部に所属し、私も4年生のときは主将でした。当時は下級生が早朝から朝食作りや掃除をこなすルールがあり、その厳しさに押しつぶされて才能を伸ばせずにいた後輩もいました。競技に集中できる環境を整えようと、改革に取り組みました。
その改革の効果もあってか、自転車競技にはロードレースとトラック競技があり、主将就任時の団体成績は全国9位でしたが、6位まで総合成績を上げることができました。
大村:私は女子バスケットボール部で、約2年間活動していました。チームは日本一を目指し、インターハイ出場歴のある選手や日本代表レベルの選手が多く在籍していました。一方で、私は浪人して一般入試での入学。今までにない高いレベルでしたが、うまくなっている実感も得られていたので楽しさもありました。
そんな中、足の捻挫を抱えながらプレーを続けたことで、復帰までに1年かかるほどに怪我が悪化してしまいました。「高いレベルの中ではやり切った」と考えて2年生のときにバスケには一区切りをつけました。
―就職活動はいつから始めたのでしょうか。
田山:就活は大学3年生の夏からスタートし、最初は知名度や安定を求めて大手企業ばかりに目が行っていました。ただ、サマーインターンの選考を軒並み通過できなかったことをきっかけに、自己分析をしました。柔道部での経験から「仕事に情熱を持っている人が多い」「実力主義」「手を挙げれば仕事を任せてもらえる」の3つが企業選びの軸になりました。
その3つの軸に当てはまる企業を探す中で人材業界に絞られ、最終的にワンキャリアを選びました。
―部活のように没頭できる環境を探していたのですね。
田山:ただ、ワンキャリアを選んだ決め手は「人」でした。ワンキャリアの最終面接に進む前、自分の思考を深めるために社員の方と面談を行ったのですが、その方は10回以上付き合ってくださいました。面談は1時間を超えることもあり、自身の業務があるにもかかわらず私のために時間も労力も割いて向き合ってくださったことに感激し、入社を決めました。
大村:私も当初は大企業やメガベンチャー企業を中心に見ていましたが、感覚的に合うのは規模がそこまで大きくないベンチャー企業だと徐々に感じるようになりました。
就職活動を始めたのは大学2年の1月頃で、当時は「バスケを辞めた自分には何も価値がない」という感覚に陥っていました。それはアスリートが引退後に抱きがちな悩みでもあります。私は大学2年での怪我によって、体育会出身者の悩みに早く直面したともいえます。この問題の解決に貢献できる企業に入社したいという思いが芽生えました。
その後人材系ベンチャー企業に絞り就活を続け、ワンキャリアを知りました。インターンに参加したところ、自分のやりたいことが実現できると感じて入社を決めました。
高原:私は競技引退後のことも考えて、就職先を決めました。就活を始めた3年生の12月は、競輪選手・起業・就職の3択で迷っていました。
まず、競輪選手は高収入で、選手生命も他のスポーツより長いという魅力があります。ただ、必ず現役引退は訪れますし、世の中のことを何も知らないままセカンドキャリアを歩む可能性があることに大きな不安を感じました。
次に、起業は、私が3年時に先輩から引き継いでいた人材系企業を経営する道です。部活と並行して企業に人材を紹介する仕事をしていて、その経験が現在につながっています。
(高原)
―なぜ就職の道を選んだのですか?
高原:まずは企業に入って確かなビジネススキルを身に付けた方が、中長期的により豊かな人生を送れると考えたからです。起業によって興味のあった人材業界を見る中で、ワンキャリアと出会いました。
「体育会出身」だからではなく、個人の強みのフォーカスする
―ワンキャリアではどのような業務をしていますか?
高原:3人ともコンサルティングセールス事業部に所属しています。私は法人営業として、ワンキャリアと取引のない企業を担当しています。
大村:私も法人営業で、ベンチャー企業を中心に担当しています。また、兼任で学生のキャリア相談に乗りながら、その人に合いそうな求人を紹介する人材紹介の業務も担当しています。
田山:私は新卒人材紹介の担当で、学生のキャリア相談に乗りながら求人を紹介しています。
―現在の業務に生きている体育会での経験はありますか。
高原:体育会で培われたコミュニケーション力は、社会人としてさまざまな方と接する上で役立っています。特に主将となった4年時に、下級生が早朝から朝食作りや掃除をこなすというルールを変更するため、監督やOBたちを説得した経験は大きかったです。
―どのように説得を行ったのですか。
高原:まず現状を洗いざらい説明しました。当時は下級生が作った朝食が余ることがあり、食費ももったいない上に、厳しいルールが負担となって思うような活躍ができない1年生もいました。その現状を監督やOBに知ってもらう必要がありました。
その上で、大学でスポーツ栄養学を教えている教授を頼って食事改革の資料を作り、食費をスポーツ選手専用の宅食サービスや新たな機材購入に回す提案をしました。時間をかけて丁寧に説得にあたったところ納得してもらえました。
―確かに、資料作りや丁寧なコミュニケーションは、顧客との商談でも大事ですよね。田山さんはいかがですか?
田山:私は、一言で表すなら「でもやる」という意識です。
体育会で部活をしていると、苦しい瞬間があるものです。ただ、そこで「でもやる」という意識で踏ん張ることが、最も成長につながってきました。部員数が少なかった柔道部ではできることも限られましたが、その中でいかに質の高い練習ができるかを考えてきました。
―入社してから「でもやる」と踏ん張れた経験はありますか。
田山: 人材紹介の仕事は、まさにそうですね。今年から始まった新規事業のため、ノウハウやセオリーが確立されていませんが、「でもやる」の意識で自然と改善策を考えられています。
例えば、学生との面談数が増えない時期もありましたが、そこで諦めるのではなく、私たちから「キャリア相談をしませんか」という呼びかけを学生の方にするなど、できることを模索しました。結果的に、自分の担当する学生の方の入社先が決まったときは、うれしかったですね。
高原:確かに、仕事の質を上げるために量をこなすことが重要な時期もあるので、体育会で培った行動力は役に立ちますね。
大村:2人の話を聞いているとハードワークをしなければいけない環境に思えますが、私はそもそも量をこなせないタイプだったので、真逆だなと思いながら話を聞いていました。
部活ではシュート練習も1本ごとにこだわっていて、それは現在の営業スタイルにもつながっています。「目の前のお客さんにしっかりと提案できたか」という質を重視して、1つ1つの商談に臨んでいます。
とはいえ、入社当初は苦しいことも多くありました。商談のアポイントを取るためにかけた電話の数が同期の5分の1だったことも。架電件数の目標がありながらも未達で終わる日々が続くなど、決められていることもできない現状にもがき苦しんでいました。
(大村)
―苦しみを抜けるきっかけはありましたか。
大村:上司との週1回の面談で架電件数に注目するのではなく、どの電話や商談のトークが良かったかを振り返ったことでした。質を追求することが自分のスタイルだと思い直せ、徐々にうまくいくようになっていきました。
―「体育会出身なのだから根性を出して頑張ろう」といった話にはならないのですね。
大村:そうですね。「体育会」という属性ではなく、私自身の強みを考えてコミュニケーションを取ってくれました。
ワンキャリアは社員自身のやりたいことに聞く耳を持ってくれ、普段から希望と業務のすり合わせもしてくれます。私は部活で自分の望まないポジションで試合に出ることも多かっただけに、入社していい意味でのギャップを感じましたね。
何かに没頭した経験のある人なら、ワンキャリアで再び輝ける
―体育会とワンキャリアで共通点は感じますか。
田山:共通点は本質的なところですね。
人材紹介は立ちあがったばかりの事業のため改善点も多いですが、より良くするためにチーム全員が意見を出し合っており、数日後にはそのアイデアが実装されています。部活で全国に行くためのメニューを部員で話し合いながら練習に組み込んでいったときのことを思い出します。
高原:さらなる向上のためにポジティブな話し合いができる組織風土は、私も部活に近いものを感じます。でも部活にありがちな「先輩の命令は絶対」といった雰囲気はなく、むしろワンキャリアでは上司が率先して部下を後押ししてくれるので、ありがたいですね。
―最後に、体育会出身者の中でも、どのような人がワンキャリアに向いていると思いますか。
田山:ベクトルが周りに向いている人ですね。
体育会では自分が活躍することだけにフォーカスしている学生も少なくありません。ただ、ワンキャリアでは自分のことを突き詰めるよりも、チームがどうすれば強くなるか、あるいは組織がどうすれば円滑に回るかといった視点を持っている人が多い印象です。周りと一緒に組織を作りたいといった、ベクトルが自身の外に向いている方は合うと思います。
高原:私は少し違った意見で、個人で活躍・成長したい人もワンキャリアには向いていると考えています。体育会出身者の方には、現役時代にライバルの存在によって成長できた人も多いでしょう。ワンキャリアにも情熱を持って仕事をしている人が多く、同僚と切磋琢磨して高め合える環境です。
大村:何かに没頭したことのある学生も向いているはずです。「まだまだできる」と、自分の可能性を信じることのできる人材とも言えますね。
私自身がバスケに代わって情熱を注いで働いているように「大学スポーツが人生のピークではない」と思えるような人材と一緒に働きたいです。部活動に没頭した経験は、引退後も決して無駄にはならないはず。ぜひ「まだまだこんなもんじゃない」と挑戦してきてほしいですね。
今回の記事では、体育会出身で活躍するメンバーを紹介しました。ワンキャリアには、体育会出身でなくても活躍している方も数多く在籍しており、その人の個性(強み)が発揮できる組織を目指しています。ぜひ以下のリンクから気になるポジションをのぞいてみてください!
企画・取材・撮影・編集:吉川 翔大
ライター:小谷 紘友