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正解のないプロジェクトほど面白くなるクリエイティブディレクター 国広信哉インタビュー

こんにちは、ライターの杉本です。 普段は「greenz.jp」や「雛形」などのWebメディアで、主にインタビュー記事を執筆しています。今回、ロフトワークのディレクター・堤さんから「ロフトワークの多様な背景を持つメンバーや、その仕事を紐解くためのインタビューを手伝って欲しい」というお誘いをいただき、思わず受けて立ってしまいました。

一人目のインタビューは、京都のクリエイティブディレクターの国広信哉さん。プロフィールを見ると末尾には、さりげなくこんな一行が入っています。

「趣味は山のぼりと野外録音。好きな音楽はピグミーのポリフォニー」

もしかしたら、「それって仕事と関係あるのかな?」と疑問を抱く人もいるかもしれません。でも、会社のWebサイトに掲載するプロフィールにこの文言を置くことには、ちょっとした意味があるはず(仮説)。個人としての国広さんと、ロフトワークのクリエイティブディレクターとしての国広さんは、いったいどんな風にかかわり合っているのでしょうか。まずは、ロフトワークに出会ったときのエピソードからお話を聞かせていただきました。

ロフトワークには自分で責任をとる自由がある

国広さんがロフトワークに出会ったのは、2011年のこと。前職のデザイン事務所で参加した、世界中の子どもたちの笑顔とメッセージを発信する「MERRY PROJECT」を通して、デザインに対する意識が変わりはじめた頃のことでした。

国広 「MERRY PROJECT」では、建築家ユニットKlein Dytham architectureや、デザイナーの吉岡徳仁さんとコラボレーションして展示をつくることもありました。アートには、なんとなく一方通行のイメージがあったけれど、目的を持って組み上げていくという意味ではデザインに近い。それと同時に、デザインに対する意識も「自分ひとりで職人的につくるもの」から、「いろんな人と一緒につくることでスケール感を出せるもの」へと変わっていったんです。

そんなとき、参加したイベントに登壇していたのが、ロフトワーク代表・林千晶さん。他の登壇者にも聴衆にも等しく“ため口”で話す林さんの「フラットな感じ」が印象に残り、ロフトワークのWebサイトを検索したそう。「クリエイティブの流通」というキーワードに反応した国広さんは、さっそくロフトワークに応募書類を送ります。

国広 書類を送った後、「林さん、いますか?」ってロフトワークに電話したんですね。その時点では面識もなかったんですけど、すぐに千晶さんに代わってくれたんです。「面接をお願いしたいんですけど」って言ったら、千晶さんも「オッケー!」みたいな感じで、ほんとにフラットで驚きました(笑)。

ところが、入社してから3~4年の間、国広さんは“暗黒期”に見舞われます。やることなすことうまく行かず、ありとあらゆるミスと失敗の連続……。そんな国広さんを、ロフトワークのメンバーはどんな風に受けとめていたのでしょう?

国広 ロフトワークは、原因を突き止めようとはしますけど、個人を叩くことはしません。経験のあるシニアディレクターが、『どうすればすばやく、きちんとていねいに解決できるか』を優先してサポートしてくれるので、心理的なセーフティネットがあります。

とはいえ、失敗を繰り返してしまうのはツラかったはず。「もう、辞めたい」と思うことはなかったのでしょうか。

国広 それが、辞めたいと思ったことは一度もないんですよね、不思議なことに。ロフトワークには、「自分でやるべきことを考えて、責任を持って自分でやりなさい。何かあったらサポートするよ」という雰囲気がある。誰かに指図されて失敗したわけじゃないから納得ができていたのだと思います。

「成功したらうれしいし、失敗したら反省するしかない」という覚悟の背景には、「一次情報を重視する」という国広さんの信念があります。

国広 本で学んだり、セミナーに行って誰かの話を聞いたりしても、当たって砕けた結果として得られるものにはかなわない。ネットには情報があふれているけれど、自分の経験だけは自分にしか手に入れられません。学ぶスピードは遅いかもしれないけど、土着的にゆっくり学んだほうがいいという、自分なりの直観があるのかもしれません。

国広さんが“暗黒期”を抜けるきっかけは、2014年にスタートした与謝野町との「YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT」でした。このプロジェクトを通して、「誰にも正解がわからない問いについて、うじゃうじゃ考えるのが好きなんだと気づいた」と言います。

ゴールよりもプロセスのなかで数字に現れない価値を見出していく

京都府北部、天橋立で有名な宮津市に隣接する与謝野町は、丹後ちりめんをはじめとする織物産業で栄えた町でした。しかし今、町のなかから機を織る音は消えつつあります。「YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT」は、若手事業者のみなさんと一緒に「これからどうしようか?」と、織物産業の可能性を考えるプロジェクトでした。

国広 まずは、若手織物職人とクリエイターによるチームをつくり、従来の方法に囚われずに素材にアプローチする方法から試行錯誤。「織物を段ボール素材に見立てる」「川の流れで糸を撚ってみる」などのアイデアによるプロトタイプづくりから、第1フェーズは始まりました。最終的なアウトプットがどうなるかわからない不安はありました。でも、一緒にプロセスを体験するなかで、職人さんやクリエイターの意識が変容するのを見ていたので、数字には現れない実感値の重要さも感じられていました。少しずつ、ライトを照らして進んでいるという手応えはありましたね。

与謝野町の職人の仕事を視察(YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT)
関連リンク:伝統工芸の可能性を広げる 「YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT」

2016年9月~12月にかけて担当した経済産業省との「高齢社会の機会領域を探るデザインリサーチ」もまた「正解がない」タイプのプロジェクトでした。

国広 「高齢社会において日本企業には何ができるのか?」というめちゃくちゃ大きいテーマについて、デザインリサーチの先駆者であるStudio Dのヤン・チップチェイス(Jan Chipchase)とコラボレーションすることになったんです。不安度でいうと、このときが一番スゴかった。英語が堪能なわけでもないし、「これ、まじでオレがやるの?」みたいな感じでした。

ところが、3か月間のプロジェクトは、その後の国広さんの仕事の進め方を大きく変える経験になりました。また、かたちのないプロジェクトにおける、プロセスの重要性を再認識。プロジェクト・マネジメントの手法を改めて勉強するきっかけにもなったそうです。

国広 答えがないからこそ、プロセスの組み立て方がすべてなんです。まず、一番最初の問いを立てる段階で「これを調べたらどんな面白いことがありそうか?」を徹底的にリサーチして考えます。ある程度の想像がつくまで、綿密にロジカルに組み立てますが、その後は手を離す。むしろ、手を離すために、徹底的に考え抜くというほうが近いかもしれません。

関連リンク:
プロジェクト詳細:高齢社会の機会領域を探るデザインリサーチ(経済産業省)
コラム:没入できる”基地”がプロジェクトを加速させる

「個人」という境界線が溶けていく感覚がすごくいい

仕事のなかに「手を離す」という領域が生まれたことは、国広さん自身の仕事の進め方だけでなく、チームづくりに対する感覚をも変えていきました。

国広 デザインリサーチには「ハードストップ」というルールがあります。制限時間内で全力を尽くし、「18時を過ぎたら絶対になにもしない」と決めるのです。制約のなかで、時間内に全力で考えて設計するべきだという考え方に切り替わりました。昔は、夜に家の周りをぐるぐる歩きながら「どうしようか?」と考え続けることもありましたけど、今はくよくよ考えずに時間内でやりきります。

また、プロジェクト全体についても、「今いるメンバーで、この期間内における、この時間のなかで」という制限内での最善を尽くすことを重視します。

国広 制限時間のなかで、人それぞれに異なっている得意分野をパズルみたいに組み合わせていく面白さに気づいたんでしょうね。それまでは、「自分の能力でいかにチームを引き上げるか?」を考えていたし、今も納得するまでクオリティ・コントロールしたい気持ちはあります。でも、自分の先入観や凝り固まっている考え方を壊す意味でも、チームの力を信じるのはすごく大事なんです。

最近では、「メンバーの特性を生かすほうが重要という気もする」と話す国広さん。その背景には、プライベートの変化も影響しているようです。

国広 結婚して子どもが生まれたら「奥さんのために、子どものために」と思うようになりました。人を楽しませる、生かすことにシフトしていっているから、チームのなかで自分が主役じゃなくてもいいという方向に向かっている気がします。

ここでふと、冒頭で触れた「山のぼりと野外録音」という趣味を思い出してしまいました。「圧倒的な自然のなかで自失する感覚が好き」という国広さんが、チームのなかで主役になることを求めないというのは、すごくしっくりくる気がします。

国広 たしかに、自然音を聴いているときは没入感がすごいんです。それによって、境界線がなくなっていくみたいな感覚がすごくある。そういう意味では、チームになったときに自分が消えていったとしても、周りの人が立っていって自分がばーって溶けていくのも悪くないなあと思います。

仕事とプライベートがつながれば新しい世界が広がっていく

山のなかで、一人きりになって自然の音に耳を傾けている国広さんと、大きなプロジェクトに取り組むチームを設計していく国広さん。一見すると、相反する「ひとり」と「みんな」というあり方は、どこで接続しているのでしょうか。

国広 「自分の世界に没頭する」「知らない世界を知りたい」というふたつのラインが走っていて、行ったり来たりしている気がします。自分ひとりでは自分の世界しか見えない。自分の知らない世界は、人と一緒にやらないと見ることも知ることもできないと思っています。「ドラゴンクエスト」というRPGゲームで、まだ行ったことのない地図はグレーで、行ったことのある場所はカラーに塗り替えられていくんですけど、グレーの部分を塗りつぶしていく作業を、人と一緒にやりたいんでしょうね。

最後に、ライフワークとしての録音について聞いてみると、意外なことにロフトワークの仕事とのつながりが見えてきました。

国広 デザインリサーチの手法で、日本中の民謡を録音しながら調べてかたちにして残しせたらいいなと思っています。テクノロジーの発達によってできることも増えていますから、個人間決済で世界中の音楽をやりとりする仕組みもつくってみたい。ロフトワークで学んだ手法と、自分の趣味がなんとなくつながってきている。境界線がなくなればなくなるほど、新しい世界が広がっていく感じがしています。

ロフトワークの仕事を通して、あるいは野外録音や山のぼりを通して、「自分の知らない世界を知りたい」と話す国広さん。「世界を知る」ことを通して何を目指しているのでしょうか。

国広 ものすごく遠いんですけど、今の生活や仕事、あるいは体の一部を失うことになっても、生きていける力がほしいんですね。そのためには、まだまだ世の中には知らないことがあるから学ぶ必要がある。人生と仕事はわりとぐちゃっと一緒になっていて、結局は「生きる術を身につける」というところに変換していっているのだと思います。

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