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追いだされるように退職したのが24歳の秋。とにかくお金もないし、起業というよりただの無職が正確な表現かもしれない状態でした。
前職の外注さんでサーバー管理してもらってた斎藤さんに初めて会ったのがこのころ。
知り合って2年後でした。
あの日は一生絶対に忘れないw
町田のとんかつ屋で、どうみても10代のリュックサック背負った子が現れました。
あれ?若いな。10代?
2年前に外注してた頃って、えっ?高校生?!
16歳で地元のプロバイダーのネットワークやサーバー管理を任せられ、高校生ながら個人事業主で保守の事業もやってたとは。。。
世の中にはすごい天才がいるもんだと思いました。
なぜ退職したかの理由を話して、今後転職しても、会社や上司と上手にやっていく自信がないことや、今後のネット社会の未来などを話してて、斎藤くんから
『中川さん、ご自分で会社やられたほうがいいんじゃないですか?』
当時は起業が一般的ではないので、これは思いつかなかった。
正直社長の器ではない(今もw)と思っていたので番頭としてどこまで会社に貢献できるかと考えてました。
でも当時はひどく裏切られた気持ちが強くて、それなら自分でやってみようと、何年かやって仮に借金してうまくいかなくても、佐川急便で働けば何とかなるだろうくらいの気持ちで起業するのでした。
軽く背中を押してもらって資本金50万で個人事業のフリーランスウェブプロデューサーとして起業するのでした。資本金は母親のへそくりです。
何でもやりました。
情シスからの翌朝までにパソコン50台セットアップしておいてとか。
ショッピングカートのCGI作ってとか。
外部プロデューサーとしてプロジェクト単位で企業に入ったり。
細々と日銭を稼ぐ傍ら、ウェブのバナーアドネットワークを作ってみたところ、perl+txt(今では考えられないw)だと落ちまくってデータ消えるし、試行錯誤した結果、確かperl+Postgresqlで再構築して、配信数が増加するにつれて処理が重く、いろいろ検証した結果、php/FI+mysqlでよくやく安定してきたので、この組み合わせで営業広告を打ちました。
『ウェブDBシステムを格安で構築!』みないな。
1998年ごろにphp/FI+mysqlで構築してるウェブ制作会社なんてどこもなかったのか、当時はオープンソースを使う(いまでも大企業は嫌いますが)と白い目で見られてたらしく、千万単位のオラクルのライセンス買えるのは超大企業だけでした。
蓋をあけてみると、ベンチャー企業を中心にものすごい反響があって、もう1年先くらいまで受注が入るような状況に驚きつつ、起業当初3年間死ぬほど働くと決めていたので
1日18時間~20時間は仕事して、仕事しながら机で寝る日々でした。
人間気持ちがあれば、そう簡単には倒れないんだということはこの時知りました。(良い子は真似しないでね)
月日が流れ、全然儲からないアドネットワーク(ウェブバナー広告)をやっていると出版社さんから問い合わせが入りました。
実はこの当時もうウェブ広告には期待できなくて、モバイルのアドネットワークを作っていました。
当時はというニュージーランド人のジョニー率いるリーディングカンパニーでバリュークリック、ほぼ同時期にサイバーエージェントもスタートしていました。(ジョニーさんお元気ですか?w)
この出版社の問い合わせがまたまた人生を大きく変えるのでしたw
・・・・・・・・・・・続く