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観光チームで活躍している武田 和也のインタビュー記事です!

武田 和也(Takeda Kazuya)

観光事業部/豊後高田市
1997年8月5日生まれ。鹿児島県鹿児島市出身。長崎大学経済学部を卒業後、四国の住宅会社に入社。土地探しや資料作成といった注文住宅の営業サポートに従事するとともに、新規事業としてスタートした食パン専門店の運営管理も担当。地域とより深く関わりたいという思いのもと、2023年12月にFoundingBaseに入社。現在は大分県豊後高田市で観光事業に携わっている。

目の前のことに一生懸命だった子供時代

子供時代を振り返ってみると、遊び、勉強、部活、人間関係など目の前のことに一生懸命だったなと思います。不器用なタイプでしたが、先生方や友人に恵まれ楽しい日々を送っていました。

特に、小学4年生から高校3年生まで続けたバスケットボールでの経験は私自身にとってとても大きなものとなりました。
身体を動かすことが好きだった私は、小学4年生になったことで親からの許しが出て、もともと友達から誘いを受けていたバスケットボールを始めることになります。何も知らずに入団したのですが、実は鹿児島で一番歴史のあるミニバスケットボールチームであり、全国大会に何度も出場、地元の公園には小学生用のバスケコートがあるといったハイレベルな環境でした。試合に勝つ喜びや負ける悔しさ、そして県外への遠征や全国大会で上には上がいる世界の広さを小学生のうちに知れたことは大きな財産となっています。

進んだ中学、高校もバスケ部は強豪と言われており他校のバスケ部はもちろん、先生たちや地域の方からも注目される部活でした。そのため、顧問の先生からは「皆から応援されるチームであれ」と技術的な指導以上に挨拶や掃除、態度など生活面に関して多く指導を受けていました。厳しく大変な日々でしたが、今思うと基準や価値観を高めてもらった大切な期間となりました。
その一方で、選手としては上のカテゴリに進むにつれて出場機会は減少していき、高校最後の大会もメンバーにすら入れず引退をしています。バスケ自体はとても好きでしたが、これ以上続けても自分自身の成長は見込めないと感じ、大学では新しい可能性を探求していくことを決意しました。

可能性を探求した大学時代

大学時代は部活引退時に決意した通り、新しい可能性を探すため様々な活動に参加するようになります。一番力を入れたのは大学生協の学生委員会の活動でした。発信をする機会や人前に立つ機会も増え、どうしたら上手く伝わるか、想いを形にするにはどうしたらいいか考え続けた時間でした。学内の活動に留まらず、長崎を舞台に全国の学生が参加する体験型平和学習の運営や他大学の同じ活動をしている仲間との交流に積極的に参加するなど、高校までの私では考えられない行動力を発揮するようになります。同世代の仲間たちから刺激をもらいながら、「できた」という経験も積めるようになってきて自信がついてきたのがこの頃です。

他にも、災害ボランティアや学生団体の立ち上げなど興味のあることはまずやってみるという精神で様々な活動に携わりました。この時に「地域」、「地方」、「ふるさと」を改めて意識するようになりました。地域ならではの魅力、地方と都会での機会格差、ふるさとへの想いなど、多くの方の想いや考えに触れることができ、地域のためや未来のために動いている人たちがたくさんいるのだと知れたことは大きかったです。

大学の4年間は人との出会いに恵まれた期間でした。人は人によって磨かれるという言葉もあるように、自分自身の価値観やありたい姿を深めることができました。
私が大切にしたいことは「何気ない日常」であり「相手の笑顔」であると言語化でき、この気づきは今の私の土台となっています。

日常の幸せに貢献できる仕事がしたいと考え就職活動。代表の考えにも惹かれ、注文住宅をメインとしている工務店へと入社しました。

もがきながらも成長した前職時代

入った会社は社員数10人ちょっと、四国外からの入社は初めて、縁もゆかりもない土地でのスタートでした。建築の知識もなく、社内の人間関係にも苦しみ、1年目は特に何もできずに気づけば終わっていたという感じでした。2年目を迎えたタイミングで退職しようとしましたが、代表から新規事業のパン屋の担当の話をもらい、やってみたいと思い退職の話は撤回。この決断が大きな転機となりました。

20名ほどのアルバイト・パートの管理、製造管理、売上管理と一気に役割が拡がり、初めは上手くいかないことばかりでした。その中でも、試行錯誤しながらスタッフとの協力関係を築き、常連客もつくることができ、運営を安定させることに成功。成長を実感できた反面、住宅と比べて金額が小さいことで評価されづらく、早朝・夜間や休日もパン屋に時間を使っており今のままでいいのか、と自問自答する日々が続いていました。

そんな中、鹿児島に帰省した際に、知覧の特攻平和会館に立ち寄りました。大切な人や未来のために命をかけた特攻隊員の想いに触れ、このままでは良くない、未来のために何かできるようになりたいという気持ちが強くなり、転職することを決意。

父が元商工会職員であり、独立して地元の食材や特産品の直売所である「まちの駅」の運営をしており、この仕事は天職だと楽しそうに地域と関わる姿を見てきました。そのため、地方創生は昔から興味のある分野であり、父への尊敬の念といつか一緒に仕事がしたいと思っていたので、迷わずに地方創生分野に進もうと思いました。

まちづくりに取り組んでいる会社を探している中で、FoundingBaseと出会いました。地域の中で過ごし、実際に見て感じたことを拡げ、その地域ならではの感動体験を提供していく地方共創は、父を通してイメージしていた地域との関わり方と合致したことで、この会社の一員となりたい!とこれからの未来にワクワクしたので入社を決めました。

FoundingBaseで実現したいこと

「このまちが好きだ」という人を増やしたいと思っています。「地方だから」と諦めることなく、この街だからできることや地方でもできるということを発信することで、地方の魅力や可能性を再発見していきたいです。FoundingBaseのまちづくりは、地域に実際に入りながら活動するので、等身大で地域を感じることができるのが魅力であり、強みであると思っています。これから地方という適度な余白がある環境で何ができるか、日々考えながら楽しい未来をつくっていきます。

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