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観光チームに配属となった藤村 瞭のインタビュー記事です!

藤村 瞭(Fujimura Ryo)

Contents Director/大月team
1998年5月2日生まれ。兵庫県伊丹市出身。大学では体育会サッカー部に所属。大学を卒業後、食品専門商社に入社。食品メーカーや食品問屋に対して輸入食品の販売営業に従事。2023年8月にFoundingBaseに入社し、高知県幡多郡大月町にて観光事業の立上げ・運営に従事。

努力をしなくても何でも上手くできた

2人兄弟の次男として兵庫県伊丹市に生まれました。
4歳上の兄の影響により幼稚園の頃からサッカーを始め、途中、水泳・テニス・絵画・音楽などいろいろ習いましたが、結局、小学3年生から本格的にサッカーチームに入りました。ありがたいことに幼稚園の頃からサッカーをしていて、たまたま体格も良かったことから、何となくチームの主軸として色々な大会で優勝することが出来たり、気づけば個人としても選抜に選ばれたりと、大した努力をせずとも評価され、楽して活躍することが出来ていました。
中学生では関西の割と強豪のクラブチームに所属しましたが、やはりここでも特段努力してサッカーをしていた訳ではないですが、とんとん拍子に上手くいっており、飛び級で試合に出場したり、個人としても評価されたりとそこそこの結果を残すことが出来ていて、おかげで完全に天狗になっていました。
しかし時間の問題でした。3年生になると、これまで一生懸命に努力していた周りの選手に追い抜かれ、出場機会が減り、チームは何年振りかの全国大会に出場したのですが、僕はベンチから見守るという苦い経験をしました。そのまま挽回することができず引退となりました。
当たり前の出来事ですが、当時は言い訳を並べて現実を受け止めていませんでした。ここまでが人生における、特に努力もせず成功していた期間です。

自分の介在価値を考える

高校では、ギリギリ強豪校と呼ばれる学校に入学することができました。現実を受け止めていない自分は1年生からすぐにでもトップチームの試合に出れると思っていましたが、トップチームから召集がかかるのは自分じゃない他の1年生で、自分は呼ばれなかった他の選手と一緒に練習する毎日でした。そのおかげで、ようやく高校1年生にして、自分は決して特別な存在ではないんだと自覚するように。そして初めてチームに求められる選手は何なのかということを考え始めるようになりました。
これまでは、あくまでも個としての観点でしか自分のプレーを気にしていませんでいたが、チームという枠組みの中の自分という観点で考えられるようになったのです。つまり、自分が試合に出場するにはチームにどのような価値を与えることができるのかということです。
加えて、小中学生の頃の栄光を引っ張っているのか、やはり特別な存在でありたいと思っていたため、チームに必要な選手且つ代替えの効かない選手は何なのかを考え、出場している選手と自分を徹底的に比較して、自分が勝てそうな長所を見つけ、練習で磨くという作業を行っていました。
怪我をして3年生になるまでは思う存分サッカーをすることが出来ませんでしたが、チームにおける自分にしか出せない価値というものを考えながら練習をしていくうちに徐々に出場機会が増え、3年生になってやっとチームの中心選手として試合に出られるようにもなりました。中学生の頃とは真逆の経験です。ただ、最後の大会は県ベスト16という微妙な結果に終わり不完全燃焼のまま引退しました。

大学では、高校時の不完全燃焼もあり体育会サッカー部に入部。部員は100人以上、実力順にカテゴリーが5つに分かれており、トップチームの試合に出られるのは1割ほどの選手のみでした。本気で日本一を目指し、毎年プロも出るようなレベルの中での競争だったため、4年間悔しい思いをすることのほうが多くありました。しかし、その中でも自分がチームとして必要で替えの効かない存在になるにはどうしたらいいのかを考え、時には技術力で勝負をしたり、時には分析力でチームに貢献したりと試行錯誤して取り組んできました。
結果的に、トップチームに入ることもプロ選手になることも出来ませんでしたが、それでも真剣にサッカーに向き合うことができたので、サッカー選手としての人生に満足して区切りをつけることができた4年間となりました。
この高校・大学時代のサッカーの経験から、自分の価値は何なのか、自分だからこそ与えることができる価値は何なのかといったことが、自分の中で重要な価値観となっていきました。

自分の介在価値を考えるパート2

社会人では、食品商社の営業職として海外から輸入されてきた食品原材料を国内の食品メーカーや卸業者に販売しておりました。
これまでサッカーしかしてこなかったため、具体的にやりたいことが無かったのですが、これから人生の大半をビジネスマンとして過ごすことは予想がついていた為、「川上から川下まで商売の全体感が見える業界」で「物の売買が起こっている現場」で仕事をしてビジネスマンとしての基盤を作りたいと考え、専門商社の営業職に就くことを選びました。

配属されて、1か月で8百万円の大きな商売の契約を取ることができたり、入社2年目にはこれまで取引できていなかった大手とも新規取引を開始することができたりと、実績を積み重ねることは出来ていました。しかし、どれだけ成約がとれても、要因を振り返ると会社の力や会社の仕組みがお客様から評価されていて、営業としての自分の価値がほぼ介在していないと感じることが多くありました。
高校・大学時代、サッカーをしていた時に意識していた「チームとして必要で替えの効かない存在」の後半部分の「替えの効かない存在」を感じることが出来なかったのです。自分じゃなくても一定の能力があれば誰でもできるのではないかと感じるようになりました。
そうしたモヤモヤした感情がしばらく続き、自分は大きな企業の仕組み化された環境で仕事をするより、むしろ、自分が仕組みを作る側、事業を作り上げていく側として、0→1の仕事がしたいという思いが強くなり、そして転職に踏み切ることになりました。

日本の成長にインパクトを与えられる仕事がしたい

0→1の仕事をどの領域でやりたいのか、仕事を通じてどういった影響を社会に与えたいのかを考えた時に、抽象的ですが僕は、日本が強く豊かになり世界と対等に渡り合える、そんな国へと成長して欲しいと思っています。つまり、日本の成長に少しでも寄与できるような仕事をしたいと考えています。と言うのも、大学時代は国際学を専攻しており、アメリカへ留学に行ったり、海外という視点から日本を見たり考えたりする機会が多くありました。

そういった経験から、改めて日本の文化や歴史が素晴らしいと感じ、と同時にそれらを正しく後世に残していかないといけないとも感じました。今の日本国内の大きな課題の一つに地方の衰退があると思います。FoundingBaseは全国に拠点が多数あり、現地に入り込んだまちづくりを行っている会社です。そういった会社であれば、日本全国の地方の活性化に寄与できる仕事ができるのではないかと思い入社を決めました。ですので、これから地方のまちづくりを通じて日本の成長に少しでも大きなインパクトを与えられるそんな仕事を0から作っていきたいと思います。

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