痛風になっても尿酸値を下げる薬は要らない?米国内科学会が推奨
尿酸値が高いと言われたことはありますか?尿酸値は薬で下げられますが、痛風予防のために薬を使うべき範囲は長年議論されています。米国内科学会から、痛風発作が起こった人にも尿酸値を下げる薬は勧めないとする推奨が出されました。
https://medley.life/news/item/582934c72899a3030a8b4579
こんにちは。株式会社メドレーの大脇です。「MEDLEYニュース」を担当しています。
僕は2008年に東大医学部を卒業しました。でも、病院実習で見た現場はあまりに辛く難しく、病院で働くことに不安と迷いを感じていました。働くということを見つめ直す時間が欲しくて、卒業してすぐには就職せずにフリーターになりました。
結局2年弱をフリーターとして過ごすことになったのですが、その間は年間300冊ぐらいのペースで本を読みながら、「自分が本当に医者として人の役に立てるのか」「医者として何を目指せばいいのか」を考えていました。
結局、在学中に感じた「自分はこの仕事に向かないのではないか」という気持ちが打ち消せず、違う仕事をすることにしました。お金はありませんでしたが、「やっぱり医者になる」という選択肢は浮かびませんでした。
7年かかってメドレーに出会えて、やっと居場所が見つかったかなと思っています。でも、ずっと悩んでいた「僕は世の中のために何ができるのだろう?」という不安を忘れたことはありません。転職を考えている方にはこの気持ちをわかってもらえると思うので、振り返って書いてみます。
僕はMEDLEYニュースの編集長です。メドレーに入ったのは2015年3月で、その翌月にMEDLEYニュースが立ち上がりました。
MEDLEYニュースは、医学論文を日々の暮らしに役立てる観点から読み解いて紹介するニュースです。医学部で学んだ医学や統計学の知識が役に立っています。それに、前職では出版社にいたので、そこで得た経験も活かせています。
立ち上げを行って体制を整える中で、僕が記事の元を書き、それを社内に大勢いる医師が出典と入念に突き合わせ、一般的な医学知識の観点からもチェックしたうえで公開するフローとしました。
記事数が3000本近くになった今でも、このフローは守り続けています。今は僕が編集長としてテーマを選び、表現を工夫し、医学的な知識をもった医師から情報を引き出していくという体制で運営を続けています。
最近では「痛風になっても尿酸値を下げる薬は要らない?米国内科学会が推奨」という記事が好評でした。日本では痛風発作が出たことがない人にも薬を出して尿酸値を下げるのが当たり前のようになっていますが、これはやりすぎではないかという意見が昔からあります。
この記事で紹介したのはある意味急進的な意見なので、読んでびっくりした人もいたようですが、中にはTwitterやFacebookで詳しい解説を添えて拡散してくれた有名な医師もいました。世の中で十分に知られていないことを広める、それも怪しい情報ではなく信頼できる情報と思ってもらうという目標に少し近付けたかなと思える反響でした。手探りで1年半ほどやってきて、徐々に感触がつかめてきたように思います。
メドレーに入る前は職を転々としていました。大学を出てすぐの2年弱は完全にフリーターとして年収100万円あまりで生活していました。お金がなかったので100円ショップの3玉入りの焼きそばを毎日食べたり、盆正月の帰省には大阪府の実家まで青春18きっぷと夜行バスを駆使して往復したり、課金は月1万円までで我慢したり…していました。それでも本を買うお金はケチらないと決めていました。
転職して出版社にいたころは、書店でどんな本が売れているかはよくチェックしていました。医学・医療の本は大ヒットすることもあるので、嫌でも目に入ってきました。2012年には『大往生したけりゃ医療とかかわるな』、2013年には『医者に殺されない47の心得』、2014年には『長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい』という本がベストセラーになりました。それほど医者は嫌われているわけです(ふくらはぎを揉んでみたら攣ったのでやめました)。でたらめばかりが増殖するのは残念だと思う一方で、医者が嫌いだという感覚もある部分では共感できました。
僕は医者には向いてないと思います。だから医者にならなかったことは間違ってないと思っています。でも、国立大学のコストがかかった教育を受けておきながらその成果を社会に還元できていないことに負い目も感じていました。大学で6年間指導してくれた先生方にも、一緒に追試を受けた友達にも、地元から送り出してくれた家族にも、期待に背いてしまったという思いがありました。
2015年2月に知人からメドレーを紹介されました。そのころMEDLEYニュースはまだなく、MEDLEY事業本体の「病気事典MEDLEY」がα版公開されたばかりでしたが、直感で「これだ!」と思いました。
「これだ!」と思った瞬間の印象はなかなか言葉にしにくいのですが、いまもモチベーションが続いている理由を探してみると、第一印象から大きく変わっていないのかなと思います。
医師として病院で働くことには怖さを感じていましたが、病気事典MEDLEYの話を聞いて、「勉強したことを活かす方法はほかにもある」と教えられたような気がしました。「これなら僕にもできる」と思ったのを覚えています。
最初の仕事は病気事典の下書きでした。情報としては医学部を卒業した者にとっては一般的なものなので、きちんと調べれば医師免許がなくても書ける内容のものでした。医学から離れて7年ほど経っていましたが、教科書を引っ張り出して勉強しなおしました。ちゃんと社内医師が公開前にチェック・修正をしてくれるので、無責任なことを書いてしまう心配もありませんでした。
こう書くと、「さっきまで医者が嫌いと言っていたのは何だったのだ?」と思われるかもしれません。けれども、メドレーの医師は僕がなりたくなかった医師像とは違っていました。その一人の沖山の記事を読んでいただければわかると思いますが、僕の言葉で言うと、メドレーの医師は「できないはずのこと」をやろうとしていました。
学生のころ、指導医からこんな一言を教わりました。
「患者さんは個別情報が欲しいけど、医者は統計情報しか知らない」
つまり、患者さんは自分自身があと何年生きられるかを知りたいのに、医師はどうしても「あなたのような状態になった人のうち半数が…」というデータしか答えられない。言い換えれば、一人一人の患者さんがあと何年生きられるか、どんな名医にも正確にはわからない。このことはよく「不確実性」と表現されます。けれども、僕には「不確実」と言うよりもずっと深刻な問題に思えました。
「求められるものは絶対に差し出せないとわかっている仕事ほど辛いものがあるだろうか?」
ある実習で患者さんと話していたとき、患者さんが暗い表情になって、「こんなに人様に迷惑をかけるぐらいなら早く死にたい」と言いました。僕は「そんなことないですよ」と答えただけで言葉を続けられませんでした。「あなたはご家族や友達にとっても、この僕にとってもかけがえのない人です」というようなことを、会って数日の、互いによく知りもしないような相手に言うのはあまりに無責任に思えたからです。
幸いその人は本当に自殺を図ってしまうような状態ではありませんでした。そのときだけは少し感情的でしたが、すぐに元の様子に戻って、おとなしく看護師さんの言うことを聞いていました。でも、僕はそのとき自分が「学習のために」そこにいること、そして将来は「職業として」そこにいるであろうことにとても深い矛盾を感じずにはいられませんでした。
患者は死に臨んで「この人生を納得できる形で締めくくりたい」と考えますが、医師がどんなに余命を延ばしても、苦痛を取り除いても、エビデンスに基づいた正しい治療選択を徹底していても、本質的には「この死に方に納得できるかどうか」に対して無力です。人は往々にして「数字で納得するわけではない」からです。
ところが医学の教科書には、「どの治療が一番成功する確率が高いか」は書いてあっても、「どの治療を選ばなければならないか」は書いてありません。現実の選択肢からただひとつを選び取るのは、科学ではなく個人の価値観です。そしてそれは、教科書では表現しきれないものなのです。
そこで、常識的に医師が取れそうな態度は2種類です。情報と技術を提供するコンサルタントとしての立場に踏みとどまり、意思決定はあくまで患者と家族や身近な人々に委ねる「ドライな態度」。もうひとつが、患者の生き死にに全人的に関わるというポーズを取り、パターナリズムと言われようと個人の良心を頼りに「私を信じて任せてください」と言い切る「ウエットな態度」。
どちらも僕には魅力的とは思えませんでした。技術者としてクールに身を守っていく自信もなければ、患者の心をつかんですべてを任せてもらえる自信もありませんでした。だから僕は医者になりたくありませんでした。
メドレーはどちらとも違っていました。「病気事典」を名乗る一方で「医療に納得感をもたらそう」と言い切る。症状チェッカーをどう見せれば納得感に結び付くか、SEO対策を二の次にして延々と議論する。
そんな無茶なプロジェクトがメドレーの基幹事業である医療介護の求人サイト「ジョブメドレー」という足腰に支えられて本気で立ち上がり、IT企業のスピード感を持って、病院の外の論理で動いている。ああ、この人たちは「できないはずのこと」をやろうとしてるんだなと思いました。そして、僕が長年の悩みを乗り越えるにはこのプロジェクトに関わるしかないと思いました。
最初の方に書いた通り、MEDLEYニュースの立ち上げには最初から関わっていました。記事の数や長さ、書き方、編集フロー、執筆者の集め方、宣伝の仕方、すべてが手探りでした。
最初の1年で2000本ほど取り上げた論文を正しく理解するために、医学部で学んだ全部の診療科の勉強をやり直しました。それでも最先端の話題についていくのは大変でした。医学的に事実と違うことだけは書かないよう、編集段階で何重にも調べて確認したうえ、最後に医師チェックを通す手順は変えないように決めていました。それでも社内医師より詳しい専門家から「文脈がわかっていない」といった指摘を受けることは何度もありました。
不正確なことを書いて炎上しそうになったことも、読者の気持ちに沿わないことを書いて不評を買ったことも、細かい間違いで恥ずかしい思いをすることも数えきれないほどありました。「免疫」を間違って「免役」と書いてしまったときは逃げ出したくなりました…。そんなときはひとつひとつ断りを入れて訂正追記としました。
執筆者との連携もいろいろ試した結果、いまは大半の記事を僕が自分で書いています。一人なので数には限界がありますが、そのぶん質は安定します。一本一本の記事を丁寧に書いています。題名のちょっとした言い方ひとつで記事の印象はまるで違ったものになります。どうやって人の心を惹きつけるかを毎日考えています。
工夫しながら記事を書いていく中で、医師と患者の溝は思ったほど深くないと感じるようになりました。難しい話、長い話、一見日常生活とは遠い話でも、本当に多くの人が知る価値があって、その価値をしっかりアピールできていれば、ちゃんと読まれるべき人には読んでもらえています。
確かに医学は複雑で難しい学問です。けれども、「知りたい」という情熱を持った人は、そこに橋が架かってさえいれば渡ってきてくれるようです。ドライとウエットのあいだでいつまでも迷っているより先に、まずできることがある。本質的な難しさよりも手前にある、一見本質的ではない部分にこそ、実は多くの問題が解決されずに残っている。そんな感覚が生まれてきました。
僕はメドレーの仕事を通じて人を幸せな気持ちにしたいと思っています。最初にメドレーに感じた魅力を一言で言うなら、メドレーが「文学」としか言いようのないプロダクトを作っていることだと思います。
情報と表現の力で人の心を動かそうとするものが「文学」でなくて何でしょうか。いま医療情報をめぐってはさまざまな角度から議論がなされていますが、僕はメドレーの「文学」に関わっている者として、表現の大切さにもっと注目してほしいと思っています。
つい最近の11月29日に「WELQ」にある全ての記事が非公開となり、その後ディー・エヌ・エー(DeNA)が運営していた他のキュレーションメディアまでが非公開となりました。WELQについて軽率なコメントは避けたいと思います。 ただWELQに限らず大きな問題が起こっているのは確かです。インターネットで医療情報を検索しても、その人にとって本当に必要なはずの情報が見つからなくなっているのです。
何か病気の名前を検索窓に打ち込んでみてください。
1ページ目にはどんなサイトが出ましたか?大学や省庁や学術団体といった、一番信頼できるはずの情報源はいくつ表示されましたか?反対に、執筆者も情報源もわからない個人サイトやまとめサイトはいくつありましたか?
僕自身も最近肌がかゆいと思って「マラセチア」などの関連語句を検索したのですが、「あなたの悩みは◯◯が原因かも?」といったコラム風のページばかりがヒットして、「皮脂欠乏性湿疹には保湿剤などを使う」という普通の情報を見つけるまでにずいぶん手間取ってしまいました(薬を塗ったら少し楽になってきました)。
それが日本語のインターネットの現状です。真偽不明の噂があふれて、確かな事実を隅に追いやっています。これでは何を信じればいいのかわかりません。インターネットには膨大な情報があるはずなのに、調べ物の役には立ちません。病院に行った患者さんが「ネットで見たんですけど…」と心配事を相談しても、おそらく多くの医師が「ネットは見ないでください」と答えているでしょう。
なぜこうなってしまったのでしょうか?
問題は、ネットにいい加減な情報が多いことではありません。正しい情報が少なすぎることです。信頼できるはずのサイトが専門用語ばかりで理解不能だったり、数字ばかりで覚えられないものだったりすれば、そこには情報がないのと同じです。
メドレーはその状況を少しでも変えようと努力しています。そして、 同じような志を持つ他のサイトの記事が10も20も立ち並んで、検索上位を埋め尽くすようになってほしいと思っています。
ネットは便利なものです。医療情報だけが例外のはずはありません。医師がネットに適応できていないだけだ、というのが個人的な認識です。僕自身も広告やマーケティングに詳しいわけでもなければネットの専門家でもありませんが、メドレーの仕事のために少しずつ勉強していく中で、「今までの自分がいかにネットの利用者を無視していたか」を自覚できるようになってきました。
大学や省庁の難しいサイトがなぜ読者から支持されないのか、「難しい」「わかりにくい」「堅苦しい印象」といった抽象的な言い方でわかったつもりになるのではなく、どう変えればわかりやすく受け入れやすいものになるかをどこまでも掘り下げなければならないと思います。表現をないがしろにするところには事実の力もありません。
ネットに正しい医療情報を広げていくために、メドレーだけの力でできることには限界があります。いつもたくさんの方の応援を感じながら、次の誰かのアクションにつながることを考えて動いています。たとえば所属をまたいだ有志によって最近行われている「メディカルジャーナリズム勉強会」には僕も参加し、たくさんのことを学ばせてもらっています。僭越ながら僕と会って刺激を受けたと言ってくれる方もいます。
来週の12月17日(土)には御茶ノ水の会場で「インターネット上の医療健康情報の今後を考える」と題した勉強会が予定されています。患者の立場から麻美ゆま氏、医師の立場から徳田安春氏と大室正志氏、SEOの専門家の辻正浩氏といった方たちが登壇されます。こういった横断的な会を通じて、志を同じくする方がどんどん増えてきたら幸いです。
僕は医学の力に絶望していました。しかし、メドレーに入ってその悩みは幼なかったと思うようになりました。いまこのとき、日本のどこかで、誰かが自分の病気のことを検索して、いい答えが見つからずに困っています。語るべき言葉はいくらでもあります。医学に限界を感じたことがある人にこそ、「一緒に頑張ろう」と言いたい気持ちです。
メドレーは医学と文学のあいだを渡っていける会社です。あなたの力があれば、もっと大きなことができます。資格がある方に限らず、医学・医療に関係する仕事の経験がある方、自分や家族が患者の立場に立たされた方、文章が得意な方、そのほか「自分にしか言えないことがある」と思う方は、「病気事典」や「MEDLEYニュース」をもっといいものにするためにぜひ力を貸してください。
◆過去のメドレー社員の記事
第1回:ぼくがクックパッドを辞めてメドレーに入った7つの理由
第4回:私がドクターヘリを降りて、メドレーに入った7つの理由
第8回:Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ
第10回:年収36,000円のお笑い芸人が、メドレーに入社するまでの7つのステップ
◆メドレーが提供しているサービス
・医師たちがつくるオンライン病気事典「MEDLEY」
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