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教育チームで活躍している吉良 萌のインタビュー記事です!

吉良 萌(Kira Moe)

教育事業部/大子町
1998年生まれ。埼玉県出身。東洋大学国際学部卒業。大学在学中にポーランドへの留学を経験。帰国後、個人事業主として英会話塾を開業。教室運営と英会話講師業務に携わる。様々な年代の生徒との関わりの中でより広い視野で教育に携わりたいと考え、2024年4月にFoundingBase入社。茨城県大子町に着任し教育事業に従事。

私のいまを作っている大きな要素は3つあると思います。1つめは、父の仕事の都合で、小さな頃から沖縄県、⻘森県、千葉県、埼玉県と転勤を繰り返したことです。不思議と転勤が多いことにはあまり抵抗はなく、毎回新しい場所で新しい人に出会うことを楽しみにしていました。2つめは、4人兄弟の一番上として育ったことです。小さい頃からいつも3人の弟の世話を焼いていました。今でも兄弟仲は良いほうです。3つめは、なんでもやってみたらという母の影響を受け、小さな頃からガールスカウトに参加してみたり、ユネスコ少年団に参加してみたり様々な経験をしました。こうして、人と話すことが好きで、面倒見の良い、好奇心旺盛ないまの私になりました。

教育の道に進んでいくきっかけ

そんな私が教育の道を進んでいくきっかけになる出来事を小学校4年生で経験しました。ある日の総合の時間に校長先生が世界中には学校に行けず、勉強に触れる機会のない子どもたちがたくさんいるという話をされていたのです。当時の私は、私の大好きな勉強ができない子どもがいるなんて!世界はなんて不平等なの!と大きな衝撃を受け、私がどうにかする!と発展途上国の教育に興味を持ち始めた瞬間でした。
教育への思いを持ちつつも、中高生のころは部活動に打ち込む生活を送っていました。中学時代、長年剣道を続けている父の影響で剣道部に所属していました。今までで一番運動をしていた時期です。練習試合ですら勝ち以外は悔しく、たくさんの涙を流していました。振り返ると相当な負けず嫌いだったんだろうなと思います。中学2年生の新人戦では団体戦で県大会に出場しました。 日々の稽古は辛いことも本当に多かったですが、みんなで乗り越えられたからこその結果でした。また、高校時代はサッカー部マネージャーとして、暑い日も寒い日もグラウンドに足を運び選手の練習や試合のサポートをする日々を送りました。2度も全国大会の景色を見せてくださった選手のみんなには今でも心から感謝しています。

夢を実現する方法を見失う

そうして大学生になった私は、大きな挫折を経験することになります。第一志望の大学へ進学することができなかったことで、小学生のころから持ち続けてきた夢を実現する方法を見失ってしまったのです。また、一期生として入学したその学科は、留学生が多く、授業は1年次からオールイングリッシュで実施という環境でした。大学入学と同時に自分の英語力のなさに打ちのめされ、完全にやる気を失くしてしまいました。好きだったはずの英語もだんだんと嫌いなものになり始めていました。一方で学生生活では、アルバイト先の先輩が所属していた手話サークルに所属したり就活講座に参加したりと充実していた気がします。そうして学科以外の友達が増え、様々な人と関わり話をする中でやっぱり英語を頑張りたいと思うようになりました。

その後、大学2年生の夏にポーランドへ留学しました。ポーランドを選んだ理由は、語学留学でないのであれば英語圏ではない国に行きたかったことと他の人があまりいったことのないような場所にいってみたかったからです。私が留学していたヴロツワフという都市は大学の街として知られ、留学生が多くいる場所でした。実際、私の通っていた大学にもイタリアやドイツ、トルコなど近隣諸国からの留学生がいました。彼らの自国への関心の高さや自分の将来に関する考え方など日々の関わりの中で学ぶことがたくさんありました。特に印象的だったのは、ルームメイトの出身国であるスロバキアへ旅行した時のことです。ちょうどスロバキア初の女性大統領が誕生するかどうかという選挙の時でした。ある友人は自分の投票を自分の町の票としたいと言い、故郷へ帰って投票をしていました。自分の一票についてそんなに深く考えたことがあっただろうかと驚いたことを覚えています。
そうして様々な経験をしながら大学3年生の秋に帰国しました。

子どもの未来に関わりたい

さあ就職活動を始めようと自分のこれまでを振り返った時に2つの軸を見つけました。1つは英語に携わること、もう1つは子どもの未来に関わることでした。そして母から引き継ぐ形で英会話塾の講師になることを決めました。大学4年生の4月から仕事を始めたのですが、ちょうどコロナ禍に入ったところで社会の動きが全て止まった時でした。最初の1ヶ月は休業すること になり、再開してもしばらくの間はオンラインレッスンでした。 6月ごろから徐々に通常のレッスンができるようになり始めましたがその後も何かとコロナがついてまわる1年間だったなと記憶しています。様々な年代の子どもたちに関わる難しさもありましたが、単語を覚えられた!暗唱ができた!のような何かを達成した時の満足そうな顔を見るのが一番幸せなことでした。英会話講師になり、3年が過ぎたころ、ふと今までの仕事を振り返った時に自分の軸が変化していることに気づいたのです。今までは英語の優先度が高かったのですが、仕事をしていく中でもっと子どもの未来に関わりたいという思いが大きくなっていました。

漠然とした想いに変化が

転職を決意し少しずつ動き始めるなかで、漠然とした子どもの未来に関わりたいという思いは子どもに選択肢を増やしたいという思いに変化し、そのタイミングで見つけたのがFoundingBaseでした。会社HPを見た瞬間、まさに私のやりたかったことだ!と直感で選び、内定をいただいた時は、やっとスタートラインに立ったという気持ちになりました。めんどくさい、なんとなくやりたくない、興味がないの一言で物事を済ませ、みんなそうだからとなんとなく決める未来で生きるのではなく、やってみたい!楽しそう!これが好き!から自分の未来を選んで自分の力で進んでいける子どもを増やしていきたいなと思っています。そのためには、まずは私から。世界はこんなに広くて面白い!をたくさん伝えられるようないつも愉しそうな人になりたいです。そして、やってみないとわからないし、やれば大抵のことはなんでもできるをモットーに挑戦を続けていきたいです。

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