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ユニークな教育方針の過程に育ち、小3でペルーに滞在、ヤンキー時代を経て教員を目指したり、コンサルタント→自衛官→リサーチャーと一風変わったキャリアを歩む彼がFoundingBaseで目指したいこととは?

一戸 現貴(Ichinohe Genki)

Contents Director/美幌町Team
1992年3月生まれ。神奈川県海老名市出身。玉川大学教育学部を卒業後、人材系コンサルティング会社にてコンサルタントとして2年間勤務。その後、陸上自衛隊に入隊し第一普通科連隊に配属。2任期(4年間)満了後は企業の信用調査やコンプライアンスチェックを行うリサーチ会社に入社し、リサーチャーとして年間400社以上の信用調査業務に従事。2022年11月にFounding Baseに入社し、北海道網走郡美幌町にて関係人口・移住定住促進事業を行う。

キーワードは「変」

「お前んちって家族全員かわってるよな」私が今でも強烈に覚えている幼少期の記憶です。
私の母は、親族の反対を押し切って単身スペインに留学し、スペイン大使館勤務後はフリーの通訳・翻訳家として独立。サッカーチームのレアルマドリードが来日した際には選手の通訳を務めるなど、所謂「バリキャリ」でした。
当然、家に遊びに来る母の友人もラテンアメリカ系で、休日には日本語よりもスペイン語が飛び交う国際的な家庭で育ちました。

一方で、ファッションセンスが独特(ご想像におまかせします)だったり、調理能力が欠如していたり、日本語でもLとRの発音にやたらと厳しかったりと、自分の家庭が「変」であることがコンプレックスでもありました。

そんなユニークな母の教育方針も漏れなく「変」で、小学1年生で実家の青森県まで夜行バスで一人で行くミッションがあったり、小学生3年生で当時高校2年生だった兄と二人で南米ペルーに1か月間、母の知人を探すミッションを与えられるなど、人に話してもなかなか信じてもらえないチャレンジングな幼少期を過ごしました。

そんな教育が奏功したのか、小学生ながらラグビー部と調理部(主に焼肉のタレを研究)を兼部しながら家では拾った黒曜石で弓矢の矢じりを作る母の思惑通り?の小学生になります。

育った地域が良かったのか7歳年上の兄がしっかりとツッパっていたのが良かったのかはわかりませんが「変」をいじられることはあってもいじめられることがなかったのが救いです。

中学では思春期特有の親への反抗、第二次性徴によるホルモンバランスの乱れ、当時流行っていたヤンキードラマブームも手伝ってか、「普通」にツッパるという、大変恥ずかしい学生になってしまうものの、高校に入り当時一緒に遊んでいた友人が留年したことや顧問の先生からの熱烈指導をきっかけになんとか持ち直します。

元々生粋の「変」教育を受けてきた私が「普通」解放されるとどうなるのか、、、

端的に言うと、ラグビーで強くなることを目的に運動生理学と栄養学を学ぶために国語・数学・理科を勉強し、海外から最先端のプロテインを購入する為に英語を勉強、結果的に学校の成績もV字回復。
人は目的が定まれば自ずと前に進んでいくという割と本質的な体験から教員を目指し、大学は教育学部に進学します。

エラー&トライな大学生活

お世話になったラグビー部の顧問の先生へのあこがれと自身の経験から、大学では教育学部に進学したものの、初日の受業選択で小学校教諭もしくは中・高の体育教諭(顧問の先生は高校の地歴公民・倫理の担当)の免許しか取れないことを知るというしくじり大学生活がスタートします。

当時は自分の下調べの甘さと教えてくれなかった同級生と先生(周りは中・高の体育教師になると思っていたとのこと)たちを一瞬恨んだものの、学生同士の相互支援を目的とした学生団体を創設して、大学生向けの料理教室を開催してみたり、長期休みにはバックパッカーをしてみたり、「らしい」ことは割とやれた大学生活だったと思います。
もちろんトラブルもたくさんありましたが、この頃から「貢献×挑戦」が自分の中で主軸になっていきました。

卒業後は、大学で社会人向けの能力開発・教育研修を専攻していたこともあり、新卒で人材コンサルティング会社に入社します。
コンサルタントとして、目標達成への考え方や具体的な技術を学びながら日々営業成果と向き合っていく中で「人生のうち1回くらいより直接的な貢献がしたい」と考え2任期(4年間)で社会復帰すると決めて、24歳で陸上自衛隊に入隊します。

Founding Base入社のきっかけとなった自衛隊とHIPHOPのレペゼン文化

入隊して6か月間は1部屋15人の共同生活を行うのが練馬駐屯地の教育規則でした。最初の3週間は外出(基地の外に出ること)も出来ず、24時間寝食を共にする同期とは強制的?に仲良くなります。
18歳から32歳まで年齢に幅はありましたが「同じ釜の飯を食った同期」としてお互いの身の上話や入隊の動機、地元にいる彼女の事まで本当にざっくばらんに話を聞く中で「育った町を愛しているけど、仕方なく」という理由で入隊した同期の多さに衝撃を受けます。

北海道・沖縄を除く45都府県、海外20か国にバックパッカーとして赴いて、なんとなく世界を知った気になっていた自分が急に恥ずかしくなると共に兄の影響で聞いていたHIPHOPのラッパー達がなぜ育った街・地域をレペゼン(代表)しながらそこでの現状を発信しているのかが腑に落ちました。
当時は具体的にどうしたいというのはありませんでしたが、2任期満了後に入社した東京商工リサーチにて上場企業から中小零細企業まで幅広い企業を調査する中で「なにがしたいのか、自分がどうなりたいのか」を考えるうえで、重要なキーワードになっていきます。

そんな中「自由」をアップデートするという一風変わったミッションを掲げた地方共創ベンチャーを知りました。単なる地方「創生」ではなく「共創」として地域が抱える問題を実際に地域に移住しながら発見し、共に解決に向けて歩んでいくというスタンスに興味を持ちました。
人口減少による経済縮小や東京一極集中問題など、前職で悲観的なレポートをたくさん書いてきましたが、これからは「そこに住む人がその場所に誇りをもって暮らせるように、一緒に魅力的なコンテンツを創っていきたい」と思いFounding Baseに入社しました。

実際に私自身も11月から北海道網走郡美幌町(残すは沖縄のみ)に移住し、FoundingBase所属の地域おこし協力隊として、まずはインサイドアウト、自分自身をアップデートしながら地域と共に歩んでいきたいと思っています!

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