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小中高大とサッカーに打ち込み、全国大会にも出場した彼が、サッカーの道から「まちづくり」に踏み出したきっかけ。

須田 光祐(Suda Kosuke)/Contents Director/大月team
1998年1月1日生まれ。島根県出雲市斐川町出身。高校卒業後は高知大学教育学部学校教育教員養成課程保健体育教育コースに進学。在学中に小学・中学・高校の教員免許取得。体育会サッカー部に所属し、サッカー・ビーチサッカーで全国大会に出場。大学を卒業後、テルモ株式会社に入社し、医薬品・医療機器営業を経験。営業を初めて1ヶ月で新規案件を獲得する。2022年7月FoundingBaseにジョイン。高知県大月町観光事業の立ち上げに奮闘中。

負けず嫌いなわがままサッカー少年。

男3人兄弟の末っ子で生まれ、家族や従兄弟からとにかく可愛がられて育ちました。「〇〇行きたい」「〇〇食べたい」と自分の言うことは絶対だと思っていたわがままな少年でした。

そんな私ですが、二人の兄の影響でサッカーを始めます。
「リフティング〇回できるまで、家に帰らない」など目標を決めて、練習していました。しかし、なかなか上手くできず泣きながらボールを蹴っていたことを覚えています。
大会等でも負けると大泣きするような負けず嫌いでした。

小学5年生の時にはスペインの名門クラブのバルセロナのコーチから実際にサッカーを教えてもらえる合宿へ参加するなど、とにかくサッカー中心の生活をしていました。

中途半端な人生

高校では島根県内の進学校に入学します。兄が大学に行っていたこともあり、勉強もちゃんとしながら、サッカーをしたいと思ったからです。

勉強では、周りのレベルに追いつけず、付いていくのに必死でした。
サッカーでは、国体候補選手に入るものの、腰の怪我をしてしまい辞退。
そして高校サッカーの最後の大会では、相手チームの選手にマンマークをされ思うようにプレーできず、不完全燃焼で引退しました。あまりの不完全燃焼で涙も出ませんでした。

私の高校生活はサッカーも勉強も中途半端な努力で終わっていました。
「もっと自分が努力していたら」「もっとサッカーを上手くなりたい」「もうできないと思える程やり切りたい」と思い、全国大会常連の筑波大学の進学を目指します。しかし、勉強もやり切ることができず、浪人をすることになりました。

「人のありがたみ」を感じた浪人時代

浪人生活は思っていた以上に大変でした。勉強量が大変なのはもちろんのこと、「次は失敗できない」「もし落ちたらどうしよう」というプレッシャーと不安がありました。

そんな不安を克服できたのは「絶対に筑波に行き、サッカーをやり切るんだ」という熱い気持ちと「周りの人の応援、優しさ」です。
私が勉強やサッカーの練習で上手くいかない時もいつも優しく、励まし、「こうすけなら大丈夫」と信じてくれた家族。「こうすけには大学で本気で勝負してほしい。期待してる」と、卒業してからもたくさんの友人から応援の言葉をもらいました。

今まで何気なく過ごしていて気づけていなかった「人の優しさ、人のありがたみ」を感じたと同時に、「人を大切にしないといけない」という勉強よりも大切なことを学びました。

プロサッカー選手にはなれなかった

筑波大学には学力が足らなかったものの、同じくサッカー全国大会常連校である高知大学に入学することとなります。

部員も多く、4軍まであり、入部してすぐに周りのレベルの高さに驚きました。入部直後は3軍でしたが、「このチームに必要な選手はなんだろう」と考え、努力しました。
その結果、大学3年生の春に1軍に昇格することができ、全国大会に出場することができました。

それでも、プロサッカー選手になることはできませんでした。
ただ、もうこれ以上サッカーをできないと思うほど、サッカーに向き合った4年間でした。

人の命を救う仕事に就きたい

私が大学生の時、認知症の祖母を看護師である母が自宅で介護していました。介護は大変で、母の体力も削っていきました。
「病気は本人だけでなく、周りの人も苦しめてしまう」と感じ、「少しでも医療に貢献したい」と思いました。
そして「医薬品・医療機器営業(MR職)」をテーマに就職活動をし、「低侵襲な医療」を実現しているテルモ株式会社に惹かれ、入社します。

入社後はMR試験という医学部生のような勉強をしながら、営業活動を行いました。初めは開業医、最終的には大病院を担当し、「傾聴力」「レスポンスの早さ」「行動の速さ」を学ぶことができました。
また、同期にも恵まれ、有意義な時間を過ごすことができました。

「自分」が町に関わることを目指す

社会人になり地元の島根県に戻ることが増えました。
これまでは知らなかった島根県の人の良さ、自然の魅力に気づいたと同時に、過疎地域で人も少なく、衰退している現状を目の当たりにしました。
「この地域を変えたい。何とかしたい。でも今の自分では何もできない。」そう思い、転職を決意しました。

転職活動では「地方創生」をキーワードに探しました。そこで出会ったのがFoundingBaseです。
「地方共創」を掲げ、「自分達が地域に入り込み、主体的にコトを創り、コトを進めていく」というスタンスに惹かれ、「この会社しかない」と思い入社しました。

入社後は大月町の観光事業の立ち上げに従事していますが、毎日が刺激的です。「須田」が、「FoundingBase」が、この町に来てくれて良かったと思っていただけるように、平凡を非凡に務め、コトを進めていきたいと思います。

今後の目標

やっぱり私にとって自分が育った町は特別なものになっています。将来は地元島根県を盛り上げたいです。島根県の人の良さ、食材の美味しさ、自然の豊かさなどまだまだ発見されていない魅力が詰まっている県だと思います。この魅力をたくさんの人に価値として届け、島根県を盛り上げたいです。そのためにも現在の大月町での観光事業をしっかりと成功させ、FoundingBase、個人としての可能性をもっともっと拡げたいと思います。

株式会社FoundingBaseでは一緒に働く仲間を募集しています
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