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「知られていない」ことをもったいないと感じ、学生時代にWebサイトの立ち上げを経験。それが原点となり地方の現状や魅力を発信するためにFoundingBaseに来た彼が目指すものとは?

久保 知輝(Kubo Kazuki)/Contents Director/東京team
大阪府茨木市出身。1995年生まれ。
大学時代は経営学部でマーケティングやマネジメントを学びながら、地域の情報を学生に発信して地域活性化を促すWebサイトの運営やフリーペーパー制作、イベント企画を行う。
前職では、投資用不動産のポータルサイトの運営を行う会社のメディア部門で、映像番組を制作しYouTubeを通して配信。
2022年5月にFoundingBaseにジョイン。現在は会社や地方の魅力を映像で伝えていく取り組みに挑戦中。

何が君の幸せ、何をして喜ぶ

小学校3年生の時に野球をはじめました。
きっかけは祖父の影響。熱狂的な阪神タイガースのファンで、休日に近くの少年野球チームの体験に連れて行かれ、そのまま入部することに。

「何でもいいから運動しなさい(野球しか選択肢はなかったが)」と言われるがままにはじめた野球でしたが、小さい頃から器用だったので飛び抜けてうまくはならないのですが、ある程度まではすぐに上達した記憶があります。体が細いので、ホームランは打てませんが、バントと守備が得意だったので調子の良い時は2番バッター、悪いときは6番7番、ポジションはキャッチャー以外どこでもできるような便利屋な選手でした。

人生最初の転機は高校生の時。
小学3年生から6年間続けてきたので高校でも野球部に入ったのですが、初めて時間の過ごし方に疑問を持ち始めます。

大阪府は高校野球の激戦区。基本的に大会は私立の強豪校しか優勝できません(大阪桐蔭や履正社など)。私が通っていた高校の野球部は過去一度もベスト32にも入れていませんでした。
なので目標も優勝ではなく、ベスト32。
現実的ではあるのですが、3年間を野球に費やして仮に叶えられたとしても、そこに誇りを持てるのかと思うと腑に落ちない。中学校までは恵まれていて、市の大会で何度か優勝したり、府大会でもベスト8まで行ったりと、コーチもメンバーも優勝するために本気だったので続けられたのですが、高校ではどこかはじめから「あきらめモード」。そこから、野球を続けてこれたのは達成感を感じられるゴールが決まっていたし、それに納得していたからであって、それがなくなると野球自体にそこまで愛がなかったんだと気が付きました。

ある日、たまたまYouTubeで「アンパンマンマーチ」がおすすめに出てきて、なつかしさから思わず視聴したんです。小さい頃から何回も聴いてきた歌ですが、しっかり歌詞を見ていなかった。改めて聴いてみると、当時の自分にはすごく考えさせられる歌詞でした。

「本当にしたいことは何なのか?」「何が幸せなのか?」ふと考えると、「心から楽しいと思えることがしたい」と思い、実は中学2年生くらいから好きだったサッカーを始めることに。とはいえ、高校2年生からサッカー部には入れなかったので、社会人のサッカーサークルをネット掲示板で見つけて参加しました。

はじめて自分がやりたいことを貪欲に自ら環境を作ってみて気が付きました。今まで自分の「やりたい」という気持ちを抑えていたことに。
思い返せば中学校からなぜかリフティングは100回以上できたし、家ではテレビで海外サッカーのニュースを深夜遅くまで見ていました。野球部の友達はプロ野球スピリッツばっかりしているのに、私はウイニングイレブンに没頭していたり。本当にしたいことには時間を忘れて夢中になれるし、上達も早い。何より楽しい。「もっと自由に生きていいんだ」と高校2年にしてようやく知りました。

「知らない」から損する

高校生の時はファッション好きで、その流れでセレクトショップのバイヤー、もしくは雑誌をたくさん読んでいた流れでグラフィックデザイナーになりたいなと考えていました。しかし、好きなショップの採用サイトで社員の卒業大学を見ると、当時の自分の学力では行けない大学の名前ばかり。そこで親に頭を下げて浪人させてもらい、一年間勉強漬けの日々を過ごして、第一志望の大阪の私大に入りました。

大学では、地元・茨木市を活性化する活動に授業そっちのけで没頭していました。
私の通っていた大学は私が入学する年に、たまたま私の地元・茨木市に新キャンパスが建ちました。私はそのキャンパスの一期生として入学することに。町に総勢約3000人の学生が町にやってくるというわけです。
すると町にやってきた学生たちは授業が終わると、ほとんどががすぐに電車に乗って帰ってしまう。ランチも学校の食堂で済ませて町に出ない。
なぜならは町のことを「知らない」から。「なにもない」と思っているんです。

もともと学生の町ではないので「知る」機会もないし、ネットではチェーン店の情報に埋もれてしまっている。
茨木市は大阪や京都都心部のベッドタウンで、人口が多いのに対して土地代がそこまで高くないので個人の商店が多い。チェーンのお店には少ないお店の個性や店主やオーナーとのコミュニケーションの機会もある。リーズナブルだし学生にとっては学びの機会にもなる。なのに学生にまで伝わらない。伝える手段がない。
それがすごくもったいなく感じて、友人とWebサイトを作り、町の個人経営の飲食店や雑貨屋さん、古着屋さんなどを紹介することに。

OICの学生がいばらきのしらないを発見する!サイト✨
立命館(OIC)の学生が茨木市の知らないを発見するWebサイト😁茨木グルメ、学内インタビュー、イベント情報、インターンなど、立命館大学大阪いばらきキャンパスの学生が大学生活をもっとエンジョイできる情報を発信します!OIC 3FのIdea.Labで活動中😆
http://syumi-do.xyz/

飲食店に電話でアポを取って取材をさせてもらい記事にしたり、それを見てもらうために学生が興味を持ちそうなコラム記事を書いたり、年に2回、市や大学、企業、クラウドファンディング等の協賛金でフリーペーパーを作ったりという日々を過ごしていました。

サイトのPV数は徐々に増え、お店側から「学生がお店にきたよ」と言ってもらえると本当に嬉しくて。
自分たちが作ったものが確実に役に立っているし、何より数字でしっかりとそれが証明されているということが嬉しかったです。

それと同時に難しさも感じました。
ただ作るだけでは意味がない。自己満足になってしまう。いいモノを作るのは大前提で、見てもらう、見つけてもらう工夫をしたり仕組みを作ることが何より重要で、そこに価値があると感じました。

動画クリエイターとしての道を進む

新卒では投資用不動産のポータルサイトを運営する会社に就職しました。文字で見るとお硬い印象ですが、賃貸物件をネットで探すように、売出し中のマンションやアパート一棟をネットで探せるというイメージ。「そこでなぜ動画?」となりますが、自社で登録者数35万人ほどのYouTubeチャンネルを運営していて、そこで動画を作っていました。

不動産投資は株やFXと比較しても知識量が成否に直結する投資。前職の会社は不動産会社ではなくあくまで広告会社。不動産を買いたい個人と売りたい(仲介したい)業者のマッチングでしたが、その中で「少しでも投資で失敗する人を減らしたい」ということから不動産投資をする人に役立つ動画を提供していました。情報格差を動画を通して解消できるという点に魅力を感じていました。

地域や地方に興味を持ったのは学生のWebサイト運営の経験もありますが、実は前職の影響が大きくて、、「一見、不動産投資と同関係があるの?」と思うかもしれません。

地方の物件は投資に向いていて、簡単に言うと都会に比べて購入価格を抑えられるんです。その分イニシャルコストを下げられるので、初期投資を少なく始めやすい。
でもその分、人口は少ないので場所によっては工夫しないと入居がつかない。しかし、人口が数千や数万の村や町でも、賃貸を作れば意外と埋まるんです。
理由はそもそもそのエリアに賃貸が「ない」から。
多くはないですが、「購入はできないけど賃貸なら住みたい」という人はいるんです。しかもその賃貸はもともと何十年も空き家だったり、ゴミ屋敷だったり。そんな空き家も賃貸にして情報を届ければ住む人はいるし、人口は増える。不動産投資を通して地域を活性化している面白い人が全国各地にいることを知りました。
そしてそういった人たちを取材し映像として届けていくと、案外地方に関心がある人は多いことに気が付きました。

「人口減少、少子高齢化だから~」という大きな概念で地方はこれからどんどん過疎が進むと言われますが、私はそうだと思わない。
魅力を伝えるためのコンテンツを作り、発信をして見てもらえるように工夫すれば、観光や移住の選択肢に入る。今のままの形で衰退するとは限らないと思っています。
今は地方の情報が不足しているから地方に対する「希望」よりも、なんとなくの「不安」が勝ってしまっているだけだと思っています。

そのように考えるようになり、不動産投資という枠組みではなく、もっと大きな枠組みで地方の現状を多くの方に提供し、知ってもらえたらすごく価値があるのではないかと思っていたところFoundingBaseに出会いました。
私は事業を作ったり、教育もできないけれど、動画を通してFoundingBaseの取り組みや、関わる市町村の魅力を発信することはできる。応募した結果ご縁があり入社することになりました。

ただの花畑か、観光地か

入社して2ヶ月目、私は北海道の富良野市にやってきました。
富良野市はラベンダー畑が有名。毎年シーズンにはたくさんの観光客が日本内外から訪れます。
このラベンダー畑が有名になったのは、ドラマ「北の国から」のロケで使われたことがきっかけだそう。
それ以前は地元の住民しか知らないただのお花畑で、しかも観光のためではなく、油や香水の原料として育てられていたといいます。
もしドラマで使われていなかったら今頃、ラベンダー畑の存在なんて誰も知らなかったかもしれないですし、今みたいにリゾート化していないかもしれません。
そもそも北の国からが有名にならなかったら、そんな世界線があったらどうなっているか見てみたいですね。

日本全国、どんなところでも魅力はあるはずです。でも意外と住民は当たり前過ぎて気が付かない。見過ごされている魅力がまだ日本にはごまんとあると思います。
そんな魅力をFoundingBaseの活動と共に発信し、日本を元気にしていきたいと思います!

株式会社FoundingBaseでは一緒に働く仲間を募集しています
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