連載:わたしの離島Life③
日本海の隠岐諸島に位置する島、海士町。
人口約2300人のこの離島には、なにかの引力がはたらいているかのように、
多様なバックグラウンドを持つ人々が引き寄せられ、生活をしています。
離島の営みを紹介する連載「わたしの離島Life」。第三弾は、Entôの要であるクリンネス業務とリネン業務を担う石田大悟さん。Entôだけでなく、中学校の部活動までも支える「助け合い」の離島ライフをお伺いしました。
Profile:石田 大悟(いしだ だいご)
1980年生まれ。大阪出身。大学卒業後に京都の呉服専門アパレルチェーンの企業に就職。その後、株式会社ふるさと海士cas凍結センターの1期生として来島。一度本土に戻るも、海士町に戻ってきて海士町に恩返しをするべく働く。現在Entôではクリンネス業務とリネン業務を中心にバックヤードのチームリーダーとして働いている。
25歳、まったく知らなかった「海士町」へ
ーーまずは海士町に来た経緯を教えてください
25歳になるときに、ぼんやりと「なにか面白いことがしたいな」と思っていました。そんな時に「離島で宝探しをしませんか」という海士町の求人のキャッチコピーに惹かれたのがきっかけです。「海士町(あまちょう)」の海士を「かいし」と読んでいたくらい、海士町のことも隠岐諸島のことも何も知りませんでした。
その時は今みたいに島体験や島留学の制度はなく、海士町の人口が減少し続けていることに対してなんとかしなければならない、というフェーズでした。それを防ぐために「ふるさと海士」という会社ができ、その年に一期生としてこの島を訪れました。そこで1年半ほど働いた後に、一度本土へ戻り、また7年後に海士町に帰ってきました。今から9年前ですね。Entôのクリンネスをやりはじめたのは2年前くらいです。
ー-Entôのクリンネスではなぜ働き始めたのですか?
近所に住んでいたEntôの社長である青山さんが面白そうなことをやると聞いたので、青さんにお願いしてEntôにいれてもらいました子供が同い年で近所に住んでいたので、仲がよかったんですね。僕自身もふるさと海士で働いていた時に非常に多くの方にお世話になりました。海士町でお世話になった皆さんに恩返しするために、とにかく海士町のためになることがしたい、と思っていました。
青さんにEntôのなかでもクリンネスメンバーが足りないということを聞き、自分にできることなら何でもしたいと思い、Entôの裏方であり一番重要な業務であるクリンネスとして仲間にしてもらいました。
リネンまで自社で行う自給自足クリンネス
ー-Entôは島にリネン工場があるんですよね。ホテルのクリンネス業務とリネン工場での業務をこなしているのは特殊だと思いますが、具体的にどういったお仕事をされているんですか?
海士町のコンセプトどおり、「ないものはない」のでホテルなどのリネン類を請け負うリネンサプライ業者がないんです。
しかし、本当に必要であれば自分たちで作ろうということで、数年前青山さんがリネン屋さんを自分たちで作ったんです。そのため今Entôではリネン工場も自分たちで運営しています。なのでEntôではホテルの清掃とリネン工場でシーツやタオルをクリーニングすることの両方を担っています。朝からリネン工場でシーツを洗濯している日もあれば、昼まではEntôで客室清掃を行って昼から洗濯機と乾燥機を回しに行くこともあります。
ーー普通、リネンは外注するものですよね。リネンまでEntôで行っているのは特殊だと思いますが、なにかその仕事で印象に残ったエピソードはありますか?
Entôではやっぱり離島なので人が少ないっていうのはネックでもあるんですが、そこを補うチームワークがあることが印象深いです。
時には行政や民間の団体の方々、島の高校生など島内の様々な人たちがリネン工場やクリンネスの業務を手伝ってくれています。普通のホテルでは珍しいと思うのですが、海士町では島内の人たちが積極的に人手が足りていない仕事を手伝いに来てくれます。
特に夏は体感40度くらいの暑さの中でシーツを畳むのですが、みんなで汗だくになりながら働くんです。そうすると山のようにあったリネンがみるみるなくなっていきます。汗だくになって最後は大きな声で挨拶して帰っていくのですが、その後ろ姿を見たら、「ああ、今日も終わったな」という強い達成感があります。
オープンしたての時期も人が足りず、なんと役場のお偉いさんに手伝ってもらいました。手伝っていただいたあとに、Entôのクリンネスが大好きだというお言葉をいただきました。
彼らはこうおっしゃっていました。
「毎日進歩が目に見えにくい仕事をしていて、下手したら後ろに下がっている日もあるかもしれない。しかしリネンは目に見えて山のようなシーツやタオルがなくなっていくので、進歩がわかって達成感が味わえる。」
実際に1日1日が終わったときの達成感は毎日身に染みて感じています。
中学校の部活動まで手伝う離島の「助け合い」文化
ーーさくらの家の方や、役場の職員さんにもご協力いただいているEntôのクリンネスは本当に島の人に支えられていますね・・・。そんな助け合いが見られる海士町ではどういった風に暮らしているんですか?
最近はもっぱら休みの日でも仕事の日でも子供の部活動に参加しています(笑)今週末に最後の大会があって、じつはこのインタビューの後も高校に行って練習に参加するんです。
ーー大忙しですね!応援しに行くということでしょうか?
いえ、部活動の顧問としてです。実はもともと海士中学校にバスケ部がなくて、うちの子が中学校1年生になった時に作りました。学校側は部活動を作るのは問題ないが、顧問の先生が全然いないから保護者が見てほしい、といっていたのでその通りやっています。保護者が見る代わりに他の部活動と同じ条件で活動させてもらっています。体育館も貸してもらえるし、大会があれば海士中学校として出場させてもらえるし。
なので、仕事がある日は6時にリネン工場にいって15時か16時くらいに終わってそこからリネン工場の隣にある海士中学校に向かいます(笑) 夜間練習の日は21時くらいまで練習の指示だしをしていることもあります。
ーータフなスケジュールですね・・・!
そうですね(笑)
そういった保護者の方が多いので、海士町では特に子供がいると特段にコミュニティが広がる気がします。地元の親たちで協力して子供の部活動をサポートするのでご近所付き合いだけでなく部活動付き合いの時間も増えますね。
これからは攻めの姿勢で。クリンネスをクリエィティブに。
ーーリネン工場と同じ、島民による助け合いが部活動でも行われていたんですね・・・
そんなハードスケジュールを送る大悟さんが今後Entôのお仕事でやりたいことはありますか?
はい。クリンネスをクリエイティブな仕事にしたいと思っています。
Entôのクリンネスチームって満点で当たり前、そこから減点される世界なんです。髪の毛が一本でもお部屋に落ちていたら減点ですよね。だからこそ、仕事が守りの姿勢にはいってしまいます。その軸ももちろん大切なのですが、これからのフェーズは点をとりに行きたいと思っています。
客室やしつらえもEntôや海士町のコンセプトに沿って行くべきだと思うんです。
例えば、植物で言うと、季節が冬で綺麗な花がなかったら枯れた枝が飾ってあってもイイと思うんです。花瓶に刺さった状態でお部屋にでも共用部にでもおいてあれば、それは「ないものはない」という海士町のコンセプトにも合っているということです。
また、クリンネスメンバーや海士町の島民の強みを活かしてここにしかないお花を飾ったり、陶芸品をお部屋に置いたりしていきたいです。
そういった些細なクリエイティブを効かせたしつらえがなにかの問いかけにもなると思います。そういう世界観で仕事をしていきたいです。
ーー大悟さん、素敵な離島ライフとEntôのクリンネスについてお話いただき、ありがとうございました。島民の助け合いが海士町を支えているのだと実感できました。
離島ライフやクリエイティブな仕事に興味のある方はカジュアルな面談もできますのでぜひご連絡ください。