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2019年11月26日、3Backsは設立から10年を迎えました。
配管工の建設業を営む父のもとに産まれながらも、家業を継ぐことに抵抗を感じてきたという三浦代表。27歳の時、営業本部 木村太一部長たちとの出会いを経てひとつの夢を成し遂げます。
しかしながら、そこからはじまったのは紆余曲折の日々でした。
事業の成長・拡大・撤退を繰り返し、決断の連続の果てにめざましい成長を遂げます。
オフィスも池袋から北参道に移転し、2名だった社員数も今は100名を超えるほどになりました。
過ぎ去った10年という濃密な時間。
この節目の年を祝い、3Backs初期メンバーたちがその軌跡を回想します!
第1回目の今回は、三浦尚記代表取締役のインタビューをお届けします。
■まずは、自己紹介!三浦代表ってこんな人!!
1981年埼玉県生まれ
好きな言葉:清くに然るがままに 禁欲しつつ我がままに
※三浦代表が好きなコミック、山田芳裕の『へうげもの』に登場する言葉です。
好きなブランド:N.HOOLYWOOD
3Backsの社名の由来:3(み)Backs(裏=うら)
☆三浦代表への33の質問―好きな漫画のキャラから人生哲学まで、徹底的に聞きます!!―
三浦代表の魅力をもっと掘り下げるために、33の質問やってみました!
(100の質問が一般的かもしれませんが、3Backsらしさを追求した結果、質問は33という中途半端さ!ここに、ちょっと変なこだわりがあります:笑)
聞き手は、広報部スタッフのきこりんが担当します。彼女が運用するリバラボ公式Twitterも、ぜひチェックしてみてください!
見城徹さんのどのようなところを尊敬しますか?
成したいことに対してすべてを犠牲にすることができる、負荷のかけ方が半端ないところですね。
ピッコロさんの魅力を語ってください。
それは、考えたことがないですね (笑)。ただ、姿もカッコイイし。いいヤツになっていく過程もいい、それを言うとベジータもそうですが(笑)。だから、ベジータも好きです。
それなら、なぜあえてピッコロさんなのかと聞かれたら、「いつからそんな弱いキャラになってしまったんだ、ピッコロさん!!!!」って、そう思わせるところが好きなのかもしれません(笑)。
さて、ここからは少しだけ真面目に、三浦代表のインタビューをお届けしたいと思います。
10年を迎えどのような感慨を抱いているのか、そしてリバースラボに込めた思いなどを聞いていきます。
■10年を迎えた今語られる、最大の窮地
10年という節目は意識していましたか?それとも気づいたら10年でしたか?
意識していなかったいうことはないですが、10年経ったことに対する感慨はあまりないですね。印象としては乱高下がすごかったなと(笑)。
立ち上げ当初のメンバーを教えてください。
最初は木村さん(営業本部 木村太一部長)とふたりで、少しして亮平(営業管理部 鈴木亮平本部長)がジョインした形ですね。
10年で最大のピンチはいつですか?
立ち上げ当初ですね。
好きだからという理由でアパレルをはじめたのですが、販路もないのにアパレル商品を大量に仕入れたりとか、作ったりしてしまって、半年で借金が2,000万という状況に陥りました。
さらにその時、妻のお腹には子どもがいた… という時でしょうか。
■劣等感が生み出したリバースラボのプロジェクト
過去はダメ人間だったと自称する三浦代表の、これは誰にも負けない!ダメエピソードをご紹介ください。
10代の頃は塾に行かせてもらっていたのに、ずっと漫画を描いたりとかしてサボって、真面目に勉強をしたことがありませんでした。
好きでやっていた野球も、努力したことはなかったですし。大学も7単位しか取ることができず、結局中退しています。恩師や親に紹介された仕事先も半年で辞めました。
あとは、日焼けサロンで真っ黒に焼いて、女の子に声をかけて回ったり… とか。
それは、まぁ、若者としては健全じゃないですか?(笑)
そんなダメな頃があってよかったと、今になって思うことはありますか?
あります。劣等感は≪力≫になりますから。だから見返したいというところは、今でもあると思いますよ。
※内定式でスピーチする三浦代表。毎月数名の研修生がジョインするリバースラボ、ここが自分を変えるための第一歩となります。
今、一番力を入れているのがリバースラボのプロジェクトですが、明確な昇格基準など、こだわりも多々見られます。どのようなことを意識しながら、このシステムを作りましたか?
これは実体験に基づくものであり、そういう子たちと何人も向き合ってきた結果です。ただ単に仕事だけ与えられて、真面目に働いても働かなくても、1年後に数%の昇給があったりなかったりとか… そういうところではなくて、自分がしっかり認められていることを感じることができる仕組みづくりが必要だと思いました。
真面目にやればやった分だけ評価されて、どこまでも自分が上がることができると信じさせるためにはどのようにすればいいか、同時にどのようなプランだったらそれを掴んだとしても慢心することなく、成長し続けようと思うのか、トライ・アンド・エラーで作ってきました。構想自体は、20代の頃からありましたが。
三浦代表にとって、リバースラボのプロジェクトで関わる研修生や社員はどのような存在ですか?
研修生は自分の子ども、社員はチームメイトや仲間ですかね。
研修生には親のように接しますし、社員にも親代わりというほどではなくても同じような立ち位置で彼らと接してもらい、そして僕と共有し合う、そんなチームメイトであり仲間じゃないかなと思っています。
※9月期決起会では、研修生たちと一緒に誕生日を祝いました!ケーキを前に最高の笑顔が咲きます。