佐藤菜摘
ブランドマネジメント室 広報・PRプランナー
国内機械メーカーで法人営業やブランドマネージャー、PRなどを5年経験。2018年3月中川政七商店入社。広報・PRプランナーとして、中川政七商店のブランドコミュニケーションや工芸メーカーのコミュニケ-ションサポートに携わる。公式インスタグラムの運営も担当。
東京の下町、小さな商店街で生まれ育った私は、いつも暮らしの中につくり手がいました。
ちりめん細工職人、手づくり豆腐店、町工場の匠たち‥‥商店を営む祖父母にひっつきながら、ものづくりに携わる人々の姿を眺める毎日。しわが刻まれたあの手から、小さく丸まったその背中から、なにかが生み出される様はまるで魔法のようでした。
手先が不器用な自分は、そうした人やものへの愛を「作り手」ではなく「伝え手」として繋いでいきたいと、いつからか思うように。でも、どんな業界がいいのか、そもそもどんな職業があるのか、ずっと答えは分からずにいました。
前職は、大きな工場をもつメーカーに入社。一つのブランドの商品企画、マーケティング、営業、PRなどものづくりの川上から川下まで任せてもらえ、気が付けば夢中になっていました。そして自分は長所も短所も「情熱」なんだと自覚し、その情熱をより発揮できそうな場所で働きたいと、また一歩新たなステージへ進んでみたくなりました。
“日本のものづくりを世の中に広める”。
高校生の頃、メモに残した言葉です。大それた夢ですが、10年以上たった今でも心に灯し続け、すべての原動力になっています。
この夢を実現させるには、中川政七商店しかない。人の手から生み出されるものへの愛を爆発させるには、もうここしかない。そんな気持ちで会社の門を叩きました。
卸や展示会を担当する「大日本市課」のメンバーとして配属され、楽しく働きはじめた頃。入社一か月後の面談の日に、突然「広報職」への異動を提案されました。前職で広報を経験していたし興味はあったものの、青天の霹靂。創業300余年の歴史とこれからの未来を「広報」として担うことに不安を感じ、目の前が真っ白になったのを覚えています。
あれから5年の月日が過ぎ‥‥
“いま、自分は「天職」に就いている。”
大げさに聞こえるかもしれないけれど、ふとした瞬間に、そう思います。あの日の異動をきっかけに、私の中の歯車がピタっとハマったように「情熱」が加速していきました。
たくさんの人が手をかけて生まれる商品やプロジェクト。そこに「世の中の視点」を加えることが私の仕事です。新商品が出るたび、あるいは社内のデザイナーや産地のつくり手の方々と話しをするたび、彼らの想いを世の中に届ける媒介者になれることに、最高にワクワクします。
すべては百年先の日本に、工芸を繋いでいくために。小さな一歩かもしれないけれど、点と点かもしれないけれど、社会を変えていけることに、大きな喜びと誇りを感じています。
そして会社のことを誰よりもたくさん知れる、というのも役得です。社員と話すたび、会社の歴史を知るたび、これからの会社の進む道を聞くたび、「いい会社だなぁ」と口癖のように呟いてしまいます。
はたらく人全員が、同じ旗印に向かっていること。それがこんなにも気持ちよく、そして一人ひとりの戦闘力を上げるんだ。日々、ビジョンである「日本の工芸を元気にする!」の存在を噛み締めながら過ごしています。
5年前、1人心細くスタートした広報ですが、とにかく全力で取り組んでいたら、気がつけば職種にとらわれずさまざまなプロジェクトに呼んでもらえ(時には呼ばれてなくても勝手にジョインし 笑)、おかげさまで広報チームも3人に増えました。
あの頃の夢に、人生で一番近づいている今。
広報という仕事に出会えたことはもちろんですが、中川政七商店ではたらけていること、何よりものづくりに携わる人々とはたらけていることが、最高に幸せで最高の「天職」だと信じています。
この先もし環境が変わっても、この情熱はずっと絶やさず、そして自分に恥じない仕事をしていきたい。
まだまだ、わたしの夢ははじまったばかりです。