今回お話をお伺いするのは、アカウントプランナーの李晟在(イ・ソンジェ)さんです。
立命館アジア太平洋大学(APU)を卒業後、人材ベンチャーに入社。関西拠点の拠点長を歴任した後にNateeへ参画されました。現在はTikTok事業のアカウントプランナーとして、クライアントの課題解決に奔走されています。李さんは何故Nateeという船に乗り込むことを決断したのか、そのストーリーに迫ります。
「国による文化の違い」へ興味を抱いた幼少期
ーー本日はよろしくお願いいたします!まずは簡単に李さんの現在のミッションをお伺いしてもよろしいでしょうか?
現在はTikTok事業のアカウントプランナー(営業)として代理店様向けの営業全般を担っています。お客様のニーズを拾い、解決施策を考案し、最適なクリエイターに力添えしてもらうことで課題を解決するまで最前線で走る業務です。
よくお客様ファーストという言葉がありますが、私の中でのアカウントプランナーの役割は、お客様・クリエイター・自分(自社)に利益をもたらすこと。
アカウントプランナーは三者全ての立場を自分ごととして捉え、Win-Win-Winな価値提供をできる唯一無二の存在だと捉えており、誇りをもって遂行しています。
ーークライアントだけでなくクリエイターも自社も勝たせる、ということですね。Nateeにジョインする前はどのような人生を歩まれていたのですか?
生まれは韓国のソウルで、その後3歳の頃に福岡に移住しました。
そこから福岡県福間町という、お風呂にマムシが出たり屋根裏にはネズミが住み着いていたりする、いわゆる「ド田舎」で育ちました。
両親はとても厳しく、ゲーム禁止、友達と遊ぶのは金曜日だけ、消灯時間は19時、などたくさんのルールがありました。当時は「爆笑レッドカーペット」や「エンタの神様」などお笑いブームがきており、それが見られないことがとても悲しかったのを覚えています。(笑)
その代わり、海外旅行に連れていってくれたり、習い事に関してはやりたいこと全てを経験させてくれたりと、スポーツはもちろん美術や音楽など様々な経験をさせてもらいました。
ですが、ほとんどの習い事があまり長くは続かず、唯一残ったのが水泳と海外への興味でした。
水泳は本当に面白かったです。0.1秒の中で数千人以上の人が競い合っていて、泳ぎ方の見た目・フォームから筋肉の付け方、爪や体毛の管理などによっても結果が変わる完全自己管理型の競技なんですね。結果のめり込み、土日も含めて毎日スクールに通うような日々を送りました。
ーーこの頃からストイックだったことが窺えます。(笑)海外への興味というのは?
中学・高校は中高一貫校に入学したのですが、この頃から海外に興味を持ち始めます。
私自身が日本で生活する外国人であるという出自から、幼い頃から様々な国の人と関わる機会があり、普段の細かい会話や行動が国によって全然違うということがとても不思議だったんです。
例えば、学校で先生に怒られている時。俯いていると「どこを見ているんだ。先生の目をみなさい」と言われます。一方、家では怒られるときに相手の顔を見ると「何を見ているんだ。反抗しているのか。下を見なさい」と言われるんです。面白くないですか?(笑)
こんな違いをもっともっと知りたいと思い、大学は在校生の7割が留学生で占められる立命館アジア太平洋大学(APU)へ進学しました。
大学生活では毎日のように互いの文化を共有しあったり、時には宗教の考え方で思想を語り合ったり、実際に宗教行事に参加してみたりと、今考えても刺激的で充実した生活を送っていました。
「日本一」という言葉に魅せられて入社した人材ベンチャー
ーー文化の違いに興味を持った幼少期だったのですね。就職はなぜ人材ベンチャーを選んだのですか?
そんなこんなで2回生になった頃のこと。先輩たちの就職活動をしている姿をみて、率直に「サラリーマンにはなりたくない」という思いが込み上げてきたのです。
「これから家族を養い、世界を変えるために出勤するはずの人々がなぜ俯いて辛そうに歩いているのだろう。サラリーマンってダサい」と。
そんなネガティブな感情から「別に日本で働く必要はないな。別の国を見てみよう」と、当時たまたま募集があったカンボジアのビジネスインターンに参加してみることにしました。
プログラム前日にカンボジアに前入りし、ホテル近くのパブで涼んでいると、ある日本人の方から「日本人ですか?観光ですか?」と声をかけられました。
そのまま話の流れでその方と一緒に座ることに。
思い詰めていたこともあり、私は見ず知らずの人に「サラリーマンはダサいから、サラリーマンになりたくない」ということを打ち明けました。
すると「何も知らないお前の方がダサい。俺たちの会社を見てから言え」と言われたんです。
衝撃でした。まさか海外で怒られるとは。。(笑)
しかし俄然興味が湧き、カンボジアでのプログラム終了後にその足で、バックパックとタンクトップ、ビーサンという伝説的な格好で、名古屋で行われた説明会兼選考会の会場に向かいました。
面接会場に着いた私は驚きました。
そこでは大人たちが「日本一になるんだ!」と目をキラキラさせて学生に夢を語っているんです。
その瞬間、自身のタンクトップ姿よりも、それまで発していた自分の言葉が堪らなく恥ずかしくなりました。そしてこの一連の流れに導かれるように、私はその会社(ウィルグループ)に入社をしたのでした。
ーー運命的な出来事があったのですね。入社してからはどのような仕事を?
入社当初は散々でした。
配属先では私を含めた同期3人が配属され、彼らに負けたくないという「競争心」と「根拠のない自信」が暴走し、「誰にも頼らず全部自分一人がやる」と身勝手に走り出していました。
結果、既存クライアントからの担当NGを4件、クレームを2件、売り上げにして単月1,000万弱を飛ばす結果となりました。主な理由は訪問のしすぎでした。
今考えれば、犯罪者扱いされてもよかったレベルではないかと思いますが、当時の上司からは「知識がつけばその攻撃力は武器になる。そのまま変わらず続けて欲しい」と言われ、「この人たちを後悔させない」と誓いました。
その後は心を入れ替え、約1ヶ月間休みを返上して会社に篭りました。平日は必死にPDCAを回し、土曜日午前中に前週の疑問点を解消する。土曜日の昼からは改善点が正しいか実践をしてみる。日曜日は支店の数字と自身の数字の乖離を確認し、メンバー乖離分を自分の数字にカウントした場合の乖離まで落とし込み、達成のための計画をひく。その繰り返しでした。
最初はきつかったのですが、面白いことに同期に追いつくため土日に私が出勤していることを知って、他の同期も出勤するようになったんです。(笑)そこからは土日に新卒の同期3人だけで支店の未来を語り合ったり、数字をいじって遊んでみたりと、繰り返すうちにいつしか1週間かかっていた業務が1日でできるようになっている自分がいました。
それが結果にも現れ、月間MVP受賞と共に当時最年少となる拠点長登用をしていただきました。この時は嬉しいよりも安心の方が大きかったです。
ここからは拠点長という立場で、プレイヤーからマネジメントに業務が変わり苦戦します。
なにより、新卒1年目がいきなり28名も在籍する拠点の責任者になったものですから、私よりも経験があるメンバーもいれば年上の方もいます。しかも、その方々は私が入社当初起こした失敗を知っているわけです。
まずはその嫌悪感とも言えるものを解消するために、毎朝毎晩各メンバー1人1人とMTGを組み、アイデンティティや想いを共有するところから始め、会社の目標とは別に拠点独自の定量・定性の目標を組みました。
そうした地道な努力が功を奏し、担当拠点から月間MVP3名の創出(600人中)、中途新人賞1名の創出(全社6,000人中)という結果を残すことができました。
より沸き立つ環境を求めて転職を決意
ーー目覚ましい活躍ですね。そのような活躍があった中で何故転職を考えたのでしょうか?
転職を考え出したのは2年目の秋頃でした。
仲間にも恵まれ、仕事生活も充実はしていたのですが、何か喉に引っかかるというかスッキリしていない自分がいました。組織にもある程度慣れ、業界上の戦略も組織としての強みの発掘も形になってきていたのにも関わらず、その反面組織のことしか考えられないというか、利益になることしか発言できないようになっていく自分がいてとても嫌だったんです。
もう一度初心に帰り青臭い夢を追いかけたい。そうした思いが大きくなり、転職することを決意しました。
転職活動の軸は新卒時代と変わらず、「熱い」「気持ちいい(仲間や風土)」「ワクワク」の3本で望みました。業界の絞り方として、やはり今までの経験や知識が活かせる分野に行くべきかどうか迷いましたが、1度しかない人生、別の畑に飛び込んでみるのもありだなと思い、「これからはITである」「広告業界は全分野に通ずる」と、ITや広告と言った業界で仕事を探し始めました。
そうして色々なところを受けたのですが、軸が多い分中々ハマらず、そんな中エージェントさんに紹介された求人票の1つにNateeがありました。
見出しには「TikTok専門特化!」と大きく書いており、事業においても3本の矢やらなんやらいうこの時代に、「え?尖りすぎじゃない!?なんだこの会社は!」と、気付いた頃にはクリックをしていました。
Nateeの面接の過程では3名の方とお話をさせていただいたのですが、これがもう私の求めていたもの全てが詰まっている方々だったんです。
1次面接のあつひろさんは、独自の波長を持ちながら何故か話が引き出される気持ちよさを持っており、2次面接のだいすけさんはもう、熱すぎるし気持ち良すぎるしワクワクしまくってるし、3次面接のりょーけんさんは、選ぶワードに闘志が見える。
この3人のキャラクターを見て、「この会社には本気でキラキラした人が集まっているんだ」と確信し入社を決意しました。
ーーここでも「人」に惚れ、人生の舵を切ったことが窺えました。実際に入社してみてどのように感じますか?
入社する前からミッションである「人類をタレントに!」という言葉に魅了されていたのですが「どれどれ社内の人間は果たしてタレント(個性と才能を発揮する人)なのかな」と窺っていたところ、メンバーの「飾らない姿」にまた衝撃を受けました。
前職では採用も担っていたものですから、面接時に会社は強みや良い所を並べ、面接者も内定を貰う為に自身を取り繕ったりすることは珍しいことではないことを知っていました。
しかし、Nateeのメンバーは皆、自分たちの弱みや足りないところを素直に見せる人たちでした。
また、強みも各々に尖りきっていて面白いのです。
Nateeにはコミュニケーションモンスターもいれば、ロジックモンスターもいる。コミュニケーションモンスターは1人1個のお土産を平気で3つ頬張り、ロジックモンスターはボケに対して「それはどういう意味?」と真顔で返します。例が適切かはわかりませんが(笑)、とにかくNateeに属するのは単なる会社員ではなく、純粋な「人」であるイメージです。
さらに、Nateeには過去・現在・未来に分け、1時間ほどかけて自身を紹介する時間があります。人生のバックグラウンドや、困難・試練を乗り越えたストーリー、そこから形成されたアイデンティティや未来に対する想いを共有しあうことで、自身の立ち位置の再確認と互いの人間性を知ることができます。
そのおかげで仲間の強みはわかりますし、本心からリスペクトを持って接することができます。
ーーありのまま自然体の社員が印象的ですね。今後Nateeではどのようなことを実現していきたいですか?
まずはTikTok事業を業界でNo.1に仕立てることです。
アカウントプランナーは主に1→100を作る役割であると考えています。組織にどれだけ偉大な社長がいても、どれだけ優秀なブレーンがいても、サービスのクオリティやスピード感はプレイヤーの匙加減1つで変わってしまうもの。故に「No.1へのハンドルを握っているのは私である」という認識でコミットしています。
そしていずれは、私たちの手がけるサービスが人類をタレントにするきっかけとなり、ある種インフラのように「サービスがなかった時代はどうやって生きていたんだろう」と思っていただけるような状態になることを夢見ています。
今は、その第一歩としてTikTok事業に着手しておりますが、私たちのミッションはTikTok事業ではなくあくまでも「人類をタレントに」することです。自身を含め一人一人が個性と才能を発揮し、ありのまま生きられる社会をつくります。楽しみにしていてください。
ーー熱いを思いをありがとうございます!それでは最後に、このストーリーを読んでいる方に向けてメッセージをお願いします!
私は転職活動をするに伴い、沢山悩み、何度も踏みとどまりました。同じような方がいればその方々に伝えたいです。
「自分の人生を決めるのは自分である」
と。
仕事探しや転職活動に夢はあれど、避けられない現実があることを自身の経験からよく理解しています。実際私自身も周りからは「スタートアップで大丈夫なの?」等色々なことを言われました。
そんな中、私がNateeのようなスタートアップ企業、つまり極めてリスクの高い環境へ転職することを決断したのは、死ぬ間際に「やりたいことはできなかったけど、人生悪くなかった」とは決して言いたくないという想いからでした。
もう一度言います。自分の人生を決めるのは、紛れもない自分自身です。一度しかない人生、悔いのないよう全力で生き抜いてみてください。自分を信じて。
それともし、この文章を読んでNateeに興味が湧いたなら、ぜひ扉を叩いてくださいね。メンバー一同、ありのままの自然体で、お待ちしています!
Photo by Ryota Tawa