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すべての人に「自分らしい生き方」を。Natee役員が語る、信念と生き様について

今回お話をお伺いするのは、営業執行役員の朝戸太將(あさとだいすけ)さんです。

東京大学経済学部を卒業後、リクルートキャリアを経てNateeに参画。現在は事業責任者としてNateeを牽引されています。朝戸さんは何故Nateeという船に乗り込むことを決断したのか、その信念と生き様に迫ります。

幼少期から叩き込まれた、相互補助と自立の精神

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ーー本日はよろしくお願いいたします。まずは簡単に現在のミッションをお伺いしてもよろしいでしょうか?

現在はNateeの創業事業であるTikTok事業の統括をしています。クリエイターが活躍できるステージを増やすために、事業戦略の立案〜実行(営業推進・PR・パッケージ開発など)、および組織のマネジメントを行っています。代表の小島が会社全体の経営戦略・ファイナンス・テクノロジーを、私が事業の執行・組織のマネジメントを管掌する形でロールを棲み分けています。

ーー第一事業を拡大するための全領域を統括しているのですね。ここから朝戸さんの人生を濃密にお聞きしていきたいと思います。幼少期はどのように過ごされていたのですか?

私は茨城育ちなのですが、生まれ故郷(本籍)は沖永良部という鹿児島の離島にあります。個人のルーツはその島と家族の影響が色濃いのですが、とにかく相互補助自立の精神が強いんです。

祖父が島でびわ農家をしていたのですが、本当に強烈な人でした。10人兄弟を養うために、勉学を諦めて中卒で農家になったのですが、学問や教養への思い入れが強く、大量の本を読み自己研鑽を積んだ人だったんです。子供の教育にも熱心で、「子供には自分と同じ思いをさせたくない」といって2人の息子を医者に育てあげたり、まさにたたき上げって感じの人でした。

私に対しても祖父は電話のたびに「太將は恵まれている、当時のじいちゃんは勉強したくても働くしか選択肢がなかった」「ただ勉強ができるだけではダメだ、人生のビジョンを持ちなさい」「将来の展望は決まったのか」などと口酸っぱく言われていましたね。(当時の僕にはなかなか面倒でした。笑)

ーー小さい頃から自立を重んじる環境があったのですね。ご両親はどのような方たちだったのですか?

父、母は進路に関しては非常にリベラルで医者になれと言われたこともなかったのですが、結構ストイックに育てられたとは思います。自由と責任、自立みたいな考え方は幼少期から叩き込まれていた実感があります。

ーー幼い頃から逞しさが培われてきたことを感じます。学生時代はどのように過ごされたのですか?

高校まではクラスの中心にいることが多く楽しくやっていましたが、「信念のある自立した男になりたいと思う一方で、人間関係とアイデンティティに悩む」といった、内面での葛藤は多かったと思います。

というのも、小中学校の時にそれぞれ1回ずつシカトをくらったことがあり、出る杭が打たれることにトラウマがあるんですよね。「自分らしくのびのびと生きたいけど、嫌われたくない。根本的に自分に自信を持つにはどうしたらいいんだろう」と幼心ながら悶々としていました。

それで、大学選びのタイミングでは「東京という、人と機会に恵まれた環境で尖った仲間と過ごせば、自分らしい道が開けるのではないか」と思い、東京大学に進学しました。

「自分という存在自体に価値がある」という信念の芽生え

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大学時代は自分の殻を破りたい思いと、かねてから抱いていた表現者への憧れから、入学してすぐ劇団の門を叩いて役者を目指すようになり、演劇に打ち込んでいました。

登場人物が生きる人生やコンテキストを理解し体現する試みは非常に刺激的で、入学早々学校にはいかなくなりました。(2年生の頃に語学を落として留年しました。。涙)

演劇の日々はとても楽しかったのですが、「演じる側ではなく、脚本家になった時に自分は何を書きたいと思うか」とふと問うた時に浮かぶものがなくて、人間的に空っぽな自分に気付く機会があったんですよね。

その時に「表現者になるために、自分の内側にもっと向き合いたい」と思うようになり、役者業を一旦やめていろんな人に会いにいくことを始めました。

「ビジョンを持っている大人って誰だ?」
「なんでそう思うに至ったんだ?」
「人生かけてやりたいことはどのように生まれるんだ?」

そういったことを多くの大人に聞いてまわりました。気づけば結構「意識高い系」の学生に様変わりしていて、そういう自分もまた窮屈だなと思い始めてきた折に転機がありました。

「悩んだりうまくいかない時も含めて、自分という人間自体がオリジナルで価値がある存在なんだ」

って言ってくれた人がいたんです。衝撃でした。当時の僕は相対評価の中で自己肯定感を保っており、根本的には自分に自信がないままだったんですよね。だから行動し続けて意識高くあることで周りにマウントを取ろうとしていた。でもそれを続けても虚しくて、結局は自分が自分を認めるしかないのだと気づかせてもらったんです。

そういったきっかけを経て、「アイデンティティに悩み抜いた自分だからこそ、自分を認め愛せる人を増やしたい」「自分にしかない個性・才能・価値があることを伝えていきたい」という信念が強く芽生ていきました。

ーー「自分らしさ」への意志はそこで生まれたんですね。ファーストキャリアは何故リクルートへ?

リクルートキャリアに入社したのは人とビジョンに魅力を感じたからでした。

「自分らしい人生の意思決定を支援したい」という思いをビジネスで実現したいと思っていたのですが、やり方が分からない。そんな中社会人の先輩から「『ビジョンを実現できる資本力』『やりたいと思えるドメイン』『情熱を注いでいる社員』という3つの観点を意識してみると良い」とアドバイスをいただきました。リクルートキャリアの方々は、その3つの観点にぴったり当てはまったし、自分を一番理解してくれた実感がありました。それでリクルートキャリアに入社することを決めました。

入社後は3年と少しの間、一貫して企業の新卒採用支援をやっていました。新卒はポテンシャル採用じゃないですか。事業成長のための長期投資となる新卒採用は、会社の未来そのもの。未来の会社をどうしたいのか?そのためにどんな人事戦略を描くのか?求める人物像は?学生が自社にワクワクする理由は?こんなことを経営から現場に至る様々な方と議論し未来への打ち手を創造する仕事は、とても刺激的でした。

僕は成果を出すまでにかなり時間がかかり多くの人に迷惑もかけていたのですが、仲間や上司には非常に恵まれ、根気強く育てていただきました。素敵で優秀な方々に囲まれて信念に基づく仕事ができた日々は、今思ってもかけがえのない財産だったと感じます。

人生を変える作品との出逢い

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ーー充実した経験をリクルートで積んでいたんですね。Nateeにはどのような経緯でジョインすることに?

社会人3年目の終わりに、代表の小島から電話をもらいNateeに誘ってもらったことが始まりでした。

小島とは学生時代からの親友で、「個性や才能が活きる社会をデザインしたいよね」「いつか一緒にビジネスをやろう」と話していたので、誘いはとても嬉しかったです。一方で当初は、「今なのか」という迷いもありました。リクルートでも成果が出てきて任される仕事が大きくなり、もう1年あればかなり成長できる手応えがあったからです。また、「独立するならもう1年してからかな」と自分でも考えていた折だったのでかなり悩みました。

その時期にたまたま、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という小説を読む機会がありました。これが大きなきっかけとなりました。自分と同年代の坂本龍馬が、藩での生き方に疑問を覚え、全国を遊説し、未来の日本のために脱藩して仲間と挑戦を繰り返し、生き切って死ぬ。そのような坂本龍馬の生き様に衝撃を受けたのです

「坂本龍馬のような生き方がしたい」私の中にこのような想いが芽生えました。

そして、「どうせなら日本の未来のために生きたい」という想いに向き合った時に、揺るがず抱いていたものが「日本および全世界の人が自分の価値を認められる状態を創りたい」というビジョンでした。

でもそのビジョンを何によって実現すべきか。採用の仕事を続けるのか、新しいことを始めるのか。そう考えていた折に、仕事でインドへ渡航する機会がありました。グローバル採用を支援していたお客様がいたのですが、現場感を直接知りたくて「インドの配属先を訪問させてください」と直談判したんです。

そのインド行きの飛行機の中で「グレイテスト・ショーマン」という映画に出会います。これが決め手となりました。作中では、個性的であるが故に虐げられ自分に自信を持てなかった「フリーク」たちが、主人公との出会いやサーカスという事業によって「個性が価値になり産業になる」世界を実現していきます。

気づけばこのストーリーに涙が止まらなくなっていました。そして、「グレイテスト・ショーマンのような世界観を実現したい」と心の底から思ったのです。

では、それを誰と実現するのか。代表の小島とは大学卒業後も定期的に話をしていて、ビジョンを共にしている実感がありました。一緒にやるなら小島しかいないと思っていたし、その小島が資金調達に動いて「個性を開放する」事業を本格始動させようとしている。仲間もタイミングも揃っていることを確信したのです。

いろんなきっかけが重なって自分の覚悟も決まりました。そして、インドから帰国した翌日に上司に退職の話を伝え、Nateeに本格ジョインすることを決断しました。

ーー大きな葛藤と、自分を奮い立たせる作品との出逢いがあったんですね。Nateeに入ってからはどのような葛藤がありましたか?

全ては自分の未熟さ故なのですが、戦略設計と組織マネジメントには苦労しました。前職でのやり方に固執して仕事を進めたり、仲間の強みを無視したマネジメントをしたことによって、気づけば自分も仲間も疲弊しきっていました。

実際に第三者の方から状況をご指摘いただけたことで数々の問題の原因に自分がいたことに気付くことができたのですが、独りよがりになっていたなと心から反省しました。

自分の強み・弱みをまず自己開示して、「事業・組織を一緒に創りたい」「そのために助けて欲しい」「自分も皆の強みを活かせるように変えていく」という想いを伝えて再出発してから状況が変わっていったと思います。

現在は、前職での経験や完璧主義に囚われず、Nateeの事業と仲間にとっての最適解を思考し続けることを大切に組織に向き合っています。

ーー失敗を通じて、大切な学びを得たんですね。今後はNateeを通してどのようなことを実現していきたいですか?

勝手ながら、日本に希望を見せたいです。日本はGDPの成長率も落ちてきて、少子高齢化も進んで、若い人にとって希望が少なくなってきていると思うんです。ただ、国って結局個人の集合体なわけじゃないですか。馬鹿みたいな話かもしれないですが、自分の人生のハンドルを握れる人が増えた分だけ、個人の人生も豊かになるし、その連続が国家の豊かさに繋がっていくと思うんですよね。

僕自身が「自分らしい生き方」に悩み続けた人だからこそ、1人でも多くの人に「Nateeのおかげで自分らしい生き方ができるようになった」と言っていただける未来を実現したいです。

そして、日本、もっと言うと世界中の人が「自分の人生の価値を理解し、人生のハンドルを握れる」ような未来を実現していきたいと思っています。

そのための第一歩がTikTokを起点とする創業事業であり、今後展開していくクリエイターエコノミーの世界なんだという確信を持って事業を推進しています。逆にいうと、ただの広告代理店やクリエイティブ会社として終わる気持ちは全くありません。

また、それを実現するNateeのメンバー1人1人こそが「人類をタレントに!」のミッションを体現するプロフェッショナル個性派集団でありたいと思っています。Nateeの船に乗ってくれた人が「Nateeを通じてどこでも通用する力をつけることができた」「自分らしく社内外に価値発揮する働き方が分かった」と誇らしげに言えるよう、Nateeのカルチャーや制度を整えていきたいと思っています。

「人類をタレントに=個性と才能が活きる社会をデザインする」というNateeのミッションが自分のミッションと同義なので、ひたすらミッションドリブンに走っていきます。

ーーまさに「自分らしく生きる人」を増やすビジョンの実現ですね。最後になりましたが、未来の仲間に向けて、メッセージをお願いします!

Nateeという会社は「不揃いで尖ったピースの集まる、最強の素人集団」だと思っています。ミッションに忠実で、強みと弱みが明確で、若者・エンタメ・SNSの事業をしていると一見思えないほど真面目で、価値提供に拘る仲間が集まっています。

スタートアップのカオス感の中で未来を創る気概を持った方と一緒に、事業・組織作りに挑戦し続けたいと思っていますので、少しでもピンときた方はぜひご連絡ください!


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Photo by Ryota Tawa

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