オンライン診療アプリ「CLINICS」事業部の西尾です。 この「 私がメドレーに入社した理由 」ブログをお読みの方はご存知かと思いますが、何やら濃い面子が揃う当事業部。彼らに劣らない、何かインパクトのあるものはないか!(しかも書ける範囲内で!笑)と試行錯誤したのが今回のブログになります。どうぞお付き合いくださいませ。
↓当事業部の濃い面子(一部)
カトリック系女子校で育った青春時代 私は小学校から大学まで全て女子校で育ちました。正義感が強く、声も大きいので「せんせー!男子がー!!」と一番言ってそうなタイプなのに、実は一度も言ったことがないのです。筆箱からゴムの色まで全て決まっていて、靴下は三つ折りくるぶしまで、とかなり厳しい校則の下で育ちました。習い事は日本舞踊とピアノ、部活はなぎなたクラブ。生徒会活動にも精を出し、それはそれはまじめな三つ編み女子学生でした。
学校のモットーは”BIG YOU small i ” 。 ボランティアのためにフィリピンのスラム街へ滞在したり、釜ヶ崎で炊き出しを行ったりと、困っている人を助けることに力を注ぐ、そんな ホスピタリティ溢れる少女 でした。この頃の写真は実家に置いてきており、全くないのが残念です。現在とはかなりギャップがあるので、ぜひお見せしたかったのですが・・・!
華の東京生活 そんな私に転機が訪れたのは、大学進学のために上京をしたころでした。兵庫県(宝塚市民だったので、ある意味で私も タカラジェンヌ !)から東京に出てきて、華の女子大生活を謳歌しつつ、バイトに明け暮れる毎日でした。葛餅を売ったり、ナシゴレンを作ったり、秋葉原でメイドになったり、女性誌の編集部で働いたり、VIP専門ベビーシッターをしたり・・・好奇心旺盛な性格だったことと、学生時代に抑圧されていた反動なのか(笑)、色々な人と関わることに面白さを感じていました。(ぶっ飛びエピソードは色々あるのですが、広報ストップがかかりお話できないのが残念です 笑)
実は代表取締役医師の豊田と、この頃に部活のプレーヤーとマネージャーとして出会いました。そこから まさか10年後に役員と社員という形になるとは想像もしていませんでした が、6年生と1年生という関係ながら、当時からかなりなついていた記憶があります。
その後、日本の慣習に従って、周りと同じように就活をするのですが、 惨敗 。今までしてきたことや、自分自身を否定されている気がして、心身ともにボロボロになっていきました。そんな日々を過ごしていたある日突然、私自身の中で何かが吹っ切れました。
「井の中の蛙にはならない!社会の歯車にはならない!!」
そう思い立ち、 日本を出ることに決めました 。もともと遠藤周作や谷崎潤一郎の著書が好きだったことと、ヌーヴェルバーグ時代が好きだったこともあり、行けば何とかなるだろう!と フランス語も話せないまま、渡仏 しました。一応、第2外国語でフランス語を選択していたのですが、劣等生だったため、知っているフランス語はメルシー、ボンジュール、ジュテームだけでした。初期の頃は本当にボンジュールとメルシーを駆使して生活をしていました。
がむしゃらに学んだフランス生活 パリに住んだら遊んでしまう、という理由から、アルザス地方のストラスブールという町に居を構え、昼は学校でABCを習いながら、夜は世界各国の友人と”飲みニケーション”、自宅に戻るとルームシェアしているフランス人たちに教えてもらいながら宿題をする、という生活を送っていました。その後、フランス語のディプロムを取り、念願のパリへ。パリではベビーシッターやライターをして生計を立てつつ、さらにフランス語を学んでいました。
(クラスメートたちと)
(パリ友達とカードゲーム中。パリっ子はピクニックが大好き!)
年齢、国籍、人種、バックグラウンドも全く異なる人たちと関わっていくなかで、肩書や先入観ではなく、人対人で関係を築いていく面白さにどんどんはまっていきました。いつしか私自身も人と比べることをやめ、 ”置かれた場所で咲く”ことに自分の生き方を定めました 。とはいえ、置かれただけでは花は咲きません。その場所で立派な花を咲かせるために、とにかく”できることを精一杯やる”のが大事! その後、 兵庫県の日仏交流コーディネーターに選出され 、一時帰国。再びフランスへ派遣されるまでの間は、県での海外事業に携わりながら、県のPRイベントや海外からの研修員の受け入れ、国際理解イベントの企画運営などを行っていました。県内に住む外国人のため、県と海外を繋ぐパイプとして就業していました。フランスへ派遣されてからは、セーヌ・エ・マルヌ県の経済振興公社で経済活動の発展、人物交流・文化交流促進のためにイベント企画や海外進出支援を担当していました。言葉も文化も違う人たちのニーズにどうこたえるか、それをひたすら模索する日々でした。
クライアントの立場に立って考えること、相手の目線に寄り添ってヒアリングする大切さ、これは 現在セールスとして働くうえでも重要な感覚 だと感じています。
(現地の小学校での日本文化アトリエの様子)
(現地の同僚たちと。私以外全員フランス人。アジア人の平たい顔が目立ちますね・・・笑)
メドレーとの出会い 不思議なことに、海外で暮らしていると、ますます日本のことを考えるようになりました。ちょうど同じ頃、 祖父の癌、祖母の認知症が発覚し、完全帰国を決意 しました。まずは身近なところにある問題を解決しなくては、という意識が強くなったのです。
癌治療の薬。認知症の進行を遅らせる食べ物。治療の副作用や名医の情報・・・今の時代、私たちはまずインターネットで情報収集をします。ただ、あまりにも情報が溢れ、その信ぴょう性も怪しいものです。私は愕然としました。検査や治療のために病院へ連れていくにも、会社を休んでばかりはいられず、ローテーションを組んで家族で担当をする。患者本人はもちろん、介護者側の負担も大きい。ちょうどこの頃、県の仕事の任期が近づいており、転職を考えていました。
そんなときに、いつもならば特に気に留めることもなかった豊田のメドレーに関するfacebookの記事がなぜか気になり、読んでみたところ、 ビビビと直感 。
医療業界に携わったことのない私ですが、患者の家族という立場になってみて、現在の医療の体制や医療業界に疑問を抱くことが多く、一般人と医療業界の間にある壁のようなものを感じていました。 身近に感じられる医療、リアリティのある医療を実現・構築していけるのはメドレーしかない! そう思い、すぐに豊田に連絡を取り、面接の機会を設けていただきました。
医療業界や営業での経験のなかった私を、仲間に迎え入れ、インサイドセールスからセールスまで様々な経験をさせてもらえたのは、メドレーが社員一人一人と向き合い、先入観なく適正と可能性を見極めながらチャンスを与えてくれる環境だからだと感じています。
Macの使い方から始まり、テレフォンアポイントメントの取り方、遠隔診療に関する知識まで、4月に入社してから今まで、「こんなこともわからないの!?」というレベルの質問を日々してきたと思います。そんな時でも、匙を投げることなく先輩方や同僚が寄り添ってくれ、丁寧かつわかりやすく指導をしてくれました。覚えることや情報のアップデートについていけないと弱音を吐きそうな時期もありましたが、だんだんとそれが楽しみに変わり、今では好奇心と探究心を持って、日々の仕事に取り組んでいます。 インサイドセールスとして電話やメール、FAXを駆使してアポイントメントをとっていた時は、うまくいくことばかりではなく、周りと励まし合い、高め合いながらどうやって課題をクリアしていくのかを一つ一つ考え、乗り越えてきました。アポイントメントが取れた時や、そのアポイントメントがお申し込みに繋がった時の喜びは言い表せません。
現在、セールスとして直接医療機関に伺うことも多いのですが、自分では気づかない間に、インサイドセールスチームで培った経験が、知識や話し方としてしっかりと身についていることを感じます。そして、自分も経験していたからこそ、インサイドチームが試行錯誤しながらとった大事なアポを無駄にしないよう、全力で挑むことができます。アポイントメントに関する詳細など、インサイドセールスから引き継いで受け取るたびに、一人で創るのではなく、チームで創っているんだ!とますますやる気が出ます。 点ではなく、線で事業を捉えられるようになったのも、インサイドセールス・セールス両方を経験できたから こそだと実感しています。
”医療”の課題は他人事ではない 自分は何ができるのかわからない、経験が生かせるのかわからない、そんな人も是非一度メドレーに話に来てほしいと思います。その中で、自分が咲ける場所が見つかるかもしれません。
”医療”は遠い世界のこと、自分とは関係のないものだと思っている人もいるかと思います。自分が病気や怪我をしなくても、家族が病気になるかもしれない。医療の課題は決して他人事ではないのです。いつかは関わることなのですから、どうせならばよい関係で関わりたいと思いませんか?それを実現するために 未来の医療を考え、当たり前でないことを当たり前にしていく、その礎石を作り上げていく毎日 です。
置かれた場所で立派に咲くため、周りからぐんぐん養分を吸収し、綺麗な花を咲かせるため、日々尽力しています。綺麗な花が咲くと、自分はもちろん、周りも嬉しい、それがわかっているからこそ頑張るのです!
そんな私は、こんな人と働きたい 好奇心旺盛で色々なことを楽しめる方、刺激的でチャレンジングなことを求めている方、未来をかえたい方、熱い気持ちのある方、ピンときた方・・・ぜひご応募ください。 医療業界・セールス未経験でも、心配はいりません。 裸一貫飛び込んだ私が証拠 です。周りのサポートやアドバイスを受けながら、ひとつひとつ課題を解決していきましょう! 人と関わるのが好きな朗らかな方、几帳面な方も向いているかと思います。ブログをお読みいただいた方ならすでにご存知かとは思いますが、CLINICSのメンバーは、メンバーの数だけ個性があるチームなので、個性がないと応募を躊躇っている方も、必ず何か面白い引き出しがあるはずで、それを引き出せる(引き出してくれる)環境が整っています! 会社の成長、事業の成長とともに、自分も成長していける、メドレーはそんな職場です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 自分が、家族が関わっていく”医療”をよりよいものにしていきたい方、咲ける場所を探している方もぜひ応募してみてくださいね。
お会いできる日を楽しみにしています!
CLINICSでインターン募集中!9/27に説明会を開催予定です。
CLINICSの全てのチームでメンバーを募集しています!
過去のメドレー社員の記事 第1回: ぼくがクックパッドを辞めてメドレーに入った7つの理由
第2回: 現役ダーツプロの僕がメドレーに入社した7つの理由
第3回: デザイナーの僕がメドレーに入った7つの理由
第4回: 私がドクターヘリを降りて、メドレーに入った7つの理由
第5回: ライフセーバーの私がメドレーで働く理由
第6回: 私がヤフーを辞めてメドレーに入社した2つの理由
第7回: 外資系投資銀行出身の私がメドレーに入った理由
第8回: Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ
第9回: 今年不惑を迎えたエンジニアがメドレーを選んだ理由
第10回: 年収36,000円のお笑い芸人が、メドレーに入社するまでの7つのステップ
第11回: 医者にならずに7年過ごした僕がMEDLEYニュースを書く7つの理由
第12回: 何がしたいのかわからなかった私がメドレーの仕事にやりがいを感じる7つの理由
第13回: 厚生労働省の医系技官だった私がメドレーに入社した3つの理由
第14回: 7年いたリブセンスをやめ、マエダがメドレーでデザインしたいこと
第15回: IPOを経験した私が、次のステージにメドレーを選んだ理由
第16回: アイスランドで生きる理由を考えて瞑想していた私がメドレーに入社した3つの理由
第17回: 整体師を11年やっていた私が、34歳でメドレーに転職して「介護のほんね」に取り組む理由
第18回: マザーハウスでバッグを販売していた私が、メドレーで見つけたひとつの目標
第19回: SIerとWEB業界を経験したエンジニアがメドレーに入社した理由
第20回: 青春を捧げたチアリーダーを引退した私がメドレーという舞台でクリニックを応援することに決めた理由
第21回: インターンを経て新卒で入社した私が、メドレーを選んだ3つの理由
第22回: なんでもできるようになりたかったエンジニアがメドレーへ入社した理由
第23回: 新卒から9年働いた会社を飛び出した私がメドレーに入社した理由
第24回: 結婚2年目で転職を考えた私が、メドレーに入社した理由
第25回: 「命に関わる仕事がしたかった」私が、MRを経てオンライン診療の未来に賭ける理由
第26回: 「何でも屋」街道をワイルドスピードしている私が、「介護のほんね」と共にメドレーに入社した理由
第27回: 元タカラジェンヌの私が、第二のステージにメドレーを選んだ理由
第28回: 「漠然と医療に携わりたかった」私が、勇気をふりしぼってメドレーに飛び込んだ理由
第29回: 29歳で社会人経験がないまま上京した元バンドマンの私がメドレーで働く理由
メドレーが提供しているサービス ・医師たちがつくるオンライン医療事典「 MEDLEY 」
・オンライン診療アプリ「 CLINICS 」
・医療介護業界の求人サイト「 ジョブメドレー 」
・介護施設を選ぶための口コミサイト「 介護のほんね 」