quodのこれからのミッション
中川 quodは社名に込めた意味合いを、そのまま表現するようなチームになってるなと。設立当初「3年やって、このチームに意味がなかったら解散しよう」と腹を括ってスタートしたけど、このチームだからこそできることを見つけられた4年間だったんじゃないかな。
quodという社名が決まったのは、善光寺に飯塚さんとふたりでいった「合宿」。何も決まらないまま迎えた最終日、飯塚さんがおもむろに「俺、ラテン語が好きなんだよね」と言い始めたんだよね。
飯塚 もともと「あり方」、「to be」的な意味合いの言葉を使いたかったので、ラテン語を片っぱしから調べて(笑)。辿り着いたのがquodという言葉。ラテン語で関係代名詞「which」を意味する。仲間とは?お客さんとは?そういうことをずっと問い続ける会社にしようという意味で、この社名に決めた。
もう一つ意味があって、当時から「Plusus(プラサス)」というNPOをやっていたので、「P」を裏返して「Q」を使いたいね、という話もあった。だからquodという言葉はぴったりだったんだ。
中川 quodをあえて小文字にしたのは、「q」って、下から登っていって一緒に上がる、という意味を込めたかったから。
飯塚 quodのメンバーにもよく言われるけど、僕と中川は正反対。潜る飯塚と、登る中川。それも、うまくこのロゴでも表現できてるのかなって。
中川 話を戻すと、この4年で「やれること」が明確になってきているので、2020年頃から3エリアでの地方プロジェクトに本腰を入れてきた。それぞれのエリアでの取り組みをさらに加速させていこうと思ってるのが今。
飯塚 半年やってみて、すごく手応えを感じてるよね?白樺湖は、3年前からコツコツやってきたものが、今、一気に結実しているかなと。国や行政からも注目を浴びて地域の事業者も巻き込めて、新しい会社を立ち上げるくらい広がりのあるプロジェクトになってきた。もともと地方で目指してきたモデルが、白樺湖でうまく形になり始めたかな。それを、富山でも実践したいなと。
中川 僕が大学を卒業して飯塚さんと全国各地の地方を巡っていた頃と比べて、本当にいろんなことができるようになったなって、自分たちの成長も感じるよね。何よりquodのメンバーがいるからこそ「敵なし」と思える。
飯塚 そこが設立当初と一番違う部分。ちゃんと利益を作る、事業の形にするというオペレーションを作っていけるのは、quodの事業を自分ごととして捉えて働いてくれている仲間がいるということがデカい。会社を立ち上げるとか、人を雇用するとか、それを経験しないと先の世界には行けないんだなって思ってる。
僕らが「地方」にこだわるワケ
中川 これからのquodのミッションについて考えるには、「そもそも、なんで会社として地方に取り組みたいのか?」というところに立ち返って話したいかな。
地方に関わる人や資源を活用していくことが大事。もっと地方の暮らしや文化を大切にしていく会社にしよう、というのがquod設立当時から変わらないミッション。
そして自然資本や文化資本があればそれで良いということではなくて、時代に合わせて活用していく必要があって、エリア開発と両輪で進めていかなきゃならない。だからミッションは変化し続けていくと思っている。
飯塚 最近ではSDGs的な意味でも「地方が大事」と言われるけど、quodで4年やってきて、地方って都市から分断されてるなと思った。
単に、地方に旅行に行く、食べ物取り寄せる……ということだけでなく、地方で仕事をする、その土地で人間関係を作っていく、というように、生活全般にその地域を取り入れていくことが必要だと過去の失敗からも学んだ。
中川 都市で暮らす人は情報が溢れているから、地方のいいものを単品で売り出しても、全然届かないんだよね。それを地方サイドもわからないといけない。
たとえば「地元の伝統的な焼き物の魅力伝えたい!」というモチベーションが最初はあっても継続できないのは、全国の市場へ出す難しさをわかったうえでビジネスモデルを作れていないから。モノが溢れているなかで選んでもらうには、ストーリーだけでは勝てない。
時間はかかるけどエリアにコミットして、ストーリーではなくて「モノ」自体で勝つことが大事。モノに価値があって初めてストーリーにも注目をしてもらえる。地方を売り出すためのPRに大事な視点はそこだと思ってる。
例えば(白樺湖の)池の平ホテルに一回行けば、CMやネットで目にするたびに気になるようになるけど、エリアとして価値を感じてもらえないと最初の一回のアクションが起こせない。一度価値を感じて来てもらえさえすれば、ストーリーも入ってきやすくなるから、関係値は高まっていくよね。
飯塚 その地域の“外の人”を巻き込むことができれば地域自体も良くなっていくし、“外の人”がその地域を良く理解する、ということにもつながるからね。そうして最終的には「作る側」になってくれる人を増やすことが僕らの仕事。
中川 まずは「to B」でビジネスモデルを作ることを考えて、その後、地方の方々が自分たちで事業を作って「to C」のフェーズに持っていけるようなサイクルを作っていかないと。
地方から大都市に売り出すためのサイクルができると、会社にとっても地方にとってもメリットだからね。quodがようやく「to C」に舵を切れるようになったのは、これまで培ってきたたくさんの人脈があって、稼ぎのベースが作れていることも大きいよね。
何度も地方に足を運び、信頼を積み重ね、辿り着いた「山水郷」
飯塚 創業時はエリア開発のノウハウがまだなかったので、とことん時間をかけて向き合い信頼してもらうことからスタートした。今まではなかなか地方にコミットできなくてもどかしいこともあったけど、その期間に築いたベースがあるからこそ、この半年はエリア開拓に集中できた。
各エリアを開発するためのノウハウをまだ持っていないので、とことん時間をかけて向き合い、信頼してもらうことからスタート。その中で、やっぱりquodはエリア開発に向いているなと思うことがある。
信頼してもらうために何度も地方に足を運んで、いろんな人と話したり食事をしたりしてきて、やっぱりquodはエリア開発に向いているなと思うこともあった。地域の人間関係の中で人づてに伝えてもらえたりして、自分への信頼が積み重なってくると、地元の名士や事業者に紹介してもらえたりするんだけど、これはquodが大切にする「個人と個人をつなげていく」というビジョンにもマッチするところがあった。
そして、エリア開発においてはquodのメンバー個々の強みも発揮できる場が多いなと。PRの視点では中川がプロだし、僕は前職の政府系金融機関で長期投資を担当していたので、「国、地方自治体の意図を理解して、民間に落とし込む」というデザインを両者の気持ちになって進められる。
僕は小学校の時に、沖縄以外の都道府県すべてを訪れて、大学時代から「世界から見ると、日本の地方って?」という見方をしてきたので、日本の中で今ここが熱いな、という嗅覚は養われている自信がある。個人的には、今、人口20〜30万人の都市にチャンスがあると思っているんだけど、中川は?
中川 僕は単純に、ワクワクするかどうか。これ僕の口癖でもあるんだけど(笑)。一度行ってみれば、その地域が持つ可能性がわかるようになってきたかな。
あとは、後付け100点にするということが大事。最初から文化や価値を知っていたからそのエリアにした……というわけじゃなくても、「この地域を手がけてよかったな」と思えるように結果オーライにすれば良いかなって(笑)。
飯塚 quodで手がけている3エリアにはちゃんと理由があるっていうのもポイントだよね。メンバーみんなで日本のいろんな地域を手分けしてリサーチしてきて、そこで出てきたキーワードが「山水郷」。
人は、地方に何を求めているのか?どんなエリアが魅力的?と考えると、「人の繋がり」「山水の恵み」「その恵みを生かすための手業・知恵」この3つが揃っている。この山水郷が“狙い目”と考えていて、今後のプロジェクトでもポイントになってくると思う。
quodならではの、チームメンバーと地域の関係性
中川 今手がけている3エリアは「山水郷」であること以外にも、quodメンバーのルーツともつながっていることがすごく僕ららしいと思ってる。
長野・松本はしばななの実家だし、白樺湖は飯塚さんの大学の親しい先輩が事業をしているエリア。松本山雅FCの事業PRパートナーや、白樺湖レイクリゾートプロジェクトなど多方面で新規事業開発や地域経済の循環づくりを進めている。
福岡の糸島は、僕が福岡出身だけど行ったことなくて飯塚さんと行ってみたのがきっかけ。飯塚さんがぼそっと「このエリア、すごい良い気がするわ」と言ったのを覚えてる。それから何度も足を運んで地域とのつながりができてきて、今では個人的に土地を購入して何か面白いことができないかなあと思ってる。構想が具現化している段階。
富山は飯塚さんの義実家があって、飯塚さんがまさに今、東京と2拠点生活を送ってるエリア。全部、チームメンバーの個人的なつながりから縁ができているのがいいよね。
飯塚 自分の人生やプライベートとの重なりや、個人として住みたい場所の中で仕事をする感覚にもこだわっているよね。このチームメンバーだからこそ関われている地域ばかり。だから「縁もゆかりもない地域だけど都市での知見をいかしてエリア開発します!」ということではなくて、リアルな現場感と向き合えるかどうかは一番大切にしていることかも。
というのも、地方での活動にこだわってきた中で、地方の経営者ってすごくリアルな現場に向き合っているんだなと感じているから。農業や食、文化というような「リアルなもの」に真摯に向き合って、現実味と未来感を同時に持って戦っている。そういうものを支えていきたい、そこから新しい可能性を作り出していきたいという気持ちは、当時から僕らの中に変わらずあるよね。
東京の仕事の「バーチャル」な感覚が僕らの武器になっているからこそ、地方の「リアルな現場」に向き合える感覚もある。経験値も大事にしながら、時代に合わせて、エリアごとの資源や環境に合わせて、変化するミッションに柔軟に対応していけるギルドでありたいよね。