初めまして、株式会社dotDの福田諭(ふくださとし)です。2021年7月に入社し、ソフトウェアの開発全般を担当しています。
目次
- PROFILE
- dotDに入るまで
- dotDに入りたいと思った理由
- dotDを通じて達成したいこと、目指したいこと
- 最後に一言
PROFILE
40代、男。趣味は釣りです。30後半まではスノーボードも頑張っていましたが、最近はあまり行けていないです。週末は子供たちと夕飯を作ったりもしています。
dotDに入るまで
電気通信大学という日本で唯一地名のつかない国立大学で、ひたすらソフトウェアの勉強をしていました。プログラミング言語でいくとPacal, C, Lisp、座学で離散数学やオペレーティングシステム等です。今のAIブームの前でしたが、ニューラルネットワークの研究もしました。
大学院を卒業後に、株式会社日立製作所に入社し、約20年間、ソフトウェアの研究・開発に従事していました。入社後10年くらいは自社パッケージソフトウェアをJavaで開発していました。入社当時はJavaに触れたことがなく、様々な組み込み型(ArrayListとかIteratorとか)を覚えるのに苦労した記憶があります。このころは主にGUIの開発をしていてSwingでJavaのアプリを開発していました。その後にシンクライアントのブームが来て、HTMLで作り直すことになりとても苦労しました。ちなみにその製品は、その後、RIA(Rich Internet Application)がブームになりFlexにしたり、昨今のSPA(Single Page Application)に乗ってHTML5になったりしています。うまく時代に乗って画面を作り直せているソフトウェアでした。
当時開発していたソフトウェアが海外向けであったこともあり、米国西海岸(シリコンバレー)に4年ほど、家族とともに出向していました。最初の1年は、プリセールスということで、現地の営業と一緒に見込み顧客のところに行き、自分の開発したソフトウェアの導入サポートをしていたのですが、隣の現地開発プロジェクトの人手が足りなくなり、インド人に囲まれてソフトウェアの開発をすることになりました。開発は現地メンバーがやっていて、私は手を動かせず、日本との橋渡しが業務になっていました。これを3年くらいやりました。スケジュール調整やお悩み相談的なことがメインで、時々、日本との打ち合わせで通訳みたいなこともしていましたが、ボキャブラリーが貧困でうまく伝わらないこともあり歯がゆい思いもしました。
2016年に日本に戻ったのですが、1年くらい SPAでソフトウェアプロトタイプを開発していました。ひたすらJavascriptとCSSを書きまくっていて楽しかったです。
その後、IoTという言葉が流行り始めて、色々なお客様を回り、現場データの分析・活用のお手伝いを4年くらいやりました。プレゼン資料の作成7割、pythonやSQLでデータをこねくり回すのが3割くらいでしょうか。
大学のころから数えると四半世紀以上、コンピュータと格闘していることになります。
dotDに入りたいと思った理由
どう作るかではなく、何を作るかが問われている時代だと思います。前職ではお客様との間に関係者の階層が深く、どうしても伝言ゲームとなってしまい、なぜこれを作るんだろうと疑問に思うことが多くありました。自社サービスであれば、お客様と開発者が近く、お客様の求める物をノイズなしに作れると思いました。
会社の規模が大きすぎず、素早く色々なことにチャレンジできるのではと思ったことも大きいです。
dotDを通じて達成したいこと、目指したいこと
色々なことにチャレンジしてみたいです。世界的に有名なソフトウェアやサービスを、dotDの仲間たちと素早く数多く開発出来ればと思っています。
最後に一言
dotDの皆さん、良い人しかいません。皆さんやる気に満ちあふれていて、親切な人ばかりです。dotDに興味を持ちましたら是非お声がけください。