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小金澤硝子の社長ってこんな人!やんちゃ盛りの子ども時代から、社長になるまで ~高校ラグビー編~

古い体質をぶっ壊せ!ラグビー部で大暴れ

いざスパルタラグビー部に入ってみたら、とにかく昭和らしい変なルールがいっぱいあったわけですよ。

例えば、1年生は電車に乗るときは進行方向のいちばん後ろの車両で、席が空いてても座っちゃいけない、つり革も持っちゃいけない、それで背伸びしてかかとを地面につけないで乗れ、みたいなね。

校則以外にもラグビー部独自の、わけわかんないルールがいろいろあって。

しかも先輩は陰湿だし、当たり前だけどすぐに嫌になってサボり始めました。

くだらないなと思ってね。

ラグビーをやってみたい気持ちはあったし、部活としてはたしかに強かったんだけど、そのまま学校生活を送ってもロクなことにならないなって。


そんなこんなで何とか学校を続けているうちに、3年生が卒業しました。

そうすると今度は、自分たち新2年生と、1つ上の代でチームを作って部活をやっていかないといけない。新しく後輩も入ってくる。

なのに、上の代からのくだらないルールがずっと続いていたんですよね。

これはいけない、何とか変えてやろうと思いました。

チームとして一緒に勝っていかなきゃいけないんだから、ちゃんとやろうよ、というふうにしたかったんですよね。


で、自分と他にも数人が中心になって、いちばん盛り上がるイベントで試合をやってた日、それこそテレビ局とかも来るような感じでみんながワーって騒いでるときに、自分たちの学年全員で現場から脱走したんです。

脱走して、翌日から学校に行かなくなりました。

そしたらもう、1年生が全員いなくなったってことで親とか監督とかが大騒ぎしてあちこちに電話して探し回って、最終的にキャプテンの親が家に来て「どういうことだ」って話になって。

そこで、2年生が俺たちに頭下げないなら部活には戻らない、学校もやめてやる!って話して、自分は結局1週間くらいして戻ったのかな。

ちゃんと先輩たちには謝りに来てもらって、そこからやっと全体が「チーム」として動き出したと思います。


結局、2年生ではレギュラーを、3年生ではキャプテンを務めて、高校はラグビーのおかげで何とか卒業できました。

大学の推薦までいただいて、そのまま大学生になって、ラグビーのおかげで上場企業に入れて。

会社にラグビー部があったので、社会人になってもしばらく続けてましたね。朝から仕事して、夜の8時からグラウンドを借りて練習して、11時くらいに帰る生活でした。

何年かそんな感じで過ごした後に、親父が「もういいだろう、そろそろ戻ってこい」って言うんで、ここから親に恩返ししないといけないなと思ってうちの会社に入りました。で、今に至る、って感じですかね。

やっぱり高校でラグビーと出会ったことは、自分の中でかなり大きいです。


次回▶ 小金澤硝子の社長ってこんな人!社長として語る、人の上に立つ難しさ、人生の教訓


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