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“弱い人も弱いままで”生きられる世界へ。Web3の共同体で叶える未来からの逆算

*本記事は、以下noteの転載になります。
https://note.gaudiy.com/n/nad67b4dbc434

"沼すぎる夢" に本気で立ち向かう人々に探求の過程を伺い、その根源にある想いを紐解いていくシリーズ「 #この夢は沼すぎる 」。

第三弾は、Gaudiyでプロダクトマネージャーを務める、深見悠平さん(以下、深見さん)に話を伺います。

Gaudiyが開発するWeb3時代のファンプラットフォーム「Gaudiy Fanlink」は、誰もが自律分散的にイノベーションにアクセスでき、カルト的な熱量をもった人々が価値共創して、その価値がなめらかに還元される。そんな社会を実現できるプロダクトを目指しています。

プロの歌手として活動後、アーティストからビジネスパーソンに転向し、二度の起業とバイアウトを経験した深見さん。

経済的な自由を手に入れてもなお、Gaudiyで実現したかった夢とは。「ファン国家は、弱い人も弱いままで生きられる世界」と語る深見さんの原点、エンタメとWeb3との出会い、そして未来から逆算する生き方を聞きました。

Gaudiy Inc. Product Manager / Yuhei Fukami

深見 悠平 | Yuhei Fukami(@yuhei_fukami
高校在学中にアーティスト及び作曲・編曲者として活動。欧州ハイブランド向けテキスタイルメーカーの海外営業の末、アパレルOEM会社で製品までの企画生産を手がける。その後大手アパレルモールで新規事業の立ち上げ等を経験。D2Cブランド運営〜プラットフォーム運営、IPOコンサルとして活動。主にアドテク、デジマ、D2C企業のIPO支援を軸に活動。2022年にはWEB3コミュニティ受託事業をデザイナーと共同創業。2023年12月にGaudiyにPdMとしてJOIN。筋トレするタイプのオタク。ネクラ文系戦闘民族。

目次

  1. “社会の不条理”の煽りを最大限に受けた幼少期
  2. 起業、バイアウトを経て気づいた原動力
  3. 金融資本主義は“相対で得られる幸せ”を助長する
  4. Gaudiyならみんなで遠くへ行けると思った
  5. 偶発的に生まれるエンタメを、永く、良いものに

“社会の不条理”の煽りを最大限に受けた幼少期

───キャリアの始まりはアーティストだったと伺いました。深見さんの人生とエンタメは不可分な関係にあると思いますが、そのルーツを教えていただけますか。

僕は幼少期、恵まれない家庭環境で育ちました。幼ながらに「信じられる人」や「まともなコト」を渇望していた僕は、文学作品や小説などを読み、現実から逃避していたように思います。そこで救いになったものの一つが「音楽」でした。

小学生の頃は不登校気味で、たまに学校に行ってもクラスに馴染めなかったので、図書室登校することが多かったんですね。そこでいつも僕に話しかけてくれた用務員のおじさんが色々な音楽を教えてくれたのをきっかけに、音楽を好きになりました。

それから中学に上がり、「ジャパニーズパンク」と呼ばれる80年代のパンクロックに惹かれるようになって。パンク自体が、誰でも音楽が作られる「音楽の民主化」と呼ばれたジャンルなのですが、人間のドロドロとした感情を表す文学的な詞が乗せられた曲に、ものすごく痺れた。当時、一番好きだった「INU」というバンドの追っかけもしていました。

───そこには、どのような想いがあったのですか。

いま振り返ると、幼少期は「社会の不条理」みたいな煽りを最大限に受けていて、その環境ではキラキラしたものへの共感がまったく持てなかったのだと思います。パンクロックは、溢れ出るドグマのようなものや、自身の内的世界を表層化するところに共感を覚えて、すごく取り憑かれました。

───それで自身でもバンドを始めたわけですね。

はい。実は14歳の1年間、家出をしていた時期があります。その頃お世話になった落語家の師匠の繋がりで、音楽をしている人たちと知り合い、15歳の時にバンドを組みました。

その翌年に運よく大手レコード会社と契約でき、高校在学中にメジャーデビューを果たしたのですが、次第に「自分がやりたかった音楽」と「社会のニーズを満たす音楽」にギャップを感じてきて。結局、3年で辞めてしまいました。

起業、バイアウトを経て気づいた原動力

───アーティストから転向後は、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。

就職活動の経験すらなかったので、特にこだわりなく「家から通える距離で、語学スキルを活かせそうなところ」を軸に探しました。そこでご縁をいただいたのが、地元和歌山にある生地メーカーです。

海外セールスとして2年ほど働くうちに会社の経営や商売のことがわかってきて、仕入れ先の方から「そこまで色々と考えているなら、生地だけでなく製品まで売ったらどうか」という言葉をいただいたのをきっかけに、一度目の起業をしました。

アパレル製品を企画、製造、販売する、いわゆる「OEM(Original Equipment Manufacturing)事業」の会社で、創業2期で年商25億まで成長し、経営自体は悪くなかったと思います。

一方で、繊維産業の厳しさを知り、このまま20年、30年と会社を続けられるイメージが持てなかった。そこで当時伸びていたEC販売に目をつけ、3D計測スーツを開発し、体型に合ったサイズの洋服をオンライン購入できるように会社の舵を切りました。

そして、当時たまたま同じようなことを構想していたアパレルEC企業にジョインすることになり、そのグループで新規事業の立ち上げや、CEO室での経営企画などを経験しました。

───会社の経営と大手ジョインを経験されて、なにを感じましたか。

早く行きたければ、一人で行け。遠くまで行きたければ、みんなで行け。」というアフリカの諺がありますが、まさにそれを実感しましたね。イノベーションに挑戦するためには、大きな資本力や共に戦う仲間がいないと、スピードを出せないと感じました。

また個人としては、経済的に一周したなかで、根本のモチベーションは変わらないな、という発見がありました。それは人間の「想像力」と「創造力」を信じ続けたいという想いです。だからお金があってもなくても、自分にはやりたいことや作りたいものがありました。

金融資本主義は“相対で得られる幸せ”を助長する

───その想いを胸に、二度目の起業をされた。

はい。二度目の挑戦は、DtoC領域から始めました。インフルエンサー支援事業、D2Cブランド運営、IPOコンサルまで幅広い事業を手掛ける会社で、Gaudiyにフルコミットで働くいまもCEOを務めています。

───二社目も軌道に乗せられたんですね。

そうですね。語弊があるかもしれませんが、ビジネスは「思考回数×行動量」の精度を上げて、お金を使ってお金を生むゲームだなと思っていて。でも、一定のゲームハックができたその先に、僕は「より広く、より遠くにいる人々を幸せにできたんだろうか」という問いが生まれてきたんです。

いまの社会は「便利」や「成長」が飽和した状態だと思っています。その上で、できるだけ遠くまでの他者を広く幸せな状態にするには、利便性や成長だけでは十分ではない。

なぜなら、金融資本主義では「相対でしか得られない幸せ」があるからです。産業革命以降の「右肩上がりの経済成長が人類を幸せにする」という基本原則が、いまも社会のOSになっており、そのもとで人々は幸せになれると僕らは思い込んでいる。この社会OSを変えない限りは、いまよりも広く遠くにいる人を幸せにするのは難しい。そう思いました。

───その課題意識からWeb3やNFTに可能性を感じたのは、やはり「Web2のカウンターカルチャー」としての、自律分散的なWeb3という見方でしょうか。

最初はそうでした。でもいまは「Web2のカウンターカルチャー」ではなく、むしろ「Web2をもう一度やり直す」という意味合いでWeb3を捉えています。

というのも僕が楽しんでいた初期のWeb2は、まだ十分に自律分散的だったと思っていて。それがいまのような状態になってしまったのは、SNSの普及とプラットフォームの拡張によって、人間の「つながり合いたい」という本質的な欲求が「ボトムアップの中央集権」という装置を支持したからだと僕は考えています。

そもそもインターネットは、究極の「外部」だったと思うんです。自分のような居場所のない人間が、行き着く場所でもあった。

その起源は、革命を断念して「世界」ではなく「世界の見え方」を変えることを選んだ、シリコンバレーの繁栄に見られる名だたるテック企業のリバタリアンたちにあります。その「外部」を徹底して求めた結果、もっとも「閉塞した場所」に辿り着き、いま、このインターネットが人間をもっとも不自由にしている。

だから僕は、ブロックチェーンの技術でWeb2をやり直したいと思っています。

Gaudiyならみんなで遠くへ行けると思った

───Web3に興味関心を持ったなかで、なぜGaudiyだったのですか。

自身でWeb3プロジェクトを立ち上げ、東南アジア諸国で展開していました。ですが、目指している時間軸でのROIが合わず、何度か失敗を繰り返していた頃に、「同じようなことをやっている会社があるよ」と知人経由で紹介してもらったのが、Gaudiyでした。

そしてCEOの石川と話したとき、「Gaudiyならみんなで遠くに行けるんじゃないか」と思ったんです。

僕自身はIP(知的財産コンテンツ)を0→1で創りだす方向性を目指していましたが、対するGaudiyは、日本を代表するIPやライセンスを持つ企業とともに共同体(コミュニティ)を作ろうとしていて、アプローチの仕方が真逆でした。失敗を経験したからこそ、Gaudiyの方が正解に近いと思いましたね。

───既存のIPとともに共同体をつくるアプローチの方が正しい、と。

改めて「コミュニティ」についてWeb2/Web3軸で考えてみると、世間的には、SNSなどのWeb2のプラットフォームは「インフルエンサー主体の共同体の解体と、個人単位のエンパワーメント」だと思われていますが、実際に進行している現実は “逆” だと考えています。

Web2は「地域コミュニティ」から「テーマコミュニティ」への移行という形で、むしろ「共同体の氾濫」をもたらします。そして共同体を存続させるために、構成員や掲げるイデオロギーを変化させながら、境界となる「線」を引き直し続けている。これは共同体という存在が、常に新しい「仮想敵」を必要とすることを意味します。

一方で、Gaudiyが目指す「ファン国家」は、僕の言葉で説明するならば「エンタメに受けた影響や衝動をノード化させたモメンタム装置であると同時に、クライアントもユーザーもGaudiyも三方良しとされるような、近江商人的なビジネスモデルを兼ね備えるもの」です。

その根底には「弱い人も弱いままで生きられる世界をつくりたい」という思想がある。そこでは「仮想敵」を必要とせずに、Web2のプラットフォームで発生しているような課題を解決できるのではないかと思いました。

また思想だけでなく、Gaudiyには、それを可能にする分散型IDやトークノミクスといった技術もあった。僕も一緒に「ファン国家」の実現を目指したい。そう思って入社を決めました。

入社後は、来るべきトークノミクスに向け、現在のPoC(概念実証)と未来のPoV(価値実証)を両立させるような開発に取り組んできました。現在は「Gaudiy Fanlink」のプロダクトマネージャーとして、サービス価値により磨きをかけていく部分に注力しています。

偶発的に生まれるエンタメを、永く、良いものに

───最後に、深見さんにとっての「夢」とはなにか、教えてください。

僕にとっての夢とは、「手放しで妄信するもの」ではなく、「不確実な未来に対しても、それを信じきれるいまの自分をつくる、生産的な活動」です。

もちろん「目標や欲望なんか持たずに、日々感謝して生きればいい」という考えもよくわかります。でも、人間がもつ「なにかを求めて生きたい」という欲求を封じ込めるのは不自然ですし、その挑戦の連続が、この世界をよりおもしろくしていく。そう考えています。

───いま、深見さんが追い求めていることはなんですか。

僕は、いままで偶発的に立ち上がっていたエンタメを、永続的に、登場人物みんなが幸せになれる状態で、より良いものにしたい。

IPを0→1でクリエイションすることに2、3年ほど挑戦したなかで、僕が至った一旦の結論としては「いいエンタメは、いいキャッシュフローから生まれる」ということです。

なぜなら、IPは初期投資コストを回収できる時間軸がとても長く、存続させるのが難しいビジネスモデルだからです。するとファンからしても、推す一歩手前に「自分の時間やお金を投資するに値するコンテンツなのか」という見極めが入ってしまう。推しがいなくなる悲しみは、オタクたちの痛みであり、エンタメの歪な構造だと考えています。

それを解決するには、ファンがIPに対して貢献した価値をなめらかに分配したり、クリエイターに適切に収益還元できるような、新しいキャッシュフローの仕組みが必要です。その世界を実現できれば、IPの持続性が高まり、ファンも推し続けることができる。

それが「ファン国家」であり、まだまだ不確実性は高いですが、Gaudiyの仲間となら必ずできると信じています。ありたい未来から一つ一つバックキャスティングして、実現していきたいです。(了)

(取材・文:佐藤純平、編集:山本花香、撮影:@Tommy)


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