温故知新の初めての運営ホテルであり、愛媛県にある「瀬戸内リトリート青凪by温故知新」。創業時にセラピストとして入社し、現在は総支配人を務める下窪さんに、今日に至るまでのストーリーと、意識している組織づくりについて伺いました。
「自分の居場所」を模索し続けた20代
大学では「国際協力、参加型開発」などを学ぶ研究室に所属していました。卒論では、国内外の地域の持続的発展の形について学び、卒業後、有機野菜等のオーガニック商品を取り扱う会社に就職しました。その後、大学で学んでいたことも生かしたいと考え、しまなみ海道沿いにある愛媛県の小さな島へ移住し、地域活性化事業を行う会社へ転職をしています。数年過ごしたんですが満足のいく仕事・成果を発揮することが出来ずに「これから何をしていくべきなのか?」と悩む日々が多かったです。
進退に悩むなか、仕事から離れ一旦学びに自分のリソースを投じてみようと思い、当時興味のあった「香り」を学びの対象にしました。アロマセラピーの本場イギリスの大学で、採用のカリキュラムを提供している協会のディプロマ取得を目指し、京都のスクールへ通うことにしました。
エビデンスも医療分野と比較すると多くはないこともあり香りが持つ力は未だに認知度は高くないですが、人の身体のメカニズムに働きかける点から、リラクゼーションだけではなく、医療、介護、スポーツ等幅広い分野で力を発揮する可能性を秘めた、非常に奥深い領域です。より医療に近い用いられ方をするフランスでは、薬局で精油(エッセンシャルオイル)の取り扱いされるほどです。それだけ力の強いものだからこそ、しっかりとした学習(精油学だけでなく解剖生理学や病理学の座学、実技、ケーススタディ)のうえで人に知識や技術を提供する責務があります。
勉学に集中したかったこともあり、数年を京都で過ごした後に、転職活動を再開しました。それでもまだ自分の中では「何をするべきなのだろう」といった漠然とした不安はありましたね。
そこから青凪に繋がった経緯としては、松山市の大学へ通っていた事もあり、同市内の求人をリサーチしていたところ「青凪」の求人に偶然出会い、現在に至ります。
「30歳、温故知新へ入社」青凪との出会い
2015年、愛媛県松山市内では初めての運営施設『瀬戸内リトリート青凪』がグランドオープン。安藤忠雄氏が設計したエリエール美術館を元に、ラグジュアリーホテルへとリニューアル。同ホテルの建築にも安藤忠雄氏は設計として関わっている。
総支配人は青凪がオープンした年に、セラピスト兼アシスタントホテルマンとして入社した。何をすべきか悩んでいた20代を経て、青凪が産まれた年に、偶然求人を見つけ、未経験の職種として入社。
総支配人を勤めている現在を振り返り「過去から紐ついたものではなく、私の中では突然この道が開けた、大事な縁だった」と語る。
逆境、苦難が続く挑戦の日々
温故知新は、2023年に従業員数300名を超え、全国8拠点にホテルを構え、売上も12億円を超える企業まで成長をしました。ただ、私が入社した、青凪開業当初の2015年時点では、従業員数は20名を下回っており、他ラグジュアリーホテルと違い歴史もなく知名度も少なく、未成熟のホテルだったんです。
松山市内から車で30分の立地だったんですが、隣接しているのはゴルフ上のみ、小高い山の上に立地していたこともあり、地元の方々に知って頂く機会も少なかったんです。地元のタクシー運転手ですら、青凪に行ってくださいとお伝えすると「どこにあるの?」といった返答が返ってくるほどでした。
環境のせいにするのではなく「自分に何ができるのか?」を考え続けた
特に、開業間もない青凪は2月の閑散期を迎えるころには空室が目立つようになりました。歴史、知名度、立地条件を言い訳に、お客様を待ち続ける選択もあったかもしれませんが、仕方ないと決めつけ諦めるのではなく「未経験ながらも自分に出来る事は必ずある」と考え、どれだけ小さなことでも探し行動しました。
当たり前の事かもしれませんが、そういった考えを持って行動すると、必ず何か改善点が見つかるんですよね。そうしていくうちに、青凪での業務に対しての視野も広がり仕事全容を把握でき、セラピストとして入社しましたが、ホテルマンとしての割合が上回っていきました。
管理者へ進んだ経緯
キッカケは、以前在籍していた支配人の推薦でした。総支配人になった際も、彼の「やればいい、大丈夫。出来るから」といった一言が後押しになっています。私はどちらかと言うと、立候補するようなタイプではないので、彼の一言が大きかったです。
そうとは言え、私としては「奇抜なことを取り入れるのではなく、日々の小さな積み重ね」を行っていたので、責任ある仕事は自分に出来るのか?といった不安な気持ちもあり、自分を納得させる‥‥‥といったら大袈裟かもしれませんが、決断するに2ヶ月を有しました。
最終的に受けようと思ったのは、「オープン当初の、大変だった時期を共に乗り越えてきた周囲の仲間たちの存在」でした。前任の支配人が青凪を去ったとしても、自分の力量が追いつかなかったとしても、「日々の積み重ねを評価してくれるような、小さな気付きを見落とす事がないような、仲間たちと一緒であればやっていけるんじゃないか?」そう考え最終的に話を受けました。
総支配人としての業務内容
「ホテルを運営するにあたりビジョン・方向性を描き、周囲のメンバーに示していくこと」ですね。これは青凪に限ったことではなく、温故知新全体に言える事ですが、可能なかぎり「現場ファースト」を重視しており、トップダウンだけで物事を決めるのではなく、目的に沿った、柔軟な形での運営を目指しています。
くわえて、青凪に務めているスタッフが、業務を作業のように行うのではなく、1つ1つに対して意義を見出していけるように、設計することです。
総支配人になってから印象に残っているエピソード
新型コロナウイルスがやってきた2020年4月です。自分達の意思・希望とは別の部分で社会が急激に変化し、人の考え方・価値観も変わっていきました。そこに合わせて青凪、だけではなく温故知新としても「過去のやり方・考え方」で運営していくのではなく、お客様に合わせてアップデートしていきました。
ライター所感
温故知新はホテル業界では珍しく、マニュアル至上主義を貫いていない。ルール・マニュアルで社員の連携を取るのではなく「ビジョン・理念」で束ねていこうといった考えの元、積極的に現場へと権限移譲を行っている。
お客様を無視して以前のやり方を変えずに、コロナウイルスの収束を待つ事を選択していたら、お客様は確実に遠のいていた。そういった場面においても、柔軟に対応していけたのは「ビジョン・理念」で社員を束ねている強さが理由ではないだろうか。
次回のストーリーでは、更に青凪を深掘りしていく。「ワールドラグジュアリーホテル・オブザイヤー – 2020」 を受賞するほどに成長した青凪のホテル運営とは?総支配人がどういった考えを持ってスタッフと日々接しているか?をお伝えします。
後編のストーリー「あなたの体験や考えを温故知新に持ち込んでくれませんか?」を読む