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【代表インタビュー】日本一「無名」な会社を目指すって?自治体DXを支援する会社が目指す世界とは!

こんにちは!自治体・企業のDX推進を加速させる「ワークログ株式会社」の採用担当です。

今回は、弊社代表山本へのインタビューの様子をお届けします。

・無職から起業への道のり

・予期せぬ社長交代!?突然の代表就任

・日本一無名な会社になりたいってどういうこと?

など、赤裸々に語っていただきました。

インタビュー開始時には「緊張するから1杯お酒飲ませて!」と、缶チューハイを買ってきて飲み始めるなどお茶目な一面も持つ山本。(お酒に弱く、1杯で酔っ払うそう)

終始和気あいあいとした雰囲気でしたが、会社や事業の話になるとスイッチが入り、ワークログへの情熱と愛をひしひしと感じました。

自分のキャリアに悶々としている、起業してみたいけど勇気が出ないという方は要チェック。ぜひ最後までご覧ください!


代表プロフィール

山本純平

1987年生まれ。2児の父。慶應義塾大学卒業・大学院修了。

2019年、ワークログ株式会社の創業メンバーとして参画。2020年、代表取締役に就任。

無職・フリーターの過去を乗り越え、現在は年商1億円を超える企業の社長として公共事業を中心に事業拡大中。最近の趣味はチェーンソーで木を切り薪を作ること。

▼代表の過去はこちら

https://www.wantedly.com/companies/worklog/post_articles/540727


無職の過去。絶望の時代から起業への道のり

ー本日はよろしくお願いいたします!まずは社長の過去からお聞きしていきたいと思っています。いきなりぶっ込んだことを聞きますが、無職の時代があったんですよね…?

よろしくお願いします!そうです。無職時代は本当に絶望でしたね(笑)

学生時代、司法書士の資格を取るために毎日12時間以上勉強していたのですが、なかなか合格できずにそのまま卒業を迎え、フリーターをしながらひたすら勉強する日々が2年続きました。

周りが名の知れた大企業に続々と就職して活躍しているのを見ているのが辛かったですね。

最終的に司法書士を諦めて就職することにしたのですが、当時は第二新卒という言葉が浸透しておらず、新卒でも中途でもない状態での就活は厳しいものでした。数ヶ月かけてやっと内定をもらえたときは号泣しましたね。懐かしいです。


ー今の社長からは想像できない過去ですね。そこから起業に至るまでにどんな心境の変化があったんでしょうか?

起業までの経緯を話すとものすごく長くなってしまうので、簡単にまとめてお話ししますね。詳しい経緯は過去の記事でも紹介しているので、暇で暇で死にそうな人はぜひ読んでみてください。

これまで不動産ベンチャーや人材会社、コンサルティング会社など数社で働いていましたが、僕は社長タイプじゃないという自負があり起業は意識していませんでした。しかし、最後にいたコンサルティング会社での出来事が私の人生を大きく変えることになります。

そのコンサルティング会社に入ったきっかけは、私が学生時代に執筆した論文でした。村田製作所が私が執筆した論文の領域で新規事業を立ち上げるということで、事業化にコンサルタントという立場で関わるためにオファーを受けたんです。

3年の支援を経て、実際に「NAONA」というサービスでリリースされたのですが、あくまで外部コンサルの立場だったので事業がリリースした後の成長に関わることができませんでした。

自分も一緒に作ったサービスなのに、ここで終わりなのか…。と、正直ものすごく寂しかったですね。我が子の成長を最後まで見届けられないような感覚です(笑)

事業を最後まで見守ることができないことにコンサルタントとしての仕事に虚しさを感じるようになっていた頃、ちょうど上司に「一緒に会社を立ち上げないか?」と誘われたんです。

当時、結婚したばかりで娘も小さかったのですが、取り敢えず「付いていきます」と即答しました。起業への憧れや意識もなかったのですが、ベンチャー出身ということもあり周りに起業家が多かったので、そこまで抵抗がなかったんですよね。

このままコンサルタントとして働き続けるよりも面白い未来が待っている予感がしました。誘ってくれた上司は僕が見る限り最も仕事ができる人間で、この人の将来をもうしばらく間近で見てみたいという気持ちもありました。


こうして、ワークログ株式会社を創業するに至ります。

ちなみに、事後報告した時の嫁は「ええやん」と一言だけ言っていました(笑)


予期せぬ社長交代!?突然の前代表辞任

▲ワークログ創業メンバー

ー上司に誘われたということは、創業初期の頃は社長ではなかったんですか?

はい。最初はNo.2として参画していました。創業して1年半が経ったある日、代表が別会社の役員に就任することになり、急遽私が代表に就任することになったんです。

正直当時は、予期せぬ事態に「まじか…」と呆気にとられていました。それでも代表の座に就かざるを得なかったので、前に進むしかなかったですね。

今でも「代表取締役」という肩書には慣れないです。

「社長!」っていじられる時もあるんですが、”ロケット鉛筆方式”で就任しただけなんでって説明しています(笑)


ーそれは大変でしたね…。

正直その時は、ふざけんじゃねえって思ってました(笑)

今となっては、こうしてワークログの代表になれたことに感謝しているんですけどね。

前代表に会計や労務など全ての管理業務を任せていたので、引き継ぎは本当に大変でした。引き継いでから初めて知ることばかりで、驚きを隠せなかったことを覚えています。自分1人では知識が乏しく、色んな人に助けてもらいました。一緒に受験勉強をしていた司法書士の友達に助けてもらったときは、あの苦しい受験期間がようやく報われた気がしましたね(笑)


営業は一切しない。信頼で仕事をつなぐ

▲神奈川県庁

ー代表になってから、会社に変化はありましたか?

そうですね。1番の大きな変化は神奈川県庁への参画ですかね。

前代表が退任する少し前から、神奈川県庁の新型コロナウイルス感染症対策本部の企画・開発に携わることが決まっていたのですが、「取り敢えず県庁に来てくれ」って詳細を知らされていないまま身一つで飛び込む形になったんです。

何をやるのか知らない。誰も知らない。医療のことも知らない。

アメリカ軍に竹槍1本持って挑む日本兵の気持ちでした(笑)

それでも、神奈川県という大組織の、しかも県民の生命に関わる責任のあるプロジェクトに関わるということは、ちょっと前まで無職だった雑魚の私にとっては、こんなに光栄な事はありません。だからこそ、できる事は何でもやろうと、たいして何も入っていない自分の引き出しを全部ひっくり返しましたね。

▲神奈川県新型コロナウイルス感染症対策対策本部の様子。右手前が山本。

最初は企画や戦略立案に携わり、「神奈川モデル」と呼ばれるコロナ対策の方針を定めました。その「神奈川モデル」の実現に際し、システムの開発が必要であったため、徐々に開発にも携わることになりました。企画・設計・開発・運用と、”劇団ひとり”みたいな働き方をしてましたね。

コロナが落ち着き対策本部が解散してからも、県庁とは様々な形でお付き合いを続けています。対策本部は、県庁の様々な部署から緊急で職員が招集されていました。元の部署に戻った方々が「また山本さんと一緒に仕事をしたい」と県庁内の別の部署からお仕事の依頼をしてくれたんです。こうして、更に幅広い範囲で県庁のお仕事をさせていただけるようになりました。

神奈川県庁とは3年を超えるお付き合いとなり、2023年7月には神奈川県デジタル戦略本部室のDX推進アドバイザーに就任しました。


ーコロナ対策本部で培った信頼が今も生き続けているんですね。

はい。県庁に限らず、ワークログは営業をせずにこれまでの人脈や信頼で仕事をつないでいくスタイルを取っています。

というか、営業苦手なんですよ。ペットボトルの水を売る理論があるじゃないですか。僕は100円の水を50円で売って「よっしゃ!」って言うタイプです(笑)

そのため現在頂いている仕事の多くは、私が過去に勤めていた会社や同僚、学んでいた学校など、過去のつながりから生まれているものです。


日本一無名な会社になりたいって、どういうこと?


ーワークログのビジョンに「日本一無名な会社になる」とありますが、一体どういうことですか?

社長に就任しちゃったもんで、慌ててビジョンを考えました。

考えても考えても、どうしても会社を大きくすることに抵抗があったんです。

組織が大きくなるにつれて、会社の名前で仕事を受注できるようになり、業務は仕組み化され、個々人のスキルに左右されずに売上が立つようになります。もちろんそれは素晴らしいことなんですが、私は個人の名前で勝負したいという気持ちが強く、会社ブランドが確立されていくことにワクワクしなかったんですよね。

そこで、日本一無名な会社になるというビジョンに決めました。会社の名前ではなくタレントのように個人の名前で仕事ができる人材を増やしたいという意味が込められています。

僕は橋本環奈さんを知っていますが、どこの事務所に所属しているかまでは知りません。個人で仕事ができるって、正直所属はどうでも良いんですよね。芸能業界に限らず、一般企業においてもそういう働き方が理想だと思っています。

神奈川県庁の事例もまさにそうで、ワークログ株式会社の代表という肩書きではなく「山本純平」という個人の実績やキャラクターが評価された感覚があります。それに、ワークログと仕事したいって言われるより、山本さんと仕事したいって言われた方が、テンション上がりません?

もっと言うと、僕のことを「山本さん」と呼ぶ人は少数派で、大体お客さんでも「純平さん」「やまもっちゃん」「J」とかあだ名で呼ばれます。その方が個人として認知されている感じがして心地が良いです(笑)

会社ブランドに頼るのではなく、自分自身がこれまでどんな仕事をしてきて、どんなことが得意なのか「個」で戦っていけるような人をワークログから輩出していきたいです。

弊社をキャリアアップの踏み台にしてくれたら、この会社を経営している意味があるなと思いますね。


ーたしかに、私も好きな芸能人がいますがどこの事務所に所属しているのか知らないです(笑)

そうなんですよね。なのに一般企業となると会社の名前で判断する人が多い。転職でも、過去の会社や肩書きだけでなくもっと個人にフォーカスするべきだと思うんです。

その人が何を学んできていて、どんなキャラクターなのか、どんな場所で輝く人なのかなど、もっとわかりやすくなればいいのになと思います。もちろん、面接ではしっかり深掘りする会社もあるんだとは思いますが、書類選考となると難しいものです。

組織ではなく、その中の個が輝けるような社会を作っていきたいですね。


教育分野への新たなる挑戦。

ーありがとうございます。今後、ワークログで実現したい夢や目標はありますか?

今後の目標として、大きく2つ考えているものがあります。

まず1つ目は、自治体のDX推進事業をさらに加速させていくことです。これまで神奈川県庁をはじめとする様々な自治体のサポートを行ってきた中で、自治体DXのポテンシャルを肌で感じてきました。

今後は、神奈川県庁に留まらず全国各地の自治体のサポートができるよう体制を強化していく予定です。

2つ目はキャリア教育事業です。小中高大と学校に行っても、将来自分が勤める会社の仕事内容は学ぶことができません。特に総合職の場合、入社してからでないとどの部署に配属されるかさえ知ることができないのが現状です。

このように、自分に適した仕事がわからないまま就活を行い入社を決めるとミスマッチが起こってしまいます。最近では「リスキリング」という言葉も流行っていますし、社会人においても新しいスキルを身に着けていくことは人生100年時代に向けて必要不可欠です。

まだ構想段階ですが、個が輝ける未来を作るためにも実現させたいと考えています。


金髪や坊主と働きたい

ー今後、どんな人と一緒に働いていきたいですか?

金髪や坊主と働きたいんですよ。

ー金髪や坊主?想像を超える回答で驚きました(笑)なぜ金髪や坊主なんですか?

僕の経験則ですが、見た目に拘らずに仕事をしている人ってもれなく仕事ができる人なんですよ。

仕事ができるからこそ、その見た目を周りが認めているわけで、見た目で判断してくるような人とは仕事をしないわけです。

私は仕事をする上で個性というのは大事だと思っているんですが、仕事においてその個性は「提案力」という形で影響が出てくると考えています。単に受け身で上司から言われたことをやれば良いのではなく「自分はこう思う」「自分だったらこういうやり方にする」といった主張も大事です。

つまり、金髪や坊主はあくまで一例で、見た目に関係なく周りから信頼されている人は自分の意見を主張することができ、提案力という形で貢献してくれると思っています。

「毎日下駄を履いていて、職場では鬼太郎って呼ばれてます」って人がいたら即採用しますね(笑)


まずはお話ししてみませんか?

ー最後に、これを読んでいる方に向けて一言お願いします!

まず、最後まで読んでくださりありがとうございました。ここまで読んでくださったということは、少しでも共感してもらえた部分があったのではないでしょうか。

無職でも社長になれるんだ〜。営業しなくても仕事って向こうからやってくるのか〜。と、なんとなくでも僕と会社のことを理解していただけていたら嬉しいです。

金髪や坊主以外でも、自治体DXに興味ある方や、2足・3足の草鞋で幅広く活動している方など、尖ったキャラクターの方がいたらぜひ一度話を聞かせてください!お待ちしています。


ーバッチリです!素敵なお話を伺うことができて、私もいち個人としてもっと輝きたいなと思いました。本日はありがとうございました!

こちらこそありがとうございました!


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