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キンパツ以上の白髪でBarのマスターをやっていた自分が懐石料理のお店でマネージャーをやっている理由

はじめまして、株式会社StyLeでマネージャーをやっている田中といいます。

StyLeの中でも、特にいろいろな業態を経験している自分の話を通して、

この組織の可能性を少しでも感じてもらえたらうれしいです。

自分は、StyLe創業よりも前から、代表の石川と一緒に働き始めていて、

いわゆる創業メンバーのひとりと言われることが多いです。

石川がひとりでやっていた渋谷のお店に合流し、ほぼ同じタイミングで入った滝澤と

3人でお店をやっており、最初は月300万くらいしか売れてなかったお店を600万売れるまで、

成長させることができました。

自分は主にキャッチ部隊。

別にキャッチが好きなわけではなかったのですが、

とにかくやる気だけはあったので、お店を繁盛店にするために必死でやっていたのを

覚えています。

金髪以上にアタマは真っ白なBarの店長

渋谷のお店が軌道にのってきたあと、自分は西麻布のBarを任されることに。

もちろん経験なんてなかったのですが、とりあえずやっちゃう?というノリでやってみることに。

やってみると、これが想像以上にしんどくて。。

いや、忙しいのではなく、お客さんが全くこない。。

1週間ノーゲスとかもありましたね笑

そんなとき、皆さんならどうしますか?

販促をうつ、目玉商品を考える、

色々あると思うのですが、自分の場合は、

まず、髪の毛を真っ白にしました笑

当時、自分は金髪だったのですが、金髪だと目立たないかな、と思い、

思い切って、真っ白に。

で、そのアタマで近隣のお店に挨拶にまわったんですね。

「新参者ですが、よろしくお願いします!」

そりゃ、目立つわけですよ笑

当時、自分は29歳。

まわりのお店を運営している方々からしたら、

若造だったわけですが、白髪で挨拶作戦は成功。

少しづつお客さんが来てくれるようになったのです。

ちょうど隣のBarが7時までの営業だったので、

営業時間も朝9時まで延長。

周りのお客さんにかわいがってもらい、

自分もやれることはなんでもやり、なんとか成功?を収めたように思いました。

おかげで、朝ご飯は毎日テキーラ、ここではとても伝えられない貴重な(?)経験も

多くさせてもらいました笑

で、その次は新宿でBarをやるも、いろいろあって失敗。

そのあと、浅草で相席屋のFCをやることになったのですが、これも失敗。

この頃は本当に失敗続きでしんどかったですね。。

そこから、今でもある小岩のピッツア主体のイタリアンの立ち上げ。

ピザ生地で世界一をとったことがある方に監修に入っていただき、

自分でも調理を覚えながら、いろいろなことを勉強できた時期でしたね。



多種多様な経験が積める環境

で、今では、渋谷にある、ふた味という懐石料理店のマネージャー。

自分のStyLeでのキャリアを振り返ってみると、

居酒屋→Bar→Bar→居酒屋(相席屋)→イタリアン→懐石料理

おそらく、ひとつの組織にいながら、これほどまでに多種多様な業態を経験した人は

あまりいないんじゃないでしょうか?笑

こういうところもStyLeの魅力のひとつだと思います。

今だと25業態。

大衆居酒屋から、海鮮系、蕎麦、ラーメン、イタリアン、餃子、日本酒、懐石料理など。

本当に多種多様な業態を展開しています。

自分の場合は、破天荒なやり方でBarをなんとか運営してきたり、

本格的なイタリアンでイチから調理などの勉強もできた。

そして今では、おそらく日本はもとより世界でも最先端の、

「料理と日本酒のペアリング」をそれぞれの専門家のもとで学べている。

もちろん転職すれば、そういったキャリアも可能だと思いますが、

ひとつの組織に属しながら、こういった多種多様なキャリアをつめる環境はそれほど多くないと思います。

たしかに自分の場合は、創業メンバーであることから、優先的に?新しいことにチャレンジできてきましたが、これから入る方の中で、いろいろな業態を経験したい、という方がいれば、そういう働き方・チャンスが十分にある環境といえるはずですね。

(ひとつの業態に絞った働き方も可能です)

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