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はじめまして、プロトソリューション ソリューション開発部沖縄の岸本です。
表題の文化について、それがどの様に築かれたのか、私なりに会社の歩みを
振り返りながらお伝えできればと思っています。
私の学生時代
大学は商経学部経済学科を卒業しました。学生の頃からぼんやりと、地元沖縄の発展に貢献したいという思いがあり、経済について学べば学ぶほど、沖縄の特性を活かしつつ発展していくためにはITが必須である、という考えを持つようになり、大学3年あたりからITの仕事に就きたいと思うようになりました。また、大学時代、当時Jリーグを目指しているプロサッカーチームに所属し、授業以外はサッカーばかりやっていました。
就活時は、IT職か、サッカー選手か迷いました。最終的にはITの道に進みたいと思いながらも、「こんな経験は一生できない」と悩んだ末、「2年だけ!」と決めてサッカー選手を2年間経験しました。
サッカー選手時代(プライドの塊、変人、もしくはフィジカルお化けの集団)
プロサッカーチームは厳しい環境でしたが、仕事内容は、「毎日体をいじめるだけの簡単なお仕事です」冗談の様ですが本当です。チームにより差はありますが、とりあえず狂ったように走らされます。走るメニューが多いのと、通常メニューにおいても常にダッシュで一般サッカーの倍位は走ります。仕事としてやっているからか億劫な感情はなく、逆に多めに走ったりペースを上げたりして、その日の脈拍を見て体の調子を整えたりしていました。そしてあれだけキツイ練習の後に、チームの皆さんは楽しそうに筋トレをなさっていました。変態!
仕事としてやるサッカーは異質で、談笑したりはありつつも常にピリピリとした緊張感があり、少しのミスも許されず、練習中に変なミスでもしようものならそれが夢に出ることもありました。また、これはスポーツ特有かもしれませんが、良いプレーをする為、お互いに主張し衝突することもよくありましたが、例え大喧嘩をしてもフィールドの外には持ち出さず、練習後、ロッカールームで喧嘩したばかりの相手と今日夕飯何食べる?と何事も無かったかのように話をするような清々しい関係はありました。お互い本気だからと理解していたのだと思います。そんな仲間達と2年、サッカーをしていました。
ちなみに、私が現役時代対戦したチームの中には、今となってはJ常連のFC琉球、Vファーレン長崎、ニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ)、ロアッソ熊本、ヴォルカ鹿児島(現・鹿児島ユナイテッドFC)等があり、特に地元FC琉球とは、私が出場した試合だけでも大学時代から数えて4、5回位は対戦したことがあります。今となってはいい思い出です。
そんな私ですが、サッカーは2年、と決めていましたのでバッサリと引退し、それまでサッカーに注いでいた情熱を全てビジネスに注ぎ込んでやろうと意気込み、スポーツからITの世界へ飛び込みました。この2年の経験は今でも私の中で、仕事感、プロ意識、チャレンジ精神となって活きています。
そして、プロトデータセンター(現・プロトソリューション)に2008年に入社し、14年目になります。現在はチーム管理者、プロジェクトマネージャーとして案件推進しつつ、部署の人材育成・採用活動にも携わっています。会社内でも古参の部類に入ります。それでは、プロトソリューションの歴史を振り返っていきたいと思います。
創業期!自律自走してナンボ、自分でキャッチして調べて解決。指示待ちじゃ話にならない(部署人数5名)
さて、プロトデータセンター(現・プロトソリューション)ですが、創立が2007年4月3日ですので、私の入社時は創立2年目でした。当時は「中古車情報誌グー」の誌面制作を主な生業としており、全国で発刊されるグーシリーズの制作を担っていました。
私はその中に、情報システム部の一員として加わりました。当時、人数は責任者含めて5名の部署で、業務内容は前述の誌面制作に関連するシステム全般の運用保守、改修でした。Webページ等ではなく、制作現場の方々が車両情報を入力するためのアプリ等、業務アプリケーションがほとんどでした。言語は、今となっては懐かしいVB6が多く、その他、C#等の言語を用いていました。
またまだ仕組み化も進んでいない中、当時200名余りの規模の会社で起こる、全てのシステム、IT機器の不具合に関する問い合わせを部署の5名で捌いており、発生する事象もシステムエラーからネットの不調、プリンターの不具合まで、ソフト・ハード問わず様々な対応を行いました。
ナレッジもないですが、「自分達が解決できなかったら一体誰が解決するんだ」という想いで、業務遂行していました。制作現場の方々も頼りにしてくださっていたので、問合せを頂いた方に“分かりません”
とは言わない!分からなければ調べて理解して解決する、という考えで日々臨んでいました。
この期間で、問題が発生しても、慌てず調査をして自力で解決する、という能力は相当鍛えられたと思います。この経験を通じて、自律して考えることと、大抵の問題は自力で解決可能だという考えが体に染み付きました。この時、自律・自走、という考え・文化の基礎が出来上がったのだと思います。今思えば、指示されずとも、自分で考えて問題・課題解決するのは難しいことで、最初にこの経験が積めたのは非常に良かったと思っています。
フレームワーク、品質・標準化(部署人数10名規模)
入社2年目、情報セキュリティの国際規格であるISMSの導入、というイベントが有りました。
この時、初めて部内の情報が一斉に整理され、規格に則った形式で管理がされるようになりました。
私はある意味、初めてフレームワークというものに触れました。仕組みを導入しPDCAを回し継続的に
改善をする。当たり前のことかもしれませんが、当時の私にとっては衝撃的でした。これをきっかけに、仕組みを作る、フレームワーク化する。ということを考えるようになりましたし、考える組織になったと思います。
それから更に2年後。2011年:「標準化」に出会うことになります。当社に、前職、バリバリの
大手SIerで働いていたという人が入社してきました。現、当社役員の仲濱です。
当時、要件定義・設計・開発・テスト、という考え方、ドキュメント自体はあったものの、
管理はされておらず、内容・粒度がバラバラでした。そこに彼がメスを入れ、初めて、要求・要件定義、~リリースの工程を厳密に定義づけて、それぞれにチェック工程を設け、標準化を導入しました。
これにより、品質は格段に向上しました。今でこそ、当社内のメンバー間で共通語となっている品質基準や標準化は、この時初めて導入されました。現在行われている品質管理の原点であったと思います。
※沖縄本社ビルをご紹介
左:プロト宜野湾ビル(2009年3月完成) 右:プロト宜野湾第2ビル(2013年12月完成)
挑戦するという文化(部署人数30名規模)
彼(仲濱)は上記をきっかけに、品質を高める為、テスト専任チームを立ち上げ、単身、半年ほど東京で業務をし、チームを軌道に載せ、現在の売上の柱を構築しました。同時期、スマートフォンアプリケーション開発が世間的にも開拓されており、そのニーズを受け、スマートフォン開発チームを立ち上げ、それも軌道に乗せました。
何が言いたいかというと、彼は、常に先頭に立ち、仕組みを作り、新たなものを生み出すことに挑戦をしていました。そして、彼自身、とてもイキイキしていたように思います。部署としても、新チームの設立等の変化が多く起こり、チャレンジの機運が高かったように思います。この時、チャレンジすることの楽しさと、あるべき姿を想像して物事に取り組むことで道が拓かれる。ということを数々の成功事例を前にして、実感しました。
当然、多くの失敗も経験しましたが、チャレンジし続けることでこの部署は発展をし続けていました。
この時、新チームやプロジェクトを立ち上げたり、採用したりと、ヒトの動きが多く発生しましたが、
一番大事にしていたことは、本人の「やりたいという意志」です。チーム・案件の人員募集を部内でかけた際、自ら「挑戦したい」と声を上げてくれた人を優先的にアサインするようにしていました。
この頃から、「挑戦」を奨励する文化が出来上がったと思います。
部署の拡大~現在(部署→部門へ、7部署120名規模)
そういった流れで、親会社のWebサービスの仕事が多く入ってくるようになり、短期間でいくつものチームを立ち上げましたが、この時、標準化された仕組みが大いに役立ちました。スムーズにセットアップできたように思います。その後、数年に渡り、Web案件は増加し、各サービスのスマホアプリ構築を行う様になり、部署は本格的に拡大していきました。
※この頃自社開発したスマホアプリがトレンド入りし、全国の朝の番組で紹介されたこともありました。
詳細は割愛しますが、拡大にあたり県の支援で教育事業などを手掛け、採用を生み出したりなどしておりました。また、親会社から仕事を受注するにあたり、お客様の近くで仕事をするという目的で、東京支社プリセールスの立ち上げも行いました。その後、2016年~グループ会社、アイソリューションズとの合併(現:仙台本社)を果たし、プロトソリューションとなり、ベトナム拠点設置などを経て、現在の形となりました。
現在は、大きく分けて、Web開発、スマートフォン開発、テスト、社内情報システム、外販(グループ外業務)、先端テクノロジーの、6つの役割で、沖縄・仙台・東京・ベトナムと4拠点で連携して開発を行うようになりました。上述の成長過程を経験したメンバーの多くが現在、役員・責任者、プロジェクトリーダー、マネージャーとして活躍しています。部門一丸となり、今後の自社の新サービスの創出・開発、さらなるチャレンジに向け、組織強化に取り組んでいます。
最後に
振り返りは以上です。上記の流れで表題の文化が出来上がってきたと思います。
現在は、自律・自走・挑戦し、且つ、それを楽しみましょう。と、方針にも明文化され、
メンバーにも展開がされています。
創業からフルスロットルで駆け抜けてきまして、ちょっとしたサバイバルな時期もありましたが、
仕組化・ナレッジ化も進み、働く・学ぶ環境も大分改善・安定してきた様に思います。このように、
挑戦により発展・成長してきた部門・部署ですので、そのDNAは継承しつつ、より働きやすく、
学べる環境、挑戦できるプロダクトを今後も生み出していけたらと思っています。
※文中にもありますが、現在、組織強化に取り組んでおり、共に働く仲間を募集しています。
以下に当社のアピールポイントを紹介させて頂きます。興味をお持ちになられた方は
お気軽にご連絡下さい。
自社メディアを運営しているということ
表題のとおりですが、当社はグループ企業のメディア開発を担っており、全員が高い当事者意識を
持っており、「自社メディアを運営している」という誇りとやりがいを持って仕事をしています。
顧客満足と品質を大事にしている
当社は顧客満足を大事にしています。上述の様に当事者意識を持つことで、顧客と信頼関係を築ける様、取り組んでいます。それらは基本的に、品質という土台の上でしか成り立たないと考えております。
その為、品質管理・向上の為の専任組織があり、日々、改善に取り組んでいます。また、定期的に顧客満足度アンケートを実施することで満足度を把握し、改善を行っております。
今後、どうしていきたいか
とにかく楽しい部署にしたいと考えています。チャレンジを楽しみながら、
結果的に多くの方に使って頂けるような自社サービスを創出できるような会社に成長していきたいです!
その為、採用・教育により力をいれて組織強化に取り組み、メンバーが学び、成長できる環境を
整えていきたいと考えています。
挑戦するということ
メンバーが「挑戦したい」と声を上げたことに基本的にNoとは言いません。
それを叶えるためには何が必要か、どうすべきかを一緒に考え、実現に向けて応援します。
求めている人物像
・挑戦できる環境を求めている方
・当事者意識を持って取り組める方
・自社サービスの運営・構築に携わってみたい方
・イノベーションを起こしたいと考えている方
・プロジェクトリーダー、プロジェクトマネージャーをキャリアプランとしてお持ちの方