こんにちは。
NINJAPAN株式会社でセールスマネージャーをしている村越と申します。
創業期に入社してから、気づいたら1年半あっという間に過ぎていました(笑)
先に言っておきますが、私は文章を書くことが苦手です。
拙いながらもアツい想いを伝えさせていただきますので、寛大な心で見ていただければ幸いです。
今回お話しさせていただく内容は、自分史からなぜ創業期という大変な時期にも関わらず、
前職を辞めて挑戦すると決意したのか。あとは、入社後のエピソードなどをお話させていただきます。
自分に甘かった子ども時代
家族構成は父、母、姉、私、もも(犬)の五人家族。
生まれは宮城県仙台市、そこから福島→神奈川→東京都と父親が転勤が多かったので
引っ越しを繰り返しするような暮らしをしていました。
小学二年生の時に東京に永住することが決まり東京で育ってます。
タイトルにも書いたように、私は自分に甘い人間です。
大学までは誰かのせいにして生きてきたため、
中学、高校と上がるたび、「小学校の時は楽しかった」、「中学の時のほうが楽しかった」など
過去にすがるような発言するような、我儘な人間でした。
恥ずかしながら受験勉強も一切しておらず、塾に行っても遊ぶばかりで勉強しない、
正直、高校まで頑張った経験はただの一つもなかったです。
顧問を見返してやると努力したバドミントン
頑張り始めたのは高校からです。
高校時代、バドミントン部に入っていたのですが、プレースタイルが嫌いという理由で
先生に嫌われて、理不尽な目にあっていました。
当時、人生で初めて「こいつにだけは負けたくない」って思うくらい顧問が嫌いでした。
絶対に見返してやるいう気持ちでクラブチームに入り、放課後もクラブで練習した成果が実り、
大会でいくつも賞を取ることができました。
それまで、顧問を見返す気持ちでバドミントンに打ち込んできましたが、いつの間にか努力する楽しさや、バドミントンを通して様々な人と仲良くなることで、コミュニケーションに対しても自信が少しつきました。
その後大学でもバドミントン部をやろうと思ったのですが、それまで成果を上げられたとしても、全国に行けるほどの才能もないし、
大学生活は青春を送りたいなと思ったのでサークルに入りました。
失った時に初めて大切なものに気づく
大学はめちゃくちゃ遊びました。
友達を100人以上作って連日連夜遊んだり、酒を浴びるように飲んだりという生活をしていました。
あいも変わらず勉強もやらなかったので、成績出る度に恐怖してました。因みに私が通ってた玉川大学は、GPAを2.0下回ると退学にさせられる成績に厳しい大学です。
だけども、サークル会長になり、先頭に立つ難しさや楽しさを知ったり、多種多様な人と遊びながら、順調に大学生活を送ってました。
そんな中、人生で一番つらい思いをして状況が変わりました。
大学三年生の時に、愛犬のももが死んでしまったのです。
ももと最初に出会ったのは家族で出かけた先で、ふらっと寄ったペットショップです。
そこで、マイペースそうな目をしたミニチュアダックスフンドを私が見つけました。
じっと私がその犬を見つめてた時に、店員さんが「抱っこしますか?」と提案していただいて、抱っこさせてもらいました。
その子を抱っこしていると、いつのまにか私の腕の中で寝てました。
その時にとても可愛くて、絶対この子を家族にすると意思決定しました。
それから姉と二人で親にめちゃくちゃ駄々をこねて、世話をするという決まりで飼うことになりました。
因みに「もも」と名付けたのは私です。
小学生なりに語呂がいいと呼びやすいと考え名付けました。
飼った当初からももに会いたくて、学校が終わった瞬間に速攻家に帰って散歩していました。
常に構いすぎて、ももが面倒くさそうな顔していたのを今も覚えてます。
私がいじめにあったり、親に叱られたりなど、辛い時にずっと側にいて癒してくれたのは
ももでした。
高校時代に、部活がきつ過ぎて辞めたいと思った時や、チームメイトと揉めた時に話し相手になってくれたのも、ももでした。
大学時代はずっと遊び惚けて自分のことばかり、ももの世話をした記憶が全くないです。
たまに帰ってきたときに少し遊んであげるくらいしかしてませんでした。
大学三年の春ごろに、ももは急に病気になりました。
医者にも持って一週間くらいといわれました。
そこから一週間ずっと一緒にいました。
その間辛そうにしているももを見るのは本当につらかったです。
高校時代に散歩やご飯、トイレの処理などの世話をすることが面倒だなという気持ちを感じたことや、大学生活でも全く世話をしなかったことに対して、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。
結局、医者の余命宣告通り、死んでしまいました。
最後は見取りました。
亡くなる瞬間は今も脳裏に媚びれついていて忘れられません。
間違いなく一生忘れられないでしょう。
結局、今まで自分が辛い時に助けてくれたのに、私はももに何も返せませんでした。
失った時に初めて大切さに気づくといいますが、あの時ほどその言葉を痛感したことはありませんでした。
ももと過ごした日々は絶対に忘れてはいけないし、せめて何か意味のある死にしようと思いました。
一番に思ったことは、もう二度と後悔しない人生を送るということです。
親には、それまで言うことを一切聞いてこなかったし、期待に応えられた試しもない、本当にずっと迷惑ばかりかけていました。
まずは、今までの記憶にある中で迷惑かけてきた出来事に対して、自分が本音で思っていたことを打ち明けたり、自分の行動言動で悲しませたことを謝罪したり、今まで見捨てずに世話や家事など無償の愛をくれたことに感謝を伝えました。
友達にも言いたいことが言えない性格だったのですが、
その人のためになることであれば、嫌われてもいいという思いで、話したり、行動しようという心情に変わりました。
就活から新卒の会社に入った経緯
就活において、失敗しても「最悪、自衛隊にでも行くか」と考えてました。
しかし、これまで迷惑かけてきた親に、楽させたい、恩返ししたいなと思い、難しくても言い訳せずに、大手の会社に就職することを決意しました。
ただ大手企業に行くと決断したところで、私には頑張った経験がなかったので、社会人や就活に詳しい知り合いの伝を使い、手段を模索しました。
その結果、会社で必要とされる人材になるためにも営業を学ぶべきだと教えられ、ご厚意で業務提携で営業をやらせていただきました。
その後はインターンで仕事を経験したり、自分で事業を立ち上げて、マーケティングやマネジメントをしたり、いろんな方々にビジネスコンサルをするなどしていました。
自分が後悔しないためにも生き抜く力や誰かを守る力を身に付けるためにも、必要性がある、やりたい、と思ったことは全てがむしゃらに実行するようになりました。
その努力も実り、仕事でも結果が出て、自分を認めてくれる仲間や自分の指導をしてくれる恩師もできました。
そんな時にふと、自分が本当にやりたいことは、これまで自分のために行動してくれた人たちに恩返しをすることだと考えました。
いつも落ちぶれてた自分が周りにすごいとわれるようになったり、今まで無理だと思ってたこともたくさんできるようになってました。
自分一人の力や他人の感謝に気づけなければ間違いなくニートになっていたでしょう。
そうしたことに気づかせてくれたのはやはり、ここまでお世話になってきた、恩師や友人、家族、あとはももの存在です。
ここからの人生は動物や自分みたいに困っている人たちを助けることをしたいなと思いました。
今の目標は動物殺処分ゼロにするためのペット事業をすることです。
人生が好転してきて、就活のほうでも、手伝ってくれた人のおかげで、
大手通信会社2社、大手人材会社1社、ベンチャー2社、IT系中小企業2社から内定いただくなど、
自分では考えられないくらいの成果をあげられました。
しかし、苦労して内定獲得した企業にはいきませんでした。
なぜかというと、自分で立ち上げをしていた時に飲みの席で出会った社長さんがいまして、その方の仕事の考え方がとても共感できるものだったり、
起業するための準備を手伝ってくれるとのことで、ノリと勢いとご縁を感じ、その社長さんの所に入社することを決めました。
その会社は電話営業が強い会社で「ゾスッ」が文化の会社です。
最初に電話営業をやっていたのですが、営業成績は新卒の中では最速一位を獲得し、社員の個人成績でずっと上位を維持してました。
半年くらい営業部署にいて、責任者としてマネジメント業務や新規事業の立ち上げを任され、自分の部下達のおかげもあって一年間部署目標もクリアし続けました。
昇給昇格も三か月ごとくらいにしていき、同年代と比べていたら圧倒的に給与ももらえるようになりました。
ただそんな上手くいってる中で会社を辞めようと思うようになりました。
理由はその会社でそれ以上の成長を見込めなかったからです。
社員の人たちで営業力が高い人はたくさんいました。
ですが、それ以外の能力値はお世辞にも高いといえませんでした。
マネジメントにおいても、理論はなく、ただ「俺を真似ろ」、「根性の問題」など人によっては全く参考にならないアドバイスが非常に多い会社でした。
なので、このままいても、お金はもらえるが、自分の起業するという夢に関しては叶えられないなと思い、やめました。
なぜこのNINJAPAN株式会社に来たのか
前職を辞めたのは、役員の田巻と杉野に今の会社に誘われたのもあります。
誘ってくれた役員の2人は自分が尊敬する人達でしたし、何より信頼できる人から一緒に仕事がしたいと言ってもらえ、入社を決めました。
なおかつバチバチの立ち上げをやるということで、
自分の現状の実力を試してみたいなという気持ちや、自分がやりたいと思っていたペット事業も手伝ってくれるとのことで条件も非常に良かったというのもあります。
そして入ると決めてその後会ったのが社長2人です。
2人は兄弟と聞き驚きました。兄弟2人はあまり似てない印象でした。
弟の景介さんは身長も体もでかいし、風貌も迫力があってビビりました。ただ、頭はめちゃくちゃ切れる優秀な方でした。
兄の翔太さんは外銀出身でエリート、頭の良さが異次元でした。
こんなにも経歴的にも能力値的にも高い人は出会ってこなかったので、この人たちと仕事をすることができれば吸収できるものがたくさんあると思い、会社に入りたいという気持ちが強くなりました。
その後、もう1人の役員の神川と会い、とてもフレンドリーな感じで接してくれますが、話をすると普通の人とはずれた考え方を持っている部分も多く、癖があって面白い人だと思いました。
また、理解力に関しては今まであった人たちの中で一番あり、なぜここまで意図をくみ取れるのか気になり、一緒に働いて、能力を吸収したいと思いました。
ですが話してみて、本当に自分の能力値的にやっていけるかなと感じましたが、こういった人たちがいる環境だからこそ、現状の自分のビジネス戦闘力を飛躍的に伸ばすことができると確信しました。
あとは、みなさん温かい人たちで、忙しい中、私のことを頻繁に気にかけていただいたり、声かけてくださったりしてくれてすぐに馴染めました。
私の業務はセールスでした。
初日はサービスとセールス内容についての研修でした。
次の日も研修やるはずだったのですが、次の日にイレギュラーなことがあり、
急遽本番いってみようかという感じでセールスがスタート。
準備期間少なすぎて、ザ・ベンチャーという洗礼をうけ唖然としたことを覚えてます。
ですが、自分がここに来た理由は結果を出すことです、絶対結果を出すというマインドで、
毎日必死に勉強とトライ&エラーを繰り返し、安定した成果を残すことができるようになりました。
そのうち、自分の部下ができて指導したり、全体の数字を追ったりなど責任の範囲が増えていきました。
自分の業務のキャパシティも伸ばさないといけないので、そこで日々至らないことが多く、今も頭を悩ませています。
度々、色んな個性あふれる人たちが仲間に入ったり、自分のやりたいことを求めて退社していったりと、出会いがあれば別れがあるような感じも、これまたベンチャーだなと感じます。
この会社に来て自分は成長を常に感じてます。
成長を促してくれる仲間がいることに幸せを感じています。
今いるメンバーは非常に優秀で人間性もあり、本当に第二の家族といえるような温かいコミュニティです。
私は、自分の夢を追いかけて仕事をしてますが、仲間の為に仕事をやっている感覚もあります。
私には仕事をするうえで大切にしていることがあります。
①仲間同士でリスペクトしあうこと
②求められることに対してプロ意識をもって結果を出すこと
この二つを大事にする仲間と働きたいなとも思ってます。
会社の魅力としては自分の意見が言いやすいですし、話を聞いてくれます。
変わった人は多いですが、一人一人が人として尊敬できる部分を持っています。
ただ生きるために働くのではなく、働くことに意味をもって行動をしている人しかいないので、自分の叶えたい夢があるとみんなが協力してくれます。
本当に会社の同僚というよりも友達に近いというか、もはや家族なので、だからこそ仲間のために頑張ろうと思います。
ですので、生きるために働こうとしている人には、ただ苦痛な環境かもしれないですが、
働いている人のレベルが高いため、楽しそうに働いてる人と仕事したい、プライドもって働きたい人にとっては絶対に満足できる環境だと思います。
NINJAPAN株式会社という船に乗り込んでほしい人は
・プロ意識
・義理人情にアツい人
・体力ある人
・多趣味
・何か一つでも努力して自信をつけたことがある人
・夢を持ってる人
・欲深い人
・動物好きな人
こういう特性がある人はあってますし、馴染みやすいです。
(動物好きは私だけかも)
少しでもこういう人と仕事してみたいなと思ったら気軽に話しかけてほしいです!
私達はまだ見ぬ新しい仲間を待ってます!
ぜひ、気になったら遊びに来てください!