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モノサスのかたちを作ってきたデザイナー、小野木 雄

モノサスでは自分たちのWebサイトにスタッフが交代でコラムを書いています。
今回はその中から、デザイナーの小野木を紹介した記事をご紹介します。

銀座三越2階のカフェ。
私が小野木とはじめて会った場所だ。

何を話したかはあまり覚えていないが、いくつかポートフォリオを見せてもらい
その場で3件くらい仕事を頼んだはずだ。

当時はまだ「モノサス」という社名ではなく、Web制作会社を名乗っているのに
社内に制作メンバーはひとりもいなかった(少し爆弾発言)。

私が営業をして、プランニングをして、ディレクションをしていた。
同時に10本あまりの案件をまわすという
切羽詰まった状況の中で、デザインで戻しがあるのは、致命傷。

「一発でクライアントからOKをもらえるデザイナーがほしい」

今思うとずいぶん乱暴な戦略だが、いくつもの案件が常に火を噴いている状況で、
ワークフローがどうのなんて言ってられない。

「仕事を片付けられるスキルがある人間を連れてくるしかない」

当時デザインをお願いしていたデザイナーの友人に
「身のまわりにいるWebデザイナーの中で一番すごいやつ紹介して」
と頼んだ。

それで紹介されたのが小野木だった。


むりやり二足の草鞋を履かせる


社内で案件のミーティングに参加する小野木(右)。2009年頃の様子。


だが、当時の小野木は別のWeb制作会社に務めるデザイナーだった。

そこで私が提案したのは、
「今の会社の仕事が終わったあと、
 トップページと下層の1ページのデザインだけ作って。
 そのあとのページへの展開はこっちでやるから」
というやり方だった。

なにせ案件はいっぱいある。転職とかあんまり考えてなさそうだし
そもそもうちの会社超怪しいし、すぐにでも複数案件をこなしてもらうには
むりやり二足の草鞋を履かせるこのやり方しかないと思った。

思惑通り、案件がすんなりまわりはじめた。

「やっぱり、こいつを口説くしかない」

そう確信した私は、
「いつになったらうちの会社くるの?」
となんのロジックもない口説き文句を言い続けた。

だって、小さな名前も聞いたこともないようなWeb制作会社、
普通に考えたら転職してくるメリットなんて何もない。

「いつくるの」
しか言うことがないのだ。

でも、半年言い続けたら、ほんとにきた。

ここから小野木と私の二人三脚の
Webサイト制作がはじまった。

そこからの私は、彼が満足する仕事を獲ってくることと、
満足するディレクションをすることに必死だった。

半年経ったころ、小野木が私にむかって
「はやしさん、最近デザインの良し悪し、わかるようになってきましたよね」

と言った。
あとにもさきにも部下に褒められて本気で嬉しかったのはこの時だけだ。

モノサスが下請け中心のWeb制作から脱却し、
70名を超えるメンバーと働ける会社にまでなれたのには、
小野木という優れたデザイナーが、10年近くにわたって
デザインのクオリティを担保し続けてくれたことが
大きな理由のひとつだと思う。


自分に厳しく、他人に優しい。


後輩のデザインをチェック中(左奥)。


小野木がどんなデザイナーなのか、そしてどんなデザイン部部長なのか、
私では語るに足りないところがあると思い、
まわりで一緒に働くメンバーに、「デザイナー小野木」を
どう思っているのかを聞いてみた。

そんな彼らが異口同音に語ってくれたのは
「クライアントの狙いや、思いを、絶対に外さない」
ということ。

「小野木さんは、お客さんと真っ向からちゃんと向き合う。
 お客さんが何に困っているか、何を表現したいかをきちんと捉えて
 デザインに落とし込めるデザイナー。
 そこを無視したものは絶対に作らない。
 もちろん自分のセンスも盛り込むけど、それはトッピングみたいなもので
 お客さんの狙いや、やりたいことを、絶対に外さないんです」

また、こんな言葉も。

「今まで出会った身の回りのデザイナーの中で、一番ストイック。
 一緒にランチに行ったときなんかに、じっと黙ってることがあって。
 おれ、なんか悪いことしたかな?と思って
 何考えてるんですか?って聞くと
 『あ、ごめん。デザインのこと考えてた』
 って言うんです。
 四六時中、本当にデザインのことだけ考えてますね」

そんなストイックで一見近寄り難いような雰囲気を持っている
小野木だが、一緒に仕事をしてきたデザイナーたちは
みな、こう言う。

「小野木さんて、ほんとうにやさしいんです」

「自分が挑戦してやろうとしているときも、
 後ろに小野木さんがいてくれることで安心できるんです。
 以前コンペに参加するためのデザインを私が任されて作っていたときに、
 スケジュールが厳しくて、納期に間に合うか微妙で。

 そういう、いざっていうとき、小野木さんは必ず
 『最後までつきあうよ』って言って、一緒にやってくれるんです。
 しかもそれが、他人事として手伝うんじゃなくて、
 自分ごととして一緒に関わってくれる。
 でも、私のデザインの方針は大切にしてくれて。
 本当に『私の仕事がどうやったらうまくいくか』を
 考えて接してくれるんです」

また、違うメンバーはこう言った。

「自分がデザイナーとしてここまでこられたのを引っ張ってくれた人。
 自分がこの仕事を続けてこられたことと、モノサスという会社に居つづけたことの
 60〜70%は小野木さんのおかげだと思う」

彼らから話を聞いていて、一番印象的だったのは、
心から楽しそうに小野木について話してくれたこと。
そして、みんな考え込まない。聞くと間髪いれずにスラスラと話してくれる。
他人のことどう思ってる?と聞かれて即答できるってすごい。
突然はなしかけてインタビューしたのに、
まるで用意してあったセリフかのように話す。

きっと普段からよほど感謝していて、
その想いが、何度も心の中で、言葉として反芻されてきたからだ。
デザイナーとして、クリエイターとして、ひとりの人間として、
小野木のことを尊敬し、好きなんだと感じた。

小野木は、自分に厳しく、他人に優しい。


Webデザイナーであり続けるために。


毎年弊社からお客様にお送りするA4サイズのクリスマス&新年のグリーティングカードのイラストは小野木・作。ディティールを描き込んだ密度の高い力作が多い。去年はリニューアルされたものさすサイトのイラストで制作。完成まで数日間徹夜することも。


最後に、本人に話を聞いてみた。
モノサスに入社して10年近く、いまどんな気持ちで働いているのか。

「僕自身は、仕事を選ばなくなりましたね。
 どんな仕事でもデザイナーとしての楽しさを発見できるようになったから。

 デザイナーって、自分自身の個性ももちろん必要だけど、
 それよりも、"引き出すこと"が仕事だと思うようになったんです。

 クライアントの会社のことや、サービスのことを、
 一般ユーザーが見たときにどう感じるか。
 客観性を持ってデザインしていくことだ大事だと思っています。

 だから、クライアントがどんな会社なのか、なにを考えているのか、
 なにをしたいのか、そういったことを僕たちは引き出していかないといけない。

 そんな中で、クライアントの担当の方が、想いを持って仕事をしていたり、
 頭のキレる人だったりすると、こっちも発見があって
 仕事をしていて、一緒に成長しているような感覚が持てるので、
 より楽しいというのはあります」

デザインをしながら、クライアントの担当と「なにか」を
ともに発見することが楽しい。

彼はデザインをする際、クライアントと対峙するのではなく、
相手の頭の中に入ろうとするのだろう。
相手になりきって、なにがしたいのか、なにが言いたいのかを、じっと考える。
だからその間、彼は無口になるのだ。




でも、彼は最後に意外なことを口にした。
「デザインを一回全部捨てて、コーディングを勉強したいんです。
 海外に行くと、僕たちがやっている領域の仕事は
 グラフィックデザイナーに分類されると思うんです。
 コーディングも含めたフロントエンドが全部できて、はじめてWebデザイナー。
 その領域に行くためには、一度デザインを捨てて
 一度コーダーとしてやっていかないとダメだと思うんです」

小野木は、どこまでもストイックな人間だ。


言葉にならない小野木への気持ちを、
いま言葉にする。


仕事では2Dの世界ばかりだが、立体造形も得意な小野木。子供のために「さくっと作った」という折り紙での工作。


小野木の紹介を書きあげていきながら、
自分自身の彼への気持ちを整理したり、
デザイン部のメンバーの彼への想いを聞いていくうちに、
何度も胸に迫るものがあった。

一般的に彼と私の関係は、社長と社員。
プロジェクトに入るとプランナーとデザイナー。

でも、たぶんどっちも違う。

しっくりくる言葉を探していくうちにふと出てきたのは
「戦友」
ということばだった。

私にとって小野木は戦友なのだ。

何に対して戦ってきたのかはイマイチわからないが、
ともに戦ってきたことは間違いない。

ほとんど何のコネクションも持たず、
Web制作会社出身でもない私が立ち上げた
モノサスという会社は、正直とても苦労をした。

どんな仕事でもしたし、自分たちの実力も不十分だった。

モノサスのWeb制作の歴史は、
私と小野木の成長の歴史でもあるのだ。

小野木がいなかったら、いまのモノサスはないと
ひとつの疑念も抱かずに言える。

面と向かって「ありがとう」とは、恥ずかしすぎて言えないが、
やっと彼への気持ちを少し整理できた。

私が人生の中で実現しなくてはいけないことのひとつは、
「生涯、いちデザイナー」を常々口にする小野木が、
そのストイックな自身の目で見たときに
「おれ、一流のデザイナーになった」
と満足する仕事を、一緒にプランナーとしてやることだ。

だからわたしも、どんなに組織が大きくなっても
プランナーであることをやめない。

(2016/3/22 ものさすサイトに掲載)

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