モノサスでは自分たちのWebサイトにスタッフが交代でコラムを書いています。
今回はその中から、チェッカー・齊藤あかねを紹介した記事をご紹介します。
毎朝8時、サッサッサッサッとちょっと特徴のある足音を立てて、齊藤あかねは駅のホームで待つ私のもとにやってくる。
私が彼女に会ったのは、2012年6月。私より2週間前に入社した同期である。
あかねのことを一番よく知っているから。と、編集部から記事を書いて欲しいと依頼された。躊躇したものの、確かに一緒にいる時間は長いから、会社の中では一番よく知っているのかもしれない。
同じ市内に住み、我が家から自転車で10分弱の所にあかねは住んでいて、同じ駅を利用。待ち合わせた訳ではないのだが、ある時同じ電車の同じ車両に偶然乗り合わせてから、何となく毎日一緒に出社をするようになっている。まるで小学校の登校班の様に。
お昼もほとんど一緒。府中でも飲んだり、私の家にも何度も来た。私の実家から大量にもつ煮込みが送られて来た時も、私の家族だけでは食べきれないので、急遽あかねを呼び出し、一緒に食べたりもした。私の家族、旦那の家族、私の姉妹までもがあかねを知っている。
そんな、半ば家族のような、娘のようなあかねを私なりに紹介したいと思う。
かわいい!のに…
あかねは、結構かわいい。
電車の中でいつも間近に顔を見ているのだが、目がクリッとしていて小動物の様で、何ともかわいい顔をしている。特に驚いた時に鳩が豆鉄砲を食ったようなキョトン顔になるのだが、それもまたかわいい。
なのに、かわいくない。
「大久保さん~、今日私凄いんですよ!朝起きて15分間でお風呂にも入ったのに、この電車に間に合ったんですよ!凄いと思いません?」
全然凄くない!
あかねの家から駅まで徒歩20分。女性らしい身支度をはしょったに違いない。そうじゃないと間に合う訳がない。もういい歳なのだから、もう少し化粧やら身支度やら、そこら辺に気を使ってほしい。お母さんじゃないけど、お母さんみたいな私は悲しい。
他にも、寒いけど着るものがないからと長袖のヒートテックの上に半袖のワンピースを着てきた日。カーディガンを着忘れて袖から出たヒートテックを隠せなかったので、袖をまくり上げて半袖に隠そうそしたが出来なかった!と嘆くあかね。仕方なしに私のパーカーを貸したこともあった。これも悲しかった。
一見女性らしい(そうな)あかねだが、実はこんな感じでそんなことはない。
それは「あかね」と言う名前の由来からも分かる。
あかねの母、潤子さんが大好きだったちばてつやのマンガ、「みそっかす」の主人公「茜」から命名。
その主人公はわんぱくで、破天荒で、自由で、伸び伸びと生きている、次に何をしでかすのか分からない女の子である。齊藤「あかね」にも通ずるところがたくさんある。
漫画「みそっかす」。1960年代の古いマンガなので、誰も知る由がない。
※ちば てつや (著)『みそっかす』ホーム社 1998
冷静過ぎる子供時代
あかねは子どものころから冷静だった。
小学校の時は校庭にある遊具から落ちて頭を強打。一瞬気を失うも、それが格好悪い、皆に見られたくない!と、怪我で頭から血が流れる中、恥ずかしくて隠れていたそうだ。
中学の時はパッチワーク部に所属。「パ、パッチワーク部?何それ?」思わず聞いてしまった。来る日も来る日もパッチワークをする部だそうだ。歯科衛生士もやれるくらいだから、手先が器用なのだろう。それにしてもだ。「何故、パ、パッチワーク部?!」と聞いたら、「こう見えても掛け足が速かったので、パッチワーク部なのにリレーでアンカーもやっていたんです。そういうギャップがいいでしょう!」と。
冷静に自分を見、意外に計算高いのである。
そんなあかねは、大人になっても変わらず人生を冷静に見据え、大学卒業後に歯科衛生士の学校に通い、国家資格を取得。これは年齢を問わずいつまでも働けるように、と思ったからだそうだ。確かに世の中にはたくさんの歯医者さんがあって、いつも年齢問わずの歯科衛生士さんの募集がある。モノサスに入社した当初はまだアルバイトだったので、日によっては歯科衛生士の仕事もして、二足のわらじを履いていた。
歯科衛生士あかね。この格好だけは萌え~治療されたい!
今もなお勉強心旺盛です!
猛勉強して歯科衛生士の資格を取った後も、その勉強心旺盛さは衰えを知らない。
一昨年、モノサスが徳島県神山町でコーダーを育てる「第1期神山ものさす塾」を開くとなった際は、所属している品質管理部でレベルの高いチェックが出来るよう勉強したい!と、自ら手を挙げ塾生の一員となったのである。
東京以外で住んだことがないあかねのことを心配していたが、300%満喫したようで、今ではすっかり神山の虜。金曜の夜の仕事後、深夜バスに乗って神山へむかい、月曜早朝に帰ってきてそのまま出社、なんてことも度々。知り合いもたくさん出来たようだ。
環境が整っていない住居も快適に過ごせるよう工夫したり、勉強を頑張った自分へのご褒美にと、週末の夜は唯一あるコンビニでお菓子を買いに行って至福の時を過ごしたり、その環境の中で何でも前向きに、楽しく、居心地よく過ごしていたようだ。それは本当に良かった!お母さん(私)も嬉しい!
神山で学んだコーディングは、代々木に戻ってきてからも役に立ったようで、コーダーさんたちの大変さがより分かり、品質管理としてどこまで協力出来るか考えるようにもなった。チェックの品質を高めることにも、効率的にチェックをすることにも目覚め、メンバー同士で活発に話し合うようにもなり、今では品質管理部の要、欠かせない存在へと成長した。
そして、まだまだあかねの勉強心旺盛さは続く!
持病を持つお母さんの健康を気遣い、栄養学を学ぶために調理師学校にも通う。人より早く出社し、仕事が終わると新宿の街の中を猛ダッシュで学校に通うという、ハードな日々を送っていた。これだって並大抵のことじゃない。お母さん(本当の)への愛、それから美味しいもの好きのあかねの食欲が、そのがんばりの原動力となったのだろう。
でも、あかねが作る料理は、健康的だけど奇妙なオリジナル料理で、命名するのも難しいものばかり。
例えば、おからや酒粕だけで作ったクッキーやマフィン。クッキーがこれまた硬い!樹脂のような噛み心地。でも味はGood!健康にいいものを常に探究し、塩コショウや砂糖などは一切使わず、素材の味を活かしたものを作る。理由はその持病を持つお母さんの為で、塩分や、糖分、その他諸々使ってはいけない料理のレシピが、なかなか無いからだそうだ。
目の前に出された時は、なんじゃこりゃ!と思うのに食べるとおいしくて、そしてまた何故かもう一度食べたくなる・・・あかね本人の様な料理を、是非皆も一度ご賞味あれ!
唯一!?あかねがカッコイイ時
そして、普段のあかねからは想像が出来ない!!のだが、ビジュアル系?バンドマンでもある。
バンドマンのあかねは、文頭に書いたようなずぼらなあかねではなく、ヘアメイクから衣装まで、バッチリ。超~色気もあってカッコイイのである。
バンドマンを始めたきっかけは、あかねの好きなバンドのコピーをやっていた今のバンドが、ギターが居ないので募集!となった時に、「やりたい!」と、名乗りをあげたと言う。けれどギターを弾いた経験もなかったとのこと。これにもびっくり!そのチャレンジ精神は、本当にあっぱれである。
バンドマンあかね。有名アーティストのヘアメイクさんが、あかねのヘアメイクもやってくれているらしい。
こう振り返ると、あかねは自由に、自分のやりたいことを、やりたい!と思ったらすぐ行動に起こし、勉強をいっぱいし、やり遂げている。なかなかの頑固者で、強い意志の持ち主でもある。
でも、お母さん(私)としては、もう少し年齢相応の色気を兼ね備えて欲しいなぁ~とも思う。こんなあかねの結婚式に出るのが、お母さん(私)としての目下の夢である。
(2017/4/6 ものさすサイトに掲載)