モノサスでは自分たちのWebサイトにスタッフが交代でコラムを書いています。
今回はその中から、以前コーディングファクトリー部の部長を務めていた伊藤が、自分が採用したフロントエンドエンジニア・丸山を紹介した記事をご紹介します。
ま・・・まだまだ発展途上中
る・・・ループ処理は苦手だけれども
や・・・山越え谷越え丘を越え
ま・・・まっすぐゴールに進みます。
丸山智之(まるやまともゆき・フロントエンドエンジニア/コーディングファクトリー部在籍)の紹介をさせていただきます、元コーディングファクトリー部部長の伊藤です。
丸山が入社して早4年目。最早ベテランの域に達し始め、立派なアーロンチェアに膝立てで座り、ベテランのオーラを後輩に見せつける姿もサマになり始める頃です。
集中すると自然と膝立てになっちゃう丸山
変わらない丸山智之。
2013年の1月。当時、コーディングファクトリーでは特に人材採用活動を行っていなかったのですが、ある日突然、一通のメールが届きました。
初めまして。丸山智之と申します。
(挨拶中略)
大学3年生のときにWebサイトのインタフェースデザインを調べて発表する講義があり、その出来事がきっかけでWeb業界に興味が湧き、学生時代は主にWebデザイナーとして活躍出来る場を求め就職活動をしていました。
(中略)
Web制作作業の中でも特にHTMLコーディングに魅力を感じるようになりフロントエンドエンジニア職で働くことができる環境を探していたところ、貴社のサービスである コーディングファクトリーのページに目が留まりました。
(中略)
もしご採用頂けたならば、見習いとして修正作業やチェック作業など少しずつ経験を積み、社内勉強会への参加や自主的な独学を続けることで積極的にスキルアップをして一人前のフロントエンドエンジニアとなり、専門家としてどんな案件にも対応することができ、お客様にもサイトを見るユーザーにも喜んでもらえるようなWebサイトを構築出来るトップエンジニアになります。
一度 面接の機会を頂けたら幸いです。
よろしくお願い致します。
遥か遠方の大分県から、大学を卒業したての若者が、東京の中小企業の一部門でしかなかったコーディングファクトリーで働きたいと言ってくれているのです。
なんと喜ばしいことか!と思う反面、新卒の学生の方を採用するということは、社会人として育て導いていくという責任が伴う、ということを感じていました。コーディングファクトリーはその当時、組織や仕組み作りの真っただ中で、その責任を果たしていくことができるだろうか、という悩みで頭を抱えた記憶があります。
しかし、私の背中を押してくれたのは、面接時の彼のたったの一言でした。
『フロントエンドエンジニアになりたいです。』
その一言には彼の思いが全て詰まっている、そのように感じたことを今でも覚えています。
大分県の大学を卒業し、就職先も他に色々あっただろうに、「フロントエンドエンジニア」になるためだけに、慣れない土地である東京に来て、慣れない一人暮らしをし、そしてコーディングファクトリーで研鑽を積むことを、丸山は選んだのです。こんな選択に噓偽りがあるはずが無い、と彼を採用することを決定しました。
モノサスに入社し4年を経ましたが、入社前の彼のその言葉に嘘偽りはなく、入社以来、彼はWeb制作の情報にアンテナを張り続け、そしてアウトプットし続けてくれています。
Web制作の記事を読み漁り、それを自ら実践してはFacebookでシェアしたり。
Web制作セミナーに足を運び、そこで学んだことを他のエンジニア達に発表をしたり。
今では社内の誰よりも多くインプット・アウトプットを繰り返し続けています。
成長して、色々と変わっていく。素晴らしいことだと思います。
しかし、大事なことを「変わらず」続けていく。これも同じくらい大事なことであると、丸山の姿勢に気づかされました。
彼が変わらず続けてきたフロントエンドエンジニアリングの啓蒙活動・知識・情報は、間違いなく、コーディングファクトリーの大きな礎となり、そして、何より、彼自身の礎になっているであろうと感じます。
彼の変わらず継続している姿には、元は「上司・部下」という関係ではあったものの、同じ「エンジニア」として、憚りながら尊敬の念を抱かずにはいられません。
『フロントエンドエンジニアになりたいです。』
この言葉に動かされた私は、彼の入社後、しばらくしてから、衝撃の一言を丸山から聞くことになります。
『秋葉原があるから東京を選びました。』
心の中で「それが目的かよッッ」と叫んだ記憶がうっすらあります。
丸山のアニメ好きが垣間見えるアニメグッズ
変わる丸山智之。
当サイトにて、度々記事にさせていただいていますが、丸山には弊社取り組みの一つである「神山ものさす塾」にて、自らの立候補によって講師を務めたというキャリアがあります。
(詳しくはこちら↓)
●『コーディングの仲間をふやしたいから』
●『神山ものさす塾と神山を振り返って』
それまでのパソコン相手のコーディング作業とは異なり、講師が相手にするのは「人間」そのものです。
隠さずに正直に言ってしまうと、講師が始まるまでの準備期間、彼はとても悩んでいただろうと感じています。塾生に何を教えればよいのか、どうしたら塾生がプロとして働いていけるようになるのか、それを考えている間、ずっと迷走していたことでしょう。
しかし、私は丸山のことを知っています。
「フロントエンドエンジニアになりたい」という自らの欲求を真正面から言い切り、それを実現するために努力し続けてきたことを。
その彼が「神山ものさす塾で講師をやりたい」と言ったのです。嘘偽りがあるはずが有りません。
今は迷路にハマり込んでしてしまっているが、間違いなく脱出してくれるに違いない、と信じていました。
そして、考え抜いた結果、「実装理論学習からの小演習」「自ら作り上げた座学テキスト」「各塾生の習熟度に応じたカリキュラム編成」など、塾生が技術を習得し、プロフェッショナルとして働けるようになるための「丸山式講義スタイル」を生み出してくれたのです。
2016年1月、ものさす塾にて、丸山がいよいよ登壇しました。
緊張のせいか、噛み噛みです。棒読みです。
しかし、2日目、3日目と、数をこなすたびに噛むことも、棒読みになることもなくなり、血と汗と涙の結晶である「丸山式講義スタイル」で塾生の実力もメキメキと伸びていきます。
私は、「丸山も塾生も、もう大丈夫だ」と安心しました。
そして同時に、肩の力が抜けて、ほんの少しだけの寂しさも感じました。
神山ものさす塾の卒塾生で、「丸山さんのようなステキなスタッフがいる会社だから、モノサスで働きたいと強く思ったので入社を希望しました。」と言って入社を希望してくれた方もいたりします。
それまでは、(語弊があるかもしれませんが)「単なる1エンジニア」でしかなかった丸山が、仕事人として他者に尊敬され、慕われるようになったのは、とてもとても大きな変化でした。
フロントエンドエンジニアとして変わらない技術習得への姿勢を持ち続け、そして、必要とあれば変わるために自ら道を切り開ける、それが丸山智之という若造です。
最初の頃は喋る内容全てが棒読み。でも、上手に喋れるようになりました。
変わらずに、そして変わっていく丸山智之。
彼は今、コーディングファクトリーで班長という新しい役職・領域で、様々な業務に従事しています。初めてだらけのことで、また迷走しちゃってるかもしれません。
でも、変わらずフロントエンドの情報を読み漁りながら、変わるために自ら道を切り開けるから大丈夫。
丸山や、これからも、変わらないで良いこと、変わるべきことを、自分で正しく選び、立派なフロントエンドエンジニアになるのですよ。
(2016/11/2 ものさすサイトに掲載)