<プロフィール>
名前:木田一(きだはじめ)
誕生年:1998年生まれ
大学:法政大学卒業
趣味:阪神タイガースの試合は143試合全てチェックしてる
どん底の闘病生活の中で見つけた希望
高校2年生の時、国の指定難病で闘病していました。最初は背中が痛くて勉強に集中できず、何度か病院に行きましたが、肩こりや一時的なものと言われるだけでした。ただ、極端に痛かったので大きい病院でMRIを取ってもらうと、脊髄の中に空洞が空いてると言われ、国の指定難病であることがわかりました。
当時は京都大学に行きたい一心で勉強していて、せっかく目標が決まり順調に進んでいたのに、自分のコントロール外のことに人生を止められました。ただ、根っからのポジティブだったので、7/7のラッキーセブンの日に手術をいれ、手術後はすぐに勉強を開始しようと希望を持ちながら手術の日を迎えました。12時間を超える大手術のあと、痛みはだんだん引いてくると説明を受けていました。しかし痛みは引くどころか増していき、その後半年ほど学校にも行けず、無理して学校にいても椅子に座る事が苦痛で体調が悪くなり、1時間目の授業中に保健室に行きそのまま帰宅する生活を送っていました。半年間ほぼ寝たきりのような生活で、24時間続く痛みでベッドに横になっても寝られず、まさに絶望の日々でした。
これまでのポジティブさや明るさは消え、人生に希望が一切なくなり、死んだほうが楽なんじゃないかと思ってしまうこともありました。そんな日々を過ごす中でも、唯一前を向ける時間がありました。松岡修造とホリエモンの動画を見ている時間でした。松岡修造の応援動画を毎日見ていて、その時間だけがどん底だった自分が唯一元気になったらもうちょっと頑張ろうと思える時間でした。ホリエモンの動画では、東京にいるすごい人たちが出て来て、自分より遥かに年上のおじさんたちが夢と希望をもって日々生活を送っている姿をみて、勇気を貰いました。
そこから、「どうせ生きるなら何か意味のある生き方をしよう」「精神的にも肉体的にも底を見た自分だからこそ救えるひとたちがいるはず」と思い、とにかく力や知識を付けるために上京を決めました。目標が出来た瞬間、半年ほど失っていたパワーが復活しました。
体の痛み的に毎日1時間しか出来ない勉強時間をいかに効率的に行うかを心がけ、1年間の勉強の末に法政大学に進学することが決まりました。
6社で長期インターン、事業立ち上げ、仕事の楽しさにのめりこんだ大学生活
大学入学と同時に上京。大学時代は合計6社で長期インターンを経験しました。
〇1社目
大学入学直後、メンバー13人のIoTスタートアップでインターンを開始。toCの営業に課題があり、「どうやったらお客さんが買ってくれるか」という課題を課せられました。自分は商品のターゲットから外れていたので、直接お客さんの声を聞くためにショッピングセンターなどで間借りしたポップアップストアで商品の売り方を検討。ターゲット層の人に声をかけ説明をし続けました。試行錯誤の末、営業のフォーマットを作成し、代理店の営業マン約1800人向けの営業資料を作成、配布したりもしました。
ある日、インターンの仕事でスタートアップのピッチイベントに参加しました。素敵な商品やサービスが沢山あるのに日の目を浴びていないサービスばかりで悔しく感じ、上司に「なぜあのサービスは売れてないんですか?」と質問。すると、「良い商品やサービスが売れるわけではないんだよ、世界で一番売れている飲み物は木田くん的には一番おいしいと思う?」と聞かれてハッとしました。良い商品や良いサービスが売れるのではなく、営業力やマーケティングがスケールのためには必要なんだと痛感させられました。一方で、良いサービスが届けられないことが悔しくて、自分が届けたいと思ったサービスは届けられる人になりたいと思い、営業だけが出来る組織に行くことにしました。
〇2社目
大学2年生では学生の営業組織の立ち上げに参画。より営業力を付けること、マネジメント経験をすることを目標にしていました。最初9人でしたが、過酷な環境で1週間後には5人が離職しました。それでも社長の家に布団を買って寝泊りしたり、50~60連勤で営業や組織の運営を頑張り、半年後には90人の組織になりました。
〇3社目
大学3年生から就活支援団体にジョイン。就活中に自分にとってロールモデルだと思える方と出会い、同じ組織で働かせてくださいと伝えてジョインが決定。また、これまである程度の営業力を付けたので、次は想いを実現したいと思い、周りの友達が一番苦しむ可能性のある就活の場面で助けたい人を助けられるようになりたいと思い、ジョインしました。
東京支部のエリアマネージャーになり、採用、キャリアアドバイザー、リクルーティングアドバイザー、セールス、新規事業立ち上げなど、色々な経験をさせてもらいました。
一方で、就活の支援は、お金をもらっているのはクライアントであり、時には求職者の意思を曲げないといけない時も出てくるビジネスモデルということを知りました。そこでまた自分の無力を痛感し、もっと力をつけるため違う会社に行くことにしました。
それまでは営業力やコミュニケーション能力など元々自分が得意な部分を伸ばしてきましたが、より自分の理想に近づくためには圧倒的に「思考力」が足りないと思い、自分より賢い人しかいない、思考することから逃げられない環境に飛び込むことを決意しました。
〇4社目
大学3年生は仕事に熱中し、大学の勉強を全くせず留年。大学3年生(2回目)からITベンチャーの広告事業にてプランナーを経験しました。同じインターン生は7人中5人が東大生、他は神戸大学、東北大学、社員さんも旧帝大や早慶出身ばかりで、自分より思考力のある人しかいない環境でした。また、仕事内容も広告の戦略を作る仕事であり、思考力が全ての仕事でした。常にロジックを色々な観点から立てないと仕事が出来ない環境で、最初はかなり苦しみましたが、次第に思考の量、質、スピードが向上していく感覚がありました。
〇5社目
大学3年生の終わり頃、知り合いの社長さんとご飯にいきました。その時に自分が作りたい世界を伝えると、その社長さんも同じような世界を作りたいようで意気投合。そのまま社内ベンチャーとして僕と社長が作りたい世界が作れる事業をつくることになりました。
半年ほど練りこみ、アルバイト斡旋事業とコンサルティング事業のハイブリットのような事業を立ち上げました。大学4年の2月ごろに初めて収益化し、いきなり1000万円以上の売り上げを立てることができました。ランサーズに入った今でもその事業の責任者として仕事をしています。
〇6社目
事業の練りこみが終わった頃、ずっと1人で仕事をしていて寂しかったことと、時間に少し余裕が出来たため、大学4年の8月から就活支援のNPO法人にジョインしました。
さらなる成長を求めランサーズへ
最初はエージェントさんの紹介でランサーズを知りました。
カジュアル面談で人事の岩波さんと話し、会社のカルチャーや成長環境に魅力を感じました。特に魅力的だったのは以下の点です。
➀ビジョンマッチ
意思ある人が健全に挑戦し意思を通せる社会を作りたいという理想があり、その一つの答えがフリーランスだと思っていました。そもそも今の日本はフリーランスの地位がまだあまり高くないと感じたため、フリーランスの人たちのためになりたいと思いました。
➁カルチャーマッチ
具体的には自由な環境、挑戦に対するスタンス、メンバーの人柄です。
何かに縛られるのが苦手なので、自由なカルチャーの組織が良いと思っていました。また、挑戦することが好きなので、自分がやりたくて会社のためになるなら挑戦させてくれる環境に行きたいと思っていました。そして何より、一緒に働く人が大切だと思うので、心の根底に優しさがある人と一緒に働きたいと思っていました。
ランサーズはまさに上記を体現していて、社員さんは皆個性豊かですが、心の底には優しさがあるなと働いていて感じます。皆さん自分の仕事があり忙しいのに全く嫌な顔をせずに時間を取っていただけて、こんなに人として成っている方々と一緒に仕事が出来て幸せだなといつも感じています。
➂成長できる環境
定義は人それぞれですが、僕は成長できる環境は「打席の数」「FBがもらえるか」「新卒への期待値」が大切だと考えました。
特に経営陣やマネージャー陣との距離が近く、フィードバックを求めたらくださるのが驚きでした。配慮はもちろん必要ですが、遠慮はしなくても良い環境なんだなと入社1ヶ月目で感じています。
「木田=○○」という印象を持ってもらえるくらい結果を出す
今後はランサーズで「木田=○○」という印象を持ってもらえるくらい結果を出して、様々な部署から「木田に来てほしい」と言われるような存在になりたいです。
一方で、理想はあっても現実はまだまだ未熟で実力のない人間なので、まずは目の前の事を101やりきり続けます。
具体的に実現したいことはまだ持っていません。というのも今の視座で見えるものってかなり少ないと思うので。目標は持ちつつ、社内で実現したいwillを持つ前に、willが通るくらいの実力と貢献をまずはしていきたいです!