みなさん、こんばんは!
株式会社ジーピーオンライン、広報チームのヨシハラです。
今回は当社代表である豊永のルーツを探ろう!ということで、初のインタビュー形式にてお送りします。
社長は普段からスタッフと距離が近い存在なので、だいたいの性格は私も知っているつもりでしたが、今回の取材で初めて知ることも多く、新鮮な気持ちでインタビューすることができました。
過去の経験が今の自分にどのような影響を与えているか、豊永自身も初めて気づいたことが多かったようです。これを読んだあとはきっと、皆さんも自分のルーツ探しの旅に出たくなることでしょう。
ーまず最初に、小さい頃はどんな子供でしたか?
いじめられっ子でした。小学校低学年くらいまでそうだったんじゃないかな。
毎日毎日いじめられて…という感じではなくて、たまに仲間外れにされちゃうみたいな。今思えばですけど、ちょっと変な子だったんですね。協調性がないし、落ち着きもないし、余計なことしかしないし…。
両親からも心配されてましたからね。「この子は大丈夫か?」って。将来を心配されていたんだと思います。なので周りの同級生たちからも距離を置かれていたんだと思います。
ーすごく意外です!
では、ご自身が当時の自分を見たらどう思いますか?
両親と同じく「こいつ大丈夫か?」って思いますね。とにかく協調性がなかったように思います。自分の興味あることだけをマイペースに考えてやる、みたいな。
今思い出しましたが、あまり人から好かれる性格でもなかったように思います。特に女子からは嫌われていたかと。余計なことばっかりするんですよ。自分の言動によって他者がどう思うのかということを、ほとんど意識できてなかったと思います。
ー今は協調性があるように見えますが?
中学生になってから変わったと思います。私立の中学校に通うことになったので、それまでの環境から大きく変わったことが、自分を変えないといけなくなったキッカケになったんじゃないかなと。
知ってる人が誰もいないし、全然知らない土地まで通わないといけないし…。これまで積み上げてきた何かを一旦置いて生きていかないといけない感覚でしょうか。なので、いろいろと気を使う場面が増えたと思います。
とは言え、実は今でもあまり協調性はないですね。仕事ではきちんとしてますが、たまにスタッフとオンラインゲームでチーム戦とかしたりすると、ひとりだけ違う行動をしますからね。和を乱す行動が多い。なので、最近ではスタッフからゲームのお誘い来ないもん。スタッフからもいじめられている!
ー落ち着いてください。
話題を変えて…『今までの人生で影響を受けたもの』を教えてください。
そうですね。いわゆるサブカルチャーが好きで、漫画、音楽、映画、ゲームは学生時代にどっぷりとハマっていたと思います。特に大友克洋さんからは一番影響を受けましたね。
大友さんは漫画家であり映画監督でもあるので、その卓越したビジュアル構築の技術やセンスに大きく影響を受けました。その他にも、影響を受けたものは全部『王道から少し外れちゃってるけどカッコいい』っていう共通点がありました。スーパーファミコンじゃなくてPCエンジン、ミスチルじゃなくて電気グルーヴ、スラムダンクじゃなくてAKIRAだろ、みたいな。
今でも好きなものは全部、中学二年生の時に出会っています。
そう思うと、中学二年生の時が人生のターニングポイントですね。まあただの中二病ですが。
ーなるほど。では、そういった"サブカルチャー"と言われるものが
ご自身にどう影響を与えていると思いますか?
大友克洋さんなんかはやっぱり、自分がWebデザイナーになるきっかけになりましたし、仕事にもいろいろと影響を与えていると思いますが、なにより一番は僕の『生き方・考え方』に大きな影響を与えていると思います。
さきほども言ったように『王道から少し外れちゃってるけどカッコいいもの』っていうものに大きく影響を受けているので、生き方や考え方も同じくちょっと王道からは少し外れているんじゃないかなって思ったりします。誤解のないようにしたいのですが、「俺はロックな男でアウトローな生き方してるんだぜ!カッコいいだろー!」って思っているわけじゃなくて、ちょっと斜に構えて物事を見ていたり考えたりするだけなんですけど、今となっては仕事にいかされているんじゃないかなと思います。いろんな角度から物ごとを見て考えることで生み出せるアイデアや解決策があったりするので。僕が好きになったサブカルチャーのおかげで今があるんじゃないでしょうか。
ーなんか、すごくわかる気がします。
最近、就活生の方々が企業から受ける質問と言われている
『人生で一番つらかったこと』を聞いてもいいですか?
いろいろありすぎて一番を決めづらいのですが、つらかった経験に共通しているのが『環境の大きな変化』です。中学に入学した時もそうでしたが、大学受験に失敗し九州で寮に入って浪人生活を送ったことも、環境が大きく変わってつらかったことでした。大阪生まれ大阪育ちなのに九州でひとり寮生活を強いられる、しかも勉強以外は許されないという過酷な環境でした。まあ勉強しませんでしたけど。
そういうつらい環境ではありましたが、二十歳前後の若者がひとつ屋根の下で共同生活をおこなっていくわけで、自分がどう振る舞えばこの寮生たちの輪の中に入れるだろうか、ということを日々考えながら生活していたように思います。おかげで友達もたくさんできましたし、それまであまり意識をしてこなかった『人間関係』をつくっていく面白さみたいなものに気づいた時でもあったように思います。ある意味、受験勉強以上に将来につながる大切な勉強をさせてもらったような気がします。
ーでは続いて「これは成功だぜ!」って思えるような出来事を教えてください。
何年も前の話になりますけど、この業界ではめずらしいことではないのですが、離職率が高く組織が安定しなかった時代がありました。売上げ自体は順調で創業以来ずっと成長を続けていましたが、人に関しては、ある一定のラインまでの人数になるとそれ以降なかなか増やすことが難しかった。採用をしても辞めていく人も多く、全体のパイがなかなか増えなかったんです。
とはいえ売上げはあがっているからまあいいかという考えもあったのですが、どうもしっくりこないわけです。売上げはあがっているけど社内の雰囲気は重苦しい。会社とスタッフの間にも大きな溝があり、両者の間にあるべき信頼関係も崩れていたように思います。結局それが原因で売上げも次第に鈍っていくわけなんですけども。
ー大丈夫ですか?成功エピソードがほしいんですけど…。
大丈夫!ここから逆転満塁ホームランが出るよ!
…で、そこで生まれて初めて大きな挫折を味わうわけです。雰囲気が悪く、売上げも悪い会社の社長って最悪だなと。何のためにこの会社を経営をしているのかわからなくなり、自信も失っていきました。なので必死に考えました。「自分は一体、何のために存在しているのか、何のために仕事をしているのか」を。
そこで気づいたのが『人のために自分は存在している』ということです。それまでほとんど意識をしなかった人(もしくは他者)という存在の重要性に気づいたんです。『人は人との関係性からは逃れられないし、ずっとつながっているものなんだ』という考えに至りました。
僕とスタッフの希薄になっていた関係を修復するために、もう一度スタッフとしっかり向き合って、お互いに考えていることをとことんすり合わせてみようと。結果、離職率もすごく下がりましたし、その年度の売上げは過去最高を記録しました。
今振り返れば、人の重要性に気づけたのも浪人時代の経験などが活きているのかなと思います。
過去の経験が自分の気づかないところでしっかり影響しているんですね。
ーそんなことがあったんですね…。
私も知らなかった成功エピソード、思わず感動してしまいました。
みなさんいかがだったでしょうか?
今回は社長のルーツを探ってみましたが、やはり人に歴史ありということで、ちょっとした出来事や経験がのちの自分に大きな影響を与えていたりするんですね。私も同じように自分のルーツを探って、これからの仕事にもいかしたいなと思いました。
…でも、サブカルチャーのくだりは私が興味がなさすぎ&社長の話が長すぎて、思わず睡魔がおそってきましたが自動相槌モード発動でなんとか乗り切りました!オタクって話が長いから困りますよねー。
さて、今回おじゃましたお店「WA鶏BAR(ワトリバー)」さんは、わたくしヨシハラのお気に入りのお店でもあり、偶然ですが社長も知っているお店で、新鮮な鶏や野菜を使った一品一品のクオリティがとーっても高いお店です!スタッフさんも愛嬌抜群で、ちょい飲み・がっつり、どちらにもオススメです。お近くに行かれた際には是非お立ち寄りください!