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「HR全体の課題を横串で解決し、“働く”にまつわる課題を解決したい」
そう語るのは、HRソリューション事業部 事業部長の佐藤
幼少期から母子家庭で育ち、金銭的な理由で諦めていた大学進学だったが、高校の恩師のおかげで進学が叶う。大学在学中に「やりたいことに対しての環境を提供できる人になりたい」という気持ちが芽生えた佐藤は、新卒でマイナビに入社し、10年間転職エージェントとして働く。その後、代表の堀田に声をかけられてセブンデックスへ入社。
現在は、HRソリューション事業部 事業部長として、事業立ち上げや経営戦略・KPI管理を統括している。
マイナビ時代、歴代最短でマネージャーへ昇進し、数々のMVP賞を受賞したりなど多くの功績を残した佐藤。そんな華々しい活躍を見せ、若くして出世した佐藤が、なぜセブンデックスへの転職を決めたのか。その理由に迫ります。
高校時代の恩師からいただいた10万円を握りしめ、大学進出へ。今後の人生を大きく変えた出逢い。
ーはじめに、学生時代について教えてください!
私は、母子家庭で育てられたこともあり、大学に行くお金がなく、高校時代から大学進学という選択肢がありませんでした。
そんな時に、高校時代にお世話になったテニス部の顧問からこう言われたんです。
「お前は大学に行け。お前の人生にとって、知見や人脈を広げる環境に身を置くことが重要だと思う。その間に、やりたいことを考える時間としてもプラスになる。だから大学へ行け。」
そう言われたんです。とはいえ、本当にお金がなかったので、「無理です」と答えたところ、受験費用の10万円を渡してくれました。さらに、私が申し込める奨学金を調べて何から何までサポートしていただきました。
そのおかげで、私は大学を受験することができ、無事大学へ進学することができました。
他人の人生に本気で向き合い、私をサポートしてくれた先生には頭が上がりません。
この原体験をきっかけに、「やりたいことに対しての環境を提供できる人になりたい」と思うようになりました。また、大学では、その先生に憧れて、教員免許を取ることを決意しました。
ここが私の人生最大の転換点であり、原点となります。
ー「やりたいことに対しての環境を提供できる人になりたい」という想いが芽生えた時期だったんですね。そのまま教員になったのですか?
いいえ、一般企業へ就職することにしました。
実は、大学3年生のタイミングで、当時入っていたサークルの部長にならないかという依頼があったんです。教員免許を取るための授業が忙しくなる時期なので、サークル活動と授業の両立は厳しくて。普通だったら、教員の道を選ぶところですが、私は悩んでしまったんです。その時点で、教員になることに、そこまで興味がないと気づき、一般企業へ就職することに決めました。
就職活動では、「やりたいことに対しての環境を提供できる人になりたい」という想いを実現できること、そして、自分の力でサービスを売って、顧客へ介在価値を発揮できる業界の二つの理由から、人材業界と広告業界を志望していました。
特に、私は母子家庭で母親が労働に苦しんでいたのを見ていたので、“働く”ことを追求し「やりたいことに対して環境を提供できる」人材紹介の営業職を見ていました。
最終的に業界1番ではないこと、マイナビで社長を目指せると思ったこと、面接の中でカルチャーマッチしていると感じたことの三つの理由でマイナビに入社を決めました。
「転職エージェントという“天職”との出会い。」早咲きし、2年目で全社MVPへ。
ー恩師との出会いや母子家庭での原体験を経て、入社したマイナビでのお仕事はいかがでしたか?
基本的に何でもそつなくこなせるタイプなのですが、「思ったより難しいな」と感じました。
最初の配属先は、紹介事業本部 EMC領域(メーカー領域)の法人営業でした。私が入社した当時、メーカー領域が立ち上げフェーズだったんです。
そのため、業務に関して分からないことを周りの人に聞いても、「私も分からない」という回答しか返ってこなかったんです。そもそも、教育担当もいなかったので、「分からないことがあったら本部へ自分で連絡して。」というスタイルでした。
今考えると、カオスな環境でしたね(笑)
そんな環境を言い訳にする理由はないので、入社時に抱いていた「1番になりたい。」という想いで業務に臨んでいました。とにかく“1番”への執着が強かったので、朝6時から近くのカフェで勉強して9時に出社するという生活を1年間続けました。
実は、マイナビを退職するまで続けていたルーティンとして、
「他の全社員が面談した人の職務経歴書と履歴書を毎日読む」ことをしていました。
数で言うと、1日約300名分を読んでいましたね。、そのため、1年間で約73,000名分、在職中の10年間で約735,000名分の職務経歴書を読んだことになります。
1番への執着によって誰よりも勉強をしていたこと。また、「人の琴線が分かる」という私の強みがエージェント業にマッチしていたこともあり、すぐに成果を出すことができました。
当時、金賞取った時の写真
ー成果を出すための覚悟と執着心がすごいですね。その後、何か大きな変化などはありましたか?
2年目に上がるタイミングで、某大手自動車メーカーから問い合わせが来たんです。社内でも大きな出来事で、誰が担当者にアサインされるのか、大騒ぎをしていました。
そんな注目が集まる中、当時の課長は、私を担当者にアサインしてくれました。
まだ2年目に入ったばかりの私へ期待を込めて、挑戦する機会を与えてくれました。
社内でも大手クライアントを担当している人は珍しく、大手クライアントを担当しないとできない経験ができました。
単純な人材紹介ではなく、他事業部を巻き込んでの取り組みが多かったので、求人広告用の原稿を考えたり、転職EXPOに参画をして人事代行として来場者に企業説明をしたり、クライアントに東京拠点を出してくれと依頼したり、大変でしたが楽しかった経験ですね。
このアサインが私を大きく成長させてくれて、2年目も売上1位を取り続けられました。
その結果が認められたことで、4年目で最短マネージャーに昇進する機会をいただきました。
社内で誰もが認める圧倒的な逸材。人生初のマネジメント経験での葛藤。
ー初めてのマネージャー経験はどうでしたか?
「当時のチームは今でも仲が良いですし、率直に楽しかったです。」
自分のチームを持つこと自体が初めてだったので、せっかくならチーム全員で表彰台に立ちたいという気持ちでした。ところが、最初はあまりうまくいきませんでした。毎日300名分の職務経歴書を読み込んだり、知識を身につけるために国会図書館へ行ったり、整備士資格を取れるくらい自動車の仕組みに関する書籍を読み込んだり、自分にとっての当たり前が部下にとってはそうではないことに気づいたんです。個人として成果を出すのは簡単でも、組織として成果を出すのはそう簡単ではないと痛感しましたね。
そこで、チームとして「個性を活かして組織で勝つ」をコンセプトとして打ち出しました。マネージャーとして、メンバーの個を見出し、適材適所すること。つまり、各々が自身の持つ強みで役割を果たすことで、チームとして勝つことを徹底しました。
マネージャーとしても、自身の強みである「人の琴線がわかる力」が活きたと思っています。
結果的に、チーム表彰は叶いませんでしたが、メンバー20人のうち19人を個人表彰へ推薦することができました。
今振り返ってみると、憧れた恩師のように「やりたいことに対しての環境を提供できる人になりたい」という根底にある想いから、「個性を活かして組織で勝つ」というコンセプトが生まれたと思っています。
当時のチームは今でも仲が良く、メンバー同士で結婚した人もいたくらいです。初めて人を率いる立場に立ち、恩師のような憧れている存在に近づいているような実感を得られた経験でした。
設立以降、一度も予算を達成できていない部署への配属。
ーマネージャーとしても成果を出したのはさすがですね。その後について教えてください。
社会人6年目になったタイミングで、メーカー領域のキャリアアドバイザー部署への配属依頼をいただきました。実は、その部署は設立してから一度も予算を達成したことがない部署でした。そんな状況を打破すべく、「佐藤が責任者として3年間で予算を達成しろ」というミッションを与えられました。大変なのはわかっていましたが、貴重な機会と捉えて、配属を受諾しました。
過酷なミッションに加えて、初めてのキャリアアドバイザー業務を受けるわけですが、さらに追い討ちをかけるように、配属されたタイミングでコロナが直撃しました。
唖然としましたね(笑)
コロナの影響によって、企業の求人は半分減りました。それにも関わらず、求職者の数は変わらないので、企業の求人要件は厳しくなります。ただでさえ、設立から予算を達成できていない、難易度が高い領域にも関わらず、コロナによってさらに難易度が上がりました。
それに加えて、マネジメントの難易度も大きく上がりました。
法人営業の部署は年齢層が比較的若く、20代のメンバーが中心でした。一方、キャリアアドバイザー部署に配属されてからは、30代から40代のメンバーのマネジメントでした。
年齢層が上がるにつれて、情熱やビジョンでは動いてくれないので、戦略の合理性を追求してコミュニケーションをする必要があります。これまで、私は情熱寄りのマネジメントスタイルで部下を引き連れていたので、マネジメントスタイルの転換を余儀なくされます。
これまで馴染んでいたスタイルを柔軟に転換させなければならないのは苦労しましたね。
そんな過酷な条件でしたが、当然言い訳はできません。私には、コロナで下がった売上を戻し、部署初の黒字転換させるミッションがあります。そのため、外的要因に左右されない、泥臭く量をこなせば売上をあげられる部分にリソースを集中させる仕組みづくりに伴走しました。
それでも、着任してから1年目の予算達成率は40%の未達でした。
そんな状況でも、一度決めたことからは逃げない執着心から、やれることから改善しました。とにかく、シンプルなことしかやってないです。
ーこれまでの人生で最も過酷と言える経験ですね。その後が気になります!教えてください!
地道にコツコツ改善し続ける動きが功を奏して、2年目〜3年目は設立以来初の予算達成率139%を達成することができました。
今思い返すと、市場の回復も寄与したかと思いますが、それ以上に諦めず粘り強く改善を繰り返し続けたことが成果に反映されたのだと思います。
これまで6年間やってきた法人営業は、人材の適材適所をすることで人の可能性を追求するという業務でしたが、キャリアアドバイザーは、より近い距離で人の人生のターニングポイントに立つ仕事でした。求職者に近い距離でご支援ができる業務なので、念願だったキャリアが叶ったことで涙してくださったこともあります。会ったこともないのに、わざわざ会社まで菓子折りを持ってきてくれたり、やりがいを感じられる仕事でした。
10年の転職エージェント経験を経て「"働く"ことの課題を幅を広げて解決したい」と想うように。
ーキャリアアドバイザー、法人営業どちらでも成果を出された後、何を感じましたか?
3年間でキャリアアドバイザー部署の立て直しをするという任務を終え、法人営業部署のマネージャーに戻りました。ところが、半年ほど勤務した後に、また同じ日々の繰り返しだなと思ったんです。
私は、マイナビの中でも珍しく、思い通りのキャリアを歩め、文字通り順風満帆な社会人生活を送っていたと思います。振り返ってみるとわかるんですが、同じ仕事を3年以上やっていないんです。飽きそうなタイミングで新しい仕事にチャレンジさせていただいてました。また、このままいけば入社時に描いてた「社長になりたい」という目標も、現実的なものとして見えていました。
そんな中で、エージェントという切り口では解決できない「”働く”ことに対する課題を解決したい」と思うようになりました。これらの理由からHRに関するソリューションの幅を広げられる、かつ当事者意識を持って何かできる仕事を探し始めました。
ーその後、転職活動を始められる形になるのですか?
いいえ(笑)
私は、転職しろと周りに言われていましたが、転職したやつが偉いという風潮が嫌いでした。そのため、独立するか創業初期の会社で働くかの二つの選択肢を考えていました。実は、そのタイミングで、私の結婚式があったんです。結婚式には、マイナビの同期だったセブンデックス代表の堀田も参加してくれて。
すると、結婚式後に堀田から電話が来たんです。
「結婚式のスピーチや周りの反応を見て、本当に優秀なんだなと思った。一緒に人材紹介の事業を立ち上げないか。」そんなことを言っていただきました。セブンデックスという会社もよく知らず、特に興味がなかったので、適当に流していました。あまりにも流していたら、勝手に奥さんと私、堀田の3人のLINEグループが作られていて(笑)。奥さんと3人でご飯会が開かれることになりました。
当日、居酒屋でご飯を食べていたのですが、代表の堀田がパソコンを持ってきて、事業状況や計画、セブンデックスのビジョンについて熱く語ってくれたんです。
マイナビ時代から変わらず、"まっすぐな人"だなと思いました。堀田が信じるビジョンに対する熱量に心を打たれましたね。
その段階では、完全に乗り切ってはいなかったのですが、心のどこかにずっと堀田からの言葉が残っていました。
ーそこから、セブンデックスへ入社を決めるのにどんな過程があったのですか?
堀田に話していただいたことがずっと引っかかっていたこともあり、セブンデックスについて調べ始めました。調べてみると、セブンデックスのもう一つの事業であるUXUIデザイン、ブランディングの文脈が、世の中で希少であること。私が持っている能力とUXUIデザイン、ブランディングを掛け合わせた時に、HR領域を扱うサービスとして、課題解決の拡張性が高そうだと感じました。
最終的には、事業の競合優位性と、HR全体の課題を横串で解決できるポテンシャルがあることの二つを鑑みて、入社を決定しました。
余談ですが、居酒屋でご飯を食べた後から妻の方が盛り上がっており、背中を押してくれたことも大きな要因だったと思います(笑)
セブンデックスで新しい船出へ。0から事業を立ち上げる葛藤と新鮮さ。
ー0から立ち上げに参画して、9ヶ月ほど経ちますが、入社してからはどんなことをやっているのですか?
セブンデックスでは、HRソリューション事業部 事業部長をしています。業務としては、全体の数値管理やメンバーの育成、事業全体を最も俯瞰する立場として、リソースマネジメントのバランスをとっています。
最初は、事業を始めるための人材紹介の免許を取るところから始まりました。その後、サービスサイト作成、スカウト媒体契約、マーケティング、キャリアアドバイス、法人営業まで堀田と2人で進めていきました。今では、徐々にメンバーも増え、着実に売上も立ってきています。当初は、事業を立ち上げる段階に関する悩みが多かったのですが、今では人材紹介ならではの悩みに当たっていて、やっと人材紹介事業らしくなってきたなという感覚です。
振り返ってみると、今となっては事業が立ち上がり落ち着いてきましたが、とにかく01の段階は大変でしたね(笑)
それでも、2事業目なので会社自体の仕組みや基盤はしっかり整っていて、働きやすかったです。入社前は、もうちょっとカオスかと思っていましたが、一般的に想像されるスタートアップのカオスさとは異なりました。
また、セブンデックスに入って印象的だったのは、仕事に真剣に向き合っている人が多い点です。本気で世の中をより良くしたいという熱意を持って仕事に打ち込んでいる人が多く、大手企業では感じられなかった熱気が感じられて、毎日が刺激的です。
ーHRソリューション事業をどのようにしていきたいですか?
一つ目は、支援する人を幸せにする仕事ですから、まずは自社で働いてる人が幸せに働けるようにベストを尽くしていきます。そのために、今でも「個性を活かして組織で勝つ。」をコンセプトに掲げています。個の力を見出しながら、適材適所で、組織として勝つというのを大事にしています。
二つ目は、セブンデックスのもう一つの事業であるBCS(Business Creative Studio)事業の人たちが作った礎に続いて、二つ目の柱を作ることを責任持って必ず成し遂げます。しっかりと収益が安定してきたら、エージェントという解決策から幅を広げて、HR全体の課題を解決できるプロダクトを開発したいですね。
最後に個人的には、やるなら、絶対にトップを取りたいですね!結局、目指しているところ以上の場所にはいけないので。分野はどこでも良いので、世の中になくてはならないサービスを作り、シェアが一位のサービスを作りたいと思っています。
ー最後に、どんな人と働きたいか教えてください!
セブンデックスにおけるHRソリューション事業は、BCS(ビジネス・クリエイティブ・スタジオ)事業の次の柱になる二つ目の事業となり、会社にとっても非常に重要なポジションです。また一緒に働いているメンバーもこの事業を成功させたいという想いで、熱量高く、日々一生懸命に仕事に取り組んでくれています。
そんな事業、メンバーだからこそ、『今までの人生で何かに没頭した経験がある方』『なりたい自分、成し遂げたいコトがある方』『がむしゃらに努力ができる方』と一緒に働きたいなと思います!
当然、HR業界の経験者は大歓迎ですが、業界未経験のメンバーも多数活躍しておりますので、新規事業の立ち上げにチャレンジしたい意欲のある方は、是非カジュアルにお話しましょう!