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このストーリーは弊社運営、体育会就活TVにて配信しました動画を書き起こしたものになります。
動画版はコチラ↓
アズマスター)
みなさん、こんにちはー!体育会就活TV!
今回はなんと私も所属する
株式会社アーシャルデザインの代表取締役CEO小園翔太さんに来ていただきましたー!
小園さんありがとうございまーす!
小園)
ありがとうございます!やっと呼んでいただきました!
アズマスター)
とうとうお越しいただいたということでね笑
お互い色んな舞台立ったりとか表舞台立ったりすることが多いんですが、実は私たち二人でこういった感じで出演するというのは多分初めてじゃないですかね?
小園)
ないですね、5年前くらいに、僕が逆にファシリテーターでアズマスターと格闘家の大山峻護さんとか
バレーボールの大山加奈さんとか、嵜本(晋輔)さんとかとやったときがラストじゃないですかね。
アズマスター)
そうですね、その時がまず初対面であれが最初で最後ですね
小園)
そうですね、その時以来ないんじゃないですかね?
アズマスター)
改めてなんですが、僕も小園さんにこうやってお話伺うのがすごく楽しみです!
今日は、小園さんとスポーツの価値、それからスポーツ経験から生まれる価値等々について
沢山お話伺っていければなと思っておりますので、よろしくお願いします!
小園)
お願いします!
アズマスター)
では、早速なんですけれども、
アスリートエージェントの創設話、立ち上げの背景と小園代表の原体験について
伺っていきたいと思います!
このチャンネル見てくれてる方は、アーシャルデザインについてはあんまり知らないのかなと思っているので、是非この「体育会就活TV」の運営をしているアーシャルデザインについて、代表の小園さんから語っていただきたいと思います!
そもそも、アーシャルデザインというのは、創設するにあたってどんな想いだったんですか?
ー小園代表の学生時代
小園)
いくつか原体験があるんですけれども、アスリートエージェントの話が出たのでアスリートエージェントというサービスを何で創ろうと思ったかと言うと、私が元々プロのテニスプレーヤーを目指して
競技をしていました。
高校生のときですね。
ただちょっと目を悪くしてしまってなかなかその高い競技レベルでやることが難しくなってしまってですね、そのタイミングでプロ競技者の道は一旦途絶えてしまって...
そのときに僕の中で人生の時計の針が止まったんですよね。
アズマスター)
テニスはいつ頃始められたんですか?
小園)
実は高校生からで
アズマスター)
えーーー!!
小園)
そうなんですよ、実は。笑
だから本当に集中的にやった結果なのかもしれないですけども、
命かけてましたし人生かけてチャレンジしようという想いでやっていたのが
いきなり人生で1番当時思っていたものが抜き取られてしまったみたいな。
無気力ですよね。
アズマスター)
競技レベルはどれくらいだったんですか?
小園)
競技レベルは、県の強化指定選手に選んでいただいて、一応サプライヤーもついていたので
アズマスター)
サプライヤーというのはいわゆるスポンサーというか
小園)
そうですね、用品提供の(サプライヤー)がついていたので、高校生から始めたというのを考えると
相当良いセンを当時は行ってたんじゃないかなと。笑
だからこそ大学以降でもっとチャレンジしたいなというのは当時ありました。
アズマスター)
じゃあプロ選手になろうって言うのも例えば、小学生がテニスかっこいいなプロ選手になりたいなという漠然とした夢じゃなくて具体的な目標として、プロを目指していたときに、目を…
小園)
そうですね、ちょっと悪くしてしまってという所から。
競技に関しては一旦そこで止まってしまったという感じです。
アズマスター)
セカンドキャリアというか、トップアスリートを目指していたんだけれども
それを諦めざるを得なくなったというのが、高校生の時に来てしまったということですよね。
小園)
そうです。
僕のタイミングだとそれくらいでしたね。
やろうと思えば出来なくはないんですけど、高い競技レベルが難しかったっていう。
なので、大学ではインストラクターをアルバイトでやらせて貰ってました。
アズマスター)
そうなんですね。その止まった時計の針はいつ動き出したんですかね?
小園)
大学3年の終わりですね。なのでちょうど4年になる頃ですね。
それこそ今申し上げた通り本当に人生で1番大切にしていたものが、いきなりこう無くなってしまって
大学時代は本当に無気力に過ごしていました。
ただテニスはどうしても嫌いになれなくて、ずっと人に教えるのはわりと好きだったので
インストラクターのアルバイトをずっとしていて、周りが就職活動のシーズンになって
就職活動している時も、僕は何もせず、このまま卒業してもテニスのインストラクターをアルバイト続けていけばいいやとそんな感じで考えていたんですね。
それがちょうど大学3年の終わり頃に女子のテニスプレーヤーの方から練習を手伝って欲しいと声をかけてもらいました。
ここが僕にとっての原体験のひとつになります。
ーアーシャルデザイン創設の背景
小園)その女子のプロテニスプレーヤーの方が、練習が終わった後に引退後の不安を語っていたんですね。
「私3歳からテニスしかしてこなかったから何をやっていいか分からない」と
「(テニスの)ランキングも上がってきていないのでここで引退しても何していいか分からない」という話をしているのを見ました。
僕はそっち側に行きたかったわけですよね、
そっち側にいる選手が競技とはまた別のところで悩んでいるっていう実情を見た時にすごくショックを受けて、そして何よりもテニスしかしてこなかったっていうその言葉がすごくショックだったんですよね。
「いやあなたはテニスをしていたからあなたがあるんだよ」って思っていたので、そうなってしまう実情にすごくショックを受けてかつこれを子供たちがこれを見たら、もうテニスでプロを目指す人が減ってしまうんじゃないかってその時に思い、そこから色んなスポーツの引退後の実情を調べました。
そしたら日本でプロの方が引退した後にキャリアに非常に悩んでいらっしゃるっていうことを
そこで知って、その時にあなたは競技者としては無理だけど
スポーツの正しい価値を引退後の選手を支援することによって伝えていきなさい
ってスピリチュアルじゃないですけど、そんな風に言われている気がして
その瞬間からまた人生の時計の針が僕の中で動き出して、そこから人が変わったようにそこに向けて動き出したっていうのが、原体験の1つ目ですね。
アズマスター)
なんかもう、天啓を受けるというか、青天の霹靂というかバババっと来たわけですね!
小園)
そうですね笑
情緒チックではありますけれど、でも、本当に僕にとっては人生の中でもかなり大きい出来事でした。
アズマスター)
プロテニス選手というのが、自分のなりたかった、憧れの存在だった訳じゃないですか
で、その女性のプロテニスプレーヤーも、3歳から始めて頑張って憧れの自分になれたわけですよね。
みんななりたくても中々なれない存在になったにも関わらず、なってみたら結局プロテニスプレーヤーっていうのはテニスをする人だから、テニスが出来なくなったらどうすればいいんだろうっていう。
そして、小園さんは目を怪我したことによって諦めざるを得ない、トップを諦めざるを得なかったんだけどやっぱりテニスがすきだから、インストラクターという仕事をしていた。
その(活動の)中で自分がなりたくてもなれなかった憧れの人が、悩んでるのを見てしまったというショッキングな現実を見たわけですよね。
小園)
そうですね、ショックだったということよりも、テニスをやっていたことによって考え方が養われましたし、人とコミュニケーションとる上でどうしたからいいのかというのは競技活動の中で学んだなっていう自負が当時からあったので、それをより高いレベルでやっている選手がなぜテニスしかやってこなかったと言ってしまうんだろうという所に疑問も感じましたね。
繋がる部分もあるのになって。スポーツとは別の部分で。
―次回予告
・アスリートエージェントって他のエージェントと何が違う?
・スポーツ経験から生まれる価値って? 等々について語ります!