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「ビジネスアスリート」の体現者が語る。これまでの道のりとこれから。

今回は、Youtubeチャンネル体育会就活TV「アズマスター」や大学へのセミナー講師、スポーツチーム訪問等でご活躍いただいいているINNOVATION事業部の東さんにインタビューしました。
ハンドボール日本代表を経験し、現在はアーシャルに在籍しながらトップチームの監督も勤める
まさに「ビジネスアスリート」の体現者。
現役時代~今現在に至るまでを語っていただきました。

東 俊介(Azuma Syunnsuke)INNOVATION事業部

中学校からハンドボールを始める。

体格にも恵まれ、強豪の高校からスカウトが来るも素行が悪いからという理由で中学から許可がもらえず。最終的にはスカウトのあった学校を一般受験し合格。

高校時代にはハンドボール日本代表に選出。

その後企業(大崎電気)に勤めながら競技を続け、日本代表でキャプテンを務める。

引退後は、ハンドボールをメジャーにするために活動を続ける。

ーハンドボールとの出会いについて教えてください

小学校のときは運動が得意ではなかったのですが、中学校では部活動に入らないといけなかったので
運動部の中で1番楽そうなハンドボール部に入部しました。

身長が大きくて小6で170cmほどあったんですが、こんなに大きくて運動できなかったら女の子にモテないと思って運動部を選択しました!

僕はドッジボールが得意でしたし、中1にしては大きかったので大会に出た時に活躍できました。

チーム自体は強くはなかったですが、活躍できて金沢市内の1年生大会で準優勝だったこともあり、
「東上手いじゃん」「活躍するね」と褒められるのが嬉しくて、ハンドボールにハマりました。


ーハンドボールに本気になったターニングポイントはどこですか?

高校のとき、練習についていけなくて悔しい思いをしました。

上手くなるためには努力が必要で、努力するかしないかは自分次第なので努力をすると決めて、
本気でハンドボールに向き合い始めました。そこがターニングポイントですね。

そのときの指導者は、理不尽な指導というのがなくて監督が求めるプレーをすごくロジカルに教えてくれました。「〇〇をやれ」ではなく、どうしたらできるかを考えさせる指導だったので良い指導者に出会えたのも良かったです。



ー挫折した経験はありますか?

2005年にキャプテンとしてアジア選手権に出場しましたが、いわゆる「中東の笛」と言われるアンフェアなジャッジをされて、予選を突破できなかったのが1番の挫折です。

その前の世界選手権の予選では、アジア準優勝をして予選突破できましたが
本戦のメンバーには最後の最後で落選してしまったので、出場できなかったという経験があります。
それも大きな挫折ですが、もう一度努力して新しい代表に選出されました。

その時の監督が、落選した際の僕の振る舞いを見て、
このチームを引っ張ってくれそうだ!ということで、キャプテンになりました。

そして、次こそキャプテンとして世界選手権に行くんだと思って望んだ中で
不公平な審判をされてしまいました。

努力したって審判買収されたら関係ない、スポーツなんか頑張っても意味ないと思ってしまって...

それが一番の挫折です。



ーどんな想いで競技を続けていたのですか?

予選で負けたあとはお酒ばっかり飲んでましたね。飲まないとやってられないというか。

朝まで飲んで会社行って練習行って、あんまり記憶も残ってないです。
今から考えると鬱状態だったと思います。

そんなときに子供が出来て、妻に父親になるんだからしっかりしなさいと言われました。

印刷された子供のエコー写真をみて、
あぁそうか父親になるのか…と思って、お酒をその日からやめました。


「もうやるしかないんですよ」

出来ないことをできるようにするには挑戦するしかない。

最初はみんな何も出来ないところから始まります。できないからやらない赤ちゃんは居ないですよね。
たくさん失敗して、チャレンジし続けていくじゃないですか。

いつからか人間って失敗することを恐れたりとか恥ずかしがったりとかする、
上手くいかなかったらどうしようと考えてしまうんです。

転んで覚えればいいという話なので、

僕はやり続けて、自分を信じ続けました。
自信なんてやんないとつかないので。

自信のつけ方は人それぞれだと思います。例えば10回やれって言われて、密かに13回やるとか。

自分よりもすごい人がいて、10回やれって言われて13回やったら追いつける訳では無いですが、
自分だけは誰よりも努力したと分かってるので、みんなは気づいてないけれど近づいてる、いずれ追いこせるぞという自信がつきます。

逆もあります。10回やれって言われても7回とか9回で終わらせることもできますよね。
頑張ってないのに頑張ってますって誤魔化すこともできますよね。

でもそれって、周りはわからないから注意すらされない。でもその人はサボってしまったことをわかってます。そうすると自分に自信が持てなくなる。

人生変わりますよ。

努力を続ければ、誰に対しても胸張っていられるわけですよ。

出来ないことは悪いことではないです。目標が遠ければ遠いほど、高ければ高いほど、できるようになるかはわかりません。でも、やることは出来るんですよ。準備はできる。

結果がどうであれ、仕方ないと思えるくらいやっておけば次に繋がる。

やらないという選択をし続けてきた人は、愚痴ばっか言う人間になるのでそうはならない方がいいというのはすごく思いますね。

僕は努力をし続けてきました。高校でターニングポイントを迎え、ひたすら努力しました。
大きな挫折を何度も迎えましたが、僕の努力を評価してくれた人がいて、日本代表のキャプテンにまでなりました。

ここまでで2種類しかないんですよ。人間って。

やる人か、やらない人か。

僕はやる人になりたいなって。

できるかできないかはコントロール出来ないですが、やるかやらないかは自分でコントロールできるので、やろうぜって、伝えたいのはそこです。

出来ないことを恐れるなという話です。



ープロになることは考えなかったですか?

ハンドボールにもプロ制度があり、
僕もアテネオリンピックに出場出来れば、プロになろうと思っていました!

しかし、当時強かったHONDAがオリンピックに出れなかったことをきっかけに休部になって、
ハンドボールって強いだけじゃダメだなと痛感しました。

当時は大崎電気の社長がハンドボール協会の会長をしていたので、
僕は会社で立場を作って、将来的にはハンドボールをお金にする人、ビジネスにする人になろうと思いプロは選びませんでした。


ー引退はいつ頃から考えていましたか?

あるとき、この選手には敵わないなと思った年下の選手が出てきて、
そのときに引退しようと思いました。

それがちょうど10年プレーしたタイミングでしたが、11年目のシーズンに日本選手権が石川県の金沢市、僕の故郷で開催が決まったので、最後お世話になった石川県の人達にしっかりと自分の活躍を見てもらおうということで、1年伸ばして11年やりました。


ー大学院にいった経緯を教えてください

ハンドボールは強いチームがあったとしても誰も知らないんですよね。
なので、ハンドボール自体を有名にして、お金にしていかないとなと感じました。

スポーツをビジネスにするには、経験や知見がある人が必要ですが、そういう人はなかなかハンドボールに関わりません。

だったら、自分がなればいいんだろうなと思って勉強しに行きました。

僕はハンドボールに人生を変えてもらったと思ってるので
次はハンドボールを救えるような人間になろうって言うのが人生の目標です。



ー今後の展望について教えてください

ハンドボールをメジャーにしたいので、その途中にある今関わってる部分は全部しっかりやりたいです。アーシャルデザインでは、アスリートとスポーツの価値を高めて、

スポーツライフハックカンパニーのミッションを達成したいです。

スポーツ関係の業界に身を置いたのは、なりたい自分がそこにあるからなので
僕はハンドボールをメジャーにして、ハンドボールに恩返しがしたいです。

それが僕のでっかい夢です!!!!

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