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金城 正輝

株式会社OTSサービス経営研究所 / 総務課長沖縄県

金城 正輝

株式会社OTSサービス経営研究所 / 総務課長

この先やってみたいこと

未来

働き方改革+コロナ禍が「繋がり」を断ちそうな雰囲気。 日本人が成功して積み上げてきたものにも大切な何かは必ずあると思っているので、その大切な何かと新しいものを融合させていくことが大事だと考えています。

株式会社OTSサービス経営研究所2年間

総務課長現在

- 現在

観光業界シンクタンクとして業界の待遇改善と人材育成による振興と隆盛のお手伝い

主夫6ヶ月

金城家:生活管理部・部長

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退職後、早期の社会復帰を目指すが親の介護等が重なり、様々お声かけをいただく中、主夫業務を選択。 今までできなかったこと、目の端に入れながらも蔑ろにして来てきたことを楽しみながら生きています。

株式会社かりゆし9年間

総務部 人事労務管理部門マネージャー

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労務管理部門の分社化・独立

  • 本当にやりたかったこと。

    沖縄は「観光立県」を掲げてハワイをモデルケースに追い付け追い越せとこれまで頑張ってきました。 その勢いは凄まじく、海洋博ショックのころから比べれば「観光業界で食べている人」はお土産屋さんやホテル施設を筆頭に、運輸、製造、マリン、レジャー、美容、カルチャー、ブライダルと様々な業界へ波及効果をもたらしている。 でもちょっと待って。 賃金安くないかね? 入域観光客数でハワイに勝ったなんて言う前に、そこで働く人たちの地位向上は置き去りですか? そんでもってコロナでえらいこっちゃになったらこうですか。 えぇ戦いましたよ?コロナ禍初期に。 国が「全面的に支援する」って言ってくれてるんだから甘んじて受けましょうよと。 詳しくは書きませんが。。。 観光業界で働く人たちの笑顔は僕には輝いて見えました。 一生懸命生きている人たちの表情でした。 だからこそ仕事の使命に燃え、十分な生活を送り、その先にある幸せに皆辿り着いてもらいたいと本気で思っていました。 雇用を安定させ、繁閑に応じた人員配置、沖縄のどこを訪れても高いクォリティが保たれている。 それを実現させるためには「観光人材コンソーシアム」を形成するのが一番だと思っていました。 その為の指標になるように自社の労務管理部門を独立させて、いろんなホテルさんや観光関連企業の労務管理や人事採用の業務を受託することで水準を高める事、そこからコンソーシアムやセントラルキッチン構想に着手できればなんてことを考えていましたとさ。 今となっては後悔ばかりが残る8年間になってしまった。 いつも考える事は夢みたいなことばっかりで、実現できたことは片手に収まるぐらいしかない。 でも、人間が夢を見ずに居られるかよ。 この先なにも実現できなくたって構わない。 夢を見る事だけは絶対に止めない。 諦めたらそこで試合終了だって誰かが言ってた。

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  • 観光立県としての沖縄。。。

    ひょんなことから観光産業に身を置くことになったが、入ってみたらギャップが凄かった。 今までは小規模な事業所しか経験が無かったため「勉強させてもらうぞ!」と意気込んでの出社初日、デスクと椅子しか用意されていなかったことに軽く失神する。 比較的地元では大きな企業(グループ合わせて1500名程)で盤石な経営だと思っていたが、内情は悲惨。(経営状況:数字は健全でしたよ) 従業員の給与は低く、労務管理体制もコンプラもあったもんじゃない。 ここで一念発起。 「今」そうじゃないなら俺が変えてやろうじゃないか! 「お前あそこで働いてるんだろ?羨まぁ~。。。」って言われてやろうじゃないか! 沖縄県内企業でも就職人気度ランキングで銀行・インフラ超えてやろうじゃないか!! この気持ちがスタートになりましたとさ。 *注釈* この後、「歴史がある会社」と「従業員規模の大きい会社」で働くことの意味と難しさを知ります。 何も経営者は搾取を前提に操業しているわけじゃなく「結果としてそうなってしまった」事が往々にしてあるのだと思います。 外部環境の変化の速さと予測の不可能さ、今居る従業員を守るだけでも大変。 制度変更により受ける影響・支出規模・過去の労働環境へのハレーション・訴訟リスク、良い方に変えればそれが一番じゃん?って甘い考えは通用しません。 ちょっとした変更でも常にリスクを想定して動かさなければならないほど、「大きな会社」での「変更」は大変である事、図体のデカさゆえに一挙手一投足で波風が立つことを身をもって経験させていただきました。

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  • にわとりたまご

    労働環境(にわとり)が整えば従業員の満足度(たまご)が上がるのか? 従業員満足度(たまご)を追えば労働環境(にわとり)は改善されていくのか? 未だに答えは解らない。 卵を産む鶏を育てるのが先か? 鶏になる卵を優先すべきか? ここでまず自分に出来る事はにわとり(労働環境)の方でした。 ブラックな環境に気づかない従業員。 良くないと知りつつも何を変えていけば正解に辿り着くか分からない管理職。 先ずは下地(したじ)だ。 就業規則を刷新し一本化(散らばっていた各規程を本則に) ごちゃついていた事務分掌を見直し、再配置 使用していた給与システムを入れ替えて専任担当者を配置 担当同士が情報共有できるように紙で管理していたものをデータ管理に 労働法にまつわる各種法規、改正のタイミングで研修と啓発 全社的な変更の際にハレーションが起こらないように人脈作り こんなことをしたい、こんな風な会社にしたいを大声で発するようになったら、味方が集まってきた。 うん、やっぱり人間は悪くない。知らないだけだ。

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  • 人ってヒトが評価できるのか。。。?

    人事にも少し携わっていたことから人事考課の構築(ってかほぼ一から作り直し)にも参画(ってより全部やらされる)事に。 前提としてタイトルのとおり。。。 寧ろ評価するではなく測るが正しいんじゃないかとの考えから「絶対評価」を考え付く。 スキル評価と部署内での役割を客観的に見て「出来てる・出来てない」のみで評価して数値化、その数値のみにより評価を決定する方式を提案して無事に承認される。 ペーペーが1企業のオーナーや社長の前で制度導入を提案するなんて滅多に経験できない場面を経験し、足が震えたことを今でも覚えている。(自信はかなりあったけど) その時オーナーから掛けられた一言が「君の取り組んでいる業務に正解も終わりも無い。これからも鋭意取り組みながら正解を探す努力をしなさい。」 はい。今も探し続けてます。 すんごい怖い人かと思っていたイメージがあったけど、心根は優しくてクレバー?スマート?紳士?なんと表現していいかわからないけど、くぐってきた修羅場が一般人とは違いすぎて「怖そうなオーラ」となって吐き出されてただけなのかもね。 そんなこんなで一年間運用してみて評価する側からもされる側からも評価は上々! こっちの仕事が評価されたように感じて嬉しくなる。 でも。。。 その翌年「あしたのチーム」様様の「絶対評価」制度の導入決定。 えぇ~。。。俺のも「絶対評価」やん。。。 でもそこはちゃんとした企業が作りこんだ「評価」制度、精度も高いし、俺が作ったおもちゃみたいなモノサシとはわけが違います。 でもみんな「アイディア」は同じ方向なのね。作り込みが凄すぎて悔しかったけどね。うん。 これを頑張って運用していくうちにあんれまぁ。 全国表彰されてしまいました。 単純な生産性向上だけではなく「人件費のコントロール(再配分)」が出来たことが会社にとっては良かったのかな? まぁ数値の根拠も整ってたし。 導入・運用の裏話として一番苦労したのは人とのコミュニケーション。 制度構築なんてハードル激低。もちろん裏技も隠しておいた。 ほんと、人を納得させることには骨が折れるし時間が掛かる。 でもその苦労が報われる瞬間があったことも事実。 評価されたことで前向きになっていく若手。 奮起するベテラン勢。 隠してた裏技に気づきうまくやり過ごすクレバー勢と利用する上昇志向勢。 上手く適応できなかった人達。。。 前を向いて顔を上げさせる事が出来なかった人達。。。 未だに悔しい想いは残ってるのに全国表彰。 造ってリリースするだけが俺の仕事じゃない。 いろんな人に「良い影響」をもたらして初めて、仕事のはずなのに。

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放浪記2年間

個人事業主

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日本を一周して人間力を創る。

  • 自作オートバイで日本一周

    所謂、氷河期世代マンですのでハナっから就職する気はありませんでした。 ちょうど卒業を機に県内で活動していたバンドもそれぞれのやりたいことが違う(映画監督・フラメンコギタリスト・僕はバンドを続けたかった)事から解散。 なら音楽は続けたいのかと自分に問うと「続けたい」と。 その為に必要な事は何か? 楽譜も読めない・書けない、音楽理論もわからない、扱える楽器はベースと声とちょっとのギター、こんなんじゃあ戦えない。 戦う根底に必要なものは何か? 人間力鍛えるしかないよね?大学時代にホント何やってたんだろう。。。 バンド活動を後悔したことは一度も無い。 文字通り「やり切った」と思ってる。 最高の仲間と(その時出し得る)最高の音楽を演り切った。 こいつらと音楽をバンドを続けたい気持ちは100% でももう後ろを振り返ることはできない。 さようなら、お前ら。 もう進むしかない。 振返るな、振り切れ。 こうしてその先に何があるかわからない、何も無いかもしれない旅に僕は旅立ちました。

沖縄大学4年間

法経学部法経学科

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法律知識とちょっとの英語(概ね音楽と酒)

  • 強制退学の危機(2回)+卒業延期を潜り抜けての卒業

    何をどこでどう間違えたのか大学に合格、入学してしまう。 高校だって赤点ギリギリで卒業したのに、人生ってどうなるかわからない幸運?が突然舞い込むものなんだなとうっすらと感じる。 ただし努力していない人間は何もかもを「甘く見積もる」傾向があることを忘れてはいけない。 予てから取り組んでいたバンド活動+深夜からのバイトが楽しすぎて、殆ど学校には顔を出さなくなる。(深夜の軽音楽部には何度かお邪魔したが、学内で音楽活動をすることは一切なかった) 結果、登録単位をはるかに下回る14単位しか取得できず強制退学崖っぷちとなる。(強制退学危機1回目) なんとか英語の授業の追試を受け退学ラインをぎりぎりクリアし、踏ん張ることに成功する。(親には殺されるレベルでお叱りを受ける。。。) そしてバイトが楽しすぎたせいでしこたま働いていたようで、気が付けば貯金額が120万円を突破していた。 ここから授業に頻繁に参加し巻き返しを図る。 しかしバイトも辞め、まじめに学生生活を送ろうとしていた矢先、取り組んでいたバンド活動が軌道に乗り始め県内各所のライヴハウスから出演のお声がけが頂けるようになる。 付け加えて辞めたバイト先で一緒に働いていた一個上の「イカれた(誉め言葉)先輩」が同じ大学に入学してきた。もうね。。うん。。。楽しさが継続するよね。 学園祭でキャバクラを運営し、一晩で〇〇万円×2日間の売上を叩き出しうっはうはになる。 しかももともとのコネをフル活用して経費をほとんどかけずに運営していたので売上=ほぼ利益。たまんねぇなこりゃ。 って思っていた矢先、学校からお呼び出しが。。。 時効だと思い書きますが未成年が飲酒している由々しき事態がうんちゃらかんちゃらjwvbぽんwvk。。。 この様な事を学際の中で行う事がどーたrjkhヴぉいjdmv。。。 退学か今すぐ店を閉めるか選べ(真顔)。。。 はい、3日目の売上を諦めました(強制退学危機2回目) これ以降、学内で目立つ事を避け、学外の音楽活動にのめり込んでいくのでありましたとさ。 そして迎えた卒業判定の日! 大丈夫だ卒業単位も取得出来てるはずだし、企業インターンにも真面目に参加したしレポートも提出した。 (うちの大学はちと特殊で卒論が無い代わりに企業インターンに2週間ほど参加して、レポートを提出することが卒業判定の一部だった。伺ったのは県内のテレビ局でADさんや編集、FDさんのお仕事を体験させてもらった。今になって思えば幼少期の三浦大知が目の前で歌ったり踊ったりしてるのを収録していたのは貴重な体験だった) さァ来い!”卒業可”の三文字よ!!! 判定⇒不可 なぁぁぁぁああにぃぃぃいいいい!!!! SoんなヴぁかNa!! 何故だ?何処を間違えた?俺が今目にしてるのは現実か? そっこー教務課の職員様にWhy? えぅえっ??観光学概論?マジか! 教授のラボへダッシュ!っの前に酒屋にダッシュ! 菊の露(一升瓶)ゲット! 教授様にWhy Do You Say So??? 教授:出席は? 俺:ちゃんと来てました! 教授:レポートは? 俺:ちゃんと出してます!! 教授:う~ん。。。 俺:教授!来年もまた俺のむっさ苦しい顔なんか見たくないですよね??(一升瓶こそ~) 神:そうだなぁ~。教務課には俺から言っておくから、もう行っていいぞ! 俺:いやっふぅぅぅぉぉおおぃぃいい!あじゃじゃしたぁ~~~!!! こんな学生、現代社会じゃあ許されねぇよなぁ。。。 良い時代でした。 無事卒業!

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