新型コロナ: もうオフィスは不要 新興勢がコロナで解約、遠隔に: 日本経済新聞
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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58567970Y0A420C2000000/
EmpathはCOVID-19の発生前から一部のメンバーはすでに週に数回リモート・ワークを実践していましたが、世界的な状況をみて全社員が一斉にフル・リモートではたらけるように切り替えをしました。これまで毎日当たり前にオフィスに足を運び、仕事をして、同僚と笑い合っていた日々が当たり前ではないことに気づかされました。
2020年の大半をリモートで仕事に取り組んでみて、人と関わりながらも自分のペースで仕事を進められることで、今までよりも仕事がしやすくなったように感じていました。その一方で、お子さんがいるメンバー、海外から日本に来ているメンバーの中には仕事と家庭とのバランスを取ることが難しく感じていたり、普段会っていたメンバーと話せないことで寂しさを感じたりしているメンバーもいることが分かりました。こうした状況の中、各スタートアップでは、リモート・ワークで業務が成り立つ、また固定費削減の考えからオフィスを解約しているスタートアップが増えたといいます。
参照: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58567970Y0A420C2000000/
前述のとおりリモート・ワークの良さは感じつつも、これまでの何気ないオフィスでの風景が見えなくなってしまうと考えると少し寂しい気持ちになっていました。Empathのオフィスは、仕事場でありながらも、実家のような、大学の研究室のような、いろんな顔を持つ存在になっていたのです。この状況下で取り組めることは何か。。と悩んでいた時、Empathのオフィスの設計・デザインを手掛けてくれた建築家の伊藤維さんからFacebookに投稿したEmpathオフィスの写真に下記のようなコメントをいただきました。
「Empathさんのインタビューのシリーズで、皆さんがオフィスを色んな風に使いこなしているのが垣間見れて、それも個人的にとても嬉しいです!これまでと違う形かもしれないですが、また物理空間に集まる良さが発揮される日が来ることを願っています。」
このコメントをいただいたことがきっかけで、Empathのメンバーが集う空間を作ってくれた伊藤さんにお話を聞かせていただくことに。インタビュー当時、スイスのチューリッヒに在中していた伊藤さんに連絡を取ってみました。今回のインタビューではEmpathオフィスの設計・デザインを手掛けた建築家の伊藤維さんに、建築家としての背景を経て得た価値観、Empathオフィスを設計した際の思い、世界的状況を踏まえた上での建築のあり方についてお話いただきました。
写真: 建築家の伊藤維さん。インタビュー当時はスイスのチューリッヒに在住だった。現在は、伊藤さんの故郷である岐阜県を拠点に活動している。
<目次>
1.建築家の原体験: 人の暮らしが豊かになる建築を目指して
2.建築業界における主流の進路への疑問: 社会人経験を経て海外の大学院へ
3.間取りから見える各国の暮らしの背景から建築の提案へ
4.Empathオフィス設計の背景: 人の変化と共に歴史を刻むオフィス
5.新旧の知恵を取り入れながらつづく私たちの暮らしの変化
6.あとがき
-伊藤さん、今回は貴重な機会をいただきありがとうございます。伊藤さんは、これまで建築家として国内外で数多くの素晴らしいデザインをされてきてますよね。伊藤さんが建築の仕事をしようと決めたきっかけなど原体験があればお話を聞かせていただけないでしょうか?
「原体験…。そうですね、特に建築家やアート関係に知り合いがいたわけではないんです。でも祖父や親戚が大工だったんですよね。彼らの建てた僕の実家が不思議な感じで。どんどん増築されていくような家でした。自分が生まれた後もどんどん家族みんなで車庫をきれいにしようとか、押入れが小さいから大きくしてみようとか、家が進化していって、物心つく頃には自分の家が、縁側の代わりにやけに大きな客間と繋がった和室とか、巨大なテラスに行くために通り抜けしないといけない個室とか、いま思えばだいぶ不思議な間取りになっていました。その中でいかに自分のためのスペースや収納を確保するかを考えたり、巨大なテラスでできる遊びを考えるとか、変な間取りを逆に楽しんだりしていたことが始まりかもしれません。その延長で、家づくり系の雑誌も見たり、絵というかイラストが得意だったので自分で「理想の間取り」を描いてみたりして、想像を膨らませるのが好きでした。」
-なるほど。家づくりを通して、家族全員で理想の家に進化させていったんですね。実際に建築家として活動したいと思い始めたのはいつ頃だったんですか?
「「建築家」という職業があるんだと知ったのは雑誌のおかげでしたね。高校生になった頃に、“Casa BRUTUS(カーサ ブルータス)*”が月刊で出始めて、地元の小さな本屋でも簡単に手に入りました。そこで初めて安藤忠雄とか、いわゆる巨匠とその作品や考えていることを知って、建築設計というのは、必要な機能を満たすだけではなくて、アート・ファッション・旅などからも発想を得て、人間の生活をより豊かにできるような職業でもあると知りました。それに、単に図面を描くだけではなくて、描いた空間を実現しようと格闘する工事現場に設計者として関わるのも仕事に含まれていて、クライアントから職人さんまで、いろんな職種や考え方の人と関われるのは面白そうだと思いました。将来そんな仕事ができたら楽しいだろうなと思い、設計を仕事にするのを意識するようになりました。その後東京に出て、大学で建築学科に進んで、更にいろんな本・雑誌を読んだり同級生や先輩に揉まれながら課題をやったりするうちに設計にのめり込んでいって・・・ある時とある先生から「君は自分で建築家をやった方がいい」と背中を押してもらったのが、いわゆる「建築家」を本当に目指そうと思った瞬間かもしれません。」
*マガジンハウスが販売する月刊情報誌。建築をベースとして、デザイン・食・アート・ファッション・旅などをテーマに扱っている
-書籍や恩師のアドバイスがきっかけで、建築家を目指すようになったんですね。空間にいる人の生活スタイル、趣味嗜好を考えた上で設計することは奥が深いです。高校卒業後は、東京大学工学部建築学科に進学し、東京大学卒業後に建築設計事務所で社会人経験を経て独立。その後、アメリカの大学院に進学したと伺いました。その時のお話を聞かせて頂けないでしょうか?
「大学では建築意匠(デザイン)を専攻して、当時、2007-8年頃だと学部で建築学科を卒業した後はそのまま修士課程に進むのが割と当たり前でした。ただ、多分どの世界も多かれ少なかれそうですが、建築業界でも大学での学びと社会人になった時の学びが違うというか、このまま実社会での実践を知らずに抽象的にだけ学びを続けてもなにか限界があるのかも、と漠然と感じていました。逆に、収納とかそういった事が興味の始まりだったからかもしれませんが、実際的なことや日常的なことがどう思想的に意味を持てるか、という「実践」から「学問」への方向に考えを深める方が興味があったんです。でも、当時あまりそういう事を深掘りしている先輩もいなくて。だから自分自身は、実務で揉まれた上で、もっと深く知りたいことを見つけた上で修士に進もうという考えに至りました。」
-特定の組織や業界に属していると、これまで当たり前とされてきた主流に進むのが正しいとされることは多いかもしれませんね。ただ、主流に進む、進まないが良い、悪いではなく、その人自身が信じる道を進むことでしか切り開けないものもありますよね。ちなみに大学院での進学はアメリカの大学院を選択されたとのことですが、その時に印象的だった出来事について教えていただけますか?
「日本でひと通り実務経験をした後のアメリカの大学院では、建築意匠専攻でも自由度の高いプログラムに進学して、特に最初の1年は、理論と実践を混ぜたような学びができるよう、意識的に授業を取っていました。例えば授業の中で、ニューヨーク州ロングアイランドの移民コミュニティの未来を考えるというテーマで、現地の方々に地域アートセンターのデザインを提案する機会を得ました。やりとりしてみて、日本にいたときよりもアイディアに対してのレスポンスや、そこからの予算組みなど、意思決定がとにかく前向きで速かった印象です。また、学生といえどもすごく対等に接してくれるというのはありましたね。当時英語もそこまでスムーズに話せなかったのですが、ドローイングや模型で目的や方向性をNPOの人たちと共有が出来、そのまま採用されたときは嬉しかったです。また、大工でもあった同級生と自分たちで設計施工するインスタレーションもIndependent Studyという枠組みで作ってみたのですが、この制作費を募るためにやったクラウドファンディングも、当時(2014年)の日本の状況からしたらびっくりするくらいの速度で資金が集まり、デザインに対する期待や信頼のベースが高いという実感を持ちました。」
「また大学院でよかったのは、実際にその建築空間を過ごす方の意見を聞いたり一緒に考えたりしながら検討を進める、いわゆるボトムアップの設計の進め方を経験できたことです。設計事務所での経験だと、「ワークショップ」とは言っても結局はトップダウンで「この場所にこういう建築をします。」という説明で近隣住民の方に計画に対して賛成・納得してもらうというフォーマットに終始しがちだったんです。この方法が必ずしも悪いわけではなく、ボトムアップでも高度に専門的な内容をどうしても共有できない問題など、一長一短ではあります。ただトップダウン、ボトムアップ両方の建築の進め方を経験したことで、双方の進め方をハイブリッドしたり、より多様な手法だったりという構想ができるようになりました。」
写真: ハーバードデザイン大学院建築学修士課程時代の同級生やロングアイランドのコミュニティメンバーとの1枚。
-建築のプロジェクトの進め方にも現場の声を聞いた上で進めていくボトムアップの方法があるんですね。トップダウンもしくはボトムアップどちらかが絶対だと方法を決めつけてしまうのではなく、両輪のパランスを取ってプロジェクトを進めていくことが新しい発見にも繋がりそうですね。ちなみに、海外でのプロジェクトでNYに留まらずドイツでもプロジェクトに携わる機会があったと伺いました。ドイツのハンブルク政府が提供していた中東から来た難民の方たちが住む団地の一角にコミュニティセンターを建てるプロジェクトだったそうですが、どういったプロジェクトだったのでしょうか?
「ドイツでのプロジェクトは、これまでの経験やスキルを面白い形で活かせ、また気付きの多いプロジェクトでした。多くが建築の専門ではない難民の方々と「仮想の設計チーム」を組んで建築デザインを進めなさい、進め方もデザイン提案の一部です、という枠組みだったんですが、私が加わったチームでは、「共有可能なところから、とにかく一緒に描いたり作ったりしてみる」手法を試してみました。例えば、いきなり「コミュニティセンターを考えて図面を描いてください」と言われても誰もどうしていいかわからないですが、彼ら自身の「実家の間取りを描いてください」なら、難なく描けるわけです。政府が急ピッチで建設していた団地はドイツの標準的な公営住宅の間取りを前提としていて、ドイツ式の暮らしには良い仕様ですが、そのままでは中東でのライフスタイルとはズレがあることがわかりました。彼らの祖国の家は寝室が小さい代わりに家族や定期的に友人・親戚も呼んで20名ほど集まれる大きなリビングが生活の中心があって、その間取りを描きながら、ここで盛大にしたパーティーなどの話を聞かせてくれました。でもヨーロッパ式の住居は個室が最優先で、寝室が大きくて、リビングは廊下が少し膨らんだくらいしか今回の公営住宅では用意できていませんでした。実家の間取りを描いてもらうことで、彼らがなんとなく感じていたけれどうまく説明できない新居に対する違和感がクリアに共有できたんです。こうして、彼ららしい暮らしを補えるように、コミュニティセンターには「リビングルーム」をたくさん作って皆が借りて使えるようにしよう、というアイデアにみんなが共感しました。そのほか、郊外の空き地にいきなり大量の人が引っ越してくるので、もともとの地域コミュニティとどう良い関係を作っていけるかを考え、中東の人たちそれぞれが持っているスキルや興味(靴や織物を直したり作ったり、サッカーが好きだったり)をマッピングして地域と活動を共有することを考えてみたり、近くの緑道がハンブルクの市街地につながっていることを見つけ、週末はサイクリストにとっても良い場所になるねと話し合って、自転車の修理スペースやカフェにもなる共同キッチンを作ってみたり、という風にデザインを発展させていきました。たくさん話し合いましたが、建築家がリードする部分も多くて、けっこうハイブリッドなデザイン手法だったと思います。それがまた魅力的な建築の形に結びついていったのも良い経験でした。」
写真: ドイツでのコミュニティー・センターでのブレストの様子。参加者の家族の興味やスキルを絵で表現したり、故郷の家の間取りを思い出して描いてもらったりしたそうだ。
-間取りを描いてもらうことで、その方が生まれた祖国での暮らしが見えるのは面白いですね。双方にとって居心地のよい提案をすることは、建築はもちろん何か企画を提案する際に大変参考になると感じました。このように伊藤さんが携わった空間に住んだり、仕事をしたりする使い手、そして使い手に関わる周りの方への配慮をされてきたという背景があるからこそ、Empathのオフィスをデザインいただいた際も伊藤さんの思いが詰まっていたのではなかと感じています。実際Empathのオフィスを設計するにあたって、伊藤さんが印象的だと感じたできごと、そして意識して取り組んでいたことなどを教えて頂けないでしょうか?
「Empathの設計は始まりから印象的というか(笑)。mui*の大木さんから最初話を頂いたんですが、コンペの締切が3日後に迫っているという状況だったんですよね。ただ大木さんから、Empathの事業について聞いて、そしてオフィスを建築するにあたっての要望を聞いて、なんだか妙にしっくりというか共感できたし、とても面白そうで、純粋にやってみたいなと思ったんです。実際、下地さんと山崎さんにデザインを提案させてもらった時はすごく喜んでいただいて。特に海外で、提案が良いと、即座に“Fantastic!!”というようにものすごく率直に喜んでいただく時があって、それはすごく嬉しかったんですが、その瞬間と同じくらい下地さんと山崎さんに喜んでいただいたと大木さんから伺って、嬉しい気持ちになりました。 」
写真: 渋谷にある居酒屋「恵」での様子。muiのCEOである大木さん(写真右)は、オフィス設計の相談にも乗ってくれEmpathと伊藤さんをつなげてくれた。
*mui: 京都発のスタートアップ。新たな概念である「Calm Technology(穏やかなテクノロジー)」を提唱し、デザインとエンジニアリングによってプロダクトやコンセプチュアルなアートによって社会に実装している。HP: https://mui.jp/
「Empathさんはスタートアップだけど、典型的なスタートアップのアグレッシブな感じというか、当時個人的に持っていたそんなイメージを履がしてくれたと思います。もちろんピッチ・コンテストに連続優勝するなど攻めの姿勢もあるとは思うのですが、企業のビジョンやメンバーの人柄からは、そのアグレッシブさとは違う、おだやかさみたいなものが滲み出ていると思います。そういう印象があったからこそ、空間にもそのEmpathさんらしい雰囲気は取り込んでいきたいと考えていました。特にオープン・スペースは工夫を重ねました。というのも、単純にイベント空間を作るということになると、基本的には面積だけの問題になりがちなんです。Empathさんの場合は、イベントを実施するだけの空間というよりは、大勢の人が集まったり、一人でギターを弾いたりとその瞬間の状況や人の活動に応じて変化できる空間を、全体の穏やかな空気感を維持した上で作りたいと思っていました。大勢の人がいることだけが良いのではなく、一人でいても苦ではないような空間。それでいて、ふとした時に外の天気や他の人の動きに気づくというか、人間以外も含めて自分以外の何かがいるということを感じられる時もある空間。そんなイメージで、素材の組み合わせや、家具、ドアのハンドルなど含め、デザインに落とし込んでいきました。実際にEmpathの皆さんにオフィスを使っていただいて、僕も想像していなかった使い方、例えばお子さんが一緒に出社していたり、バーに変化したりと、とてもユニークでEmpathさんならではの空間を作ってくれていることがとても嬉しいです。当初のデザイン自体が「背景」になっていて、その背景を元にEmpathに集まったみなさんが肩ひじはらずに一瞬一瞬の新たな空間を作っていっているのが素敵だし、新たに作られた空間を見るのを楽しみにしています。」
写真: Empathオフィスは、変化を続け、子どもも大人も遊べる場になっている。
写真: 時にはバーに変化するオフィス。仕事以外のことでもメンバー一人ひとりの「その人らしさ」を知ることで、対話を深めていく。
-伊藤さんがEmpath社員のインタビューや日々のEmpathの写真を見ることを楽しんでくださっているのは、私もとても嬉しいです。COVID-19の影響でEmpathでも時折寂しさを感じているメンバーがいたり、日々当たり前だと思っていた出社できる環境があることの有難みを感じたりしています。こうした状況の中で「空間」における考え方の変化などはあったのでしょうか?
「考え方の変化というのはあまりないですが、COVID-19関連で言うとソニーCSLが発行しているメールマガジンに船橋真俊さんが寄稿した「表土とウイルス」という文章を読んで、なるほどなぁと感じました。ウイルスって、物質として安定しているステンレスやプラスチックの上では生存可能性が高くなるそうです、一方で表土は色んな生物がせめぎ合って平衡している状態で、ウイルスにとっては自ら嵐の中に突っ込むような過酷な環境なんだそうです。スイスでは、チューリッヒのような都会でも人々が有機的な自然環境と共存するライフスタイルをもともと実践していたり、外部空間をみんなものすごく楽しんで使ったりしているのは印象的ですし安心感を持ちます。お互いに距離を取りながら、公園で自然と向き合って過ごしている人もたくさん見かけます。 記事はその他いろんな方向から生物超多様性それ自体の価値について書かれていましたが、読んだ後に、なんというか、固定化・安定化していく世界を目指すというよりは、ダイナミックな変化もありながら、いろんな目的を持った異なる主体が良い形でなんだかんだ共存していくような世界像が思い描かれるのではないかと感じて、それは自分がこれまで考えたり試行錯誤したりしてきたことの延長上にある気がしました。関わる方々の多様で異なる意見や実感を建築に取り込んでいくこと、そして新旧の知恵を取り入れながら、生じた状況や困難に対して諦めずに、しぶとく地道に進んでいくことが改めて求められるのではないかと考えています。例えば家づくりもより多様になって、それぞれ違う住み手と、毎回一緒に、具体的に考えていくのが改めて大切になると思います。高度経済成長期には「家では仕事をしない」というのが当たり前でしたが、今後は、人によっては、より仕事の時の自分と、家族といるときの自分との垣根のない状態が想像されるし、そうすると暮らし方やそれを受け止める空間が変わった方が良い部分もありそうです。とはいえ、ただ単に「仕事ができる空間」を作れば問題が解決するという単純なことではなく、家の役割が固定化され過ぎずに、変化や想像を受け止めながら反応もしてくれるおおらかな空間、それこそEmpathのオープン・スペースのような空間が増えるといいなと感じます。
写真: 昨年末のEmpathオフィス大掃除風景。オフィス設立から時を経て、私たちの歴史と共にオフィスという場も変化し続けている。
伊藤さんが設計・デザインをしてくれたEmpathオフィスは、空間に一人でいることが良い悪い、大勢でいることが良い悪いなどの物事の良し悪しを決めつけるのではなく、それぞれのメンバーや集まった人たちで出来上がっていくオフィスなのだと改めて知ることができました。
今回伊藤さんとの対話を通して、現状の不確定な状況であっても、白黒決着をつけたり正解ありきで行動したりするのではなく、肩ひじはらず柔軟に自らを変化させて物事と共存していくことがこの時代に生きる私たちに求められているように感じています。Empathでは、COVID-19の発生から、開発メンバーがリモート・ワークのコミュニケーションに寄り添うプロジェクトを2週間で立ち上げ“R:Emotalkie(リモトーキ―)”をローンチしたり、“Idle Away”という感染症の時代を生きていく上でのアイディアを世界中に配信するWebinarを開催したりと変化と共存し自分たちができることを一歩一歩進めています。私自身も仕事場が変化しても、Empathオフィスやメンバーが体現する「肩ひじはらず、変化と共存する」というコンセプトを軸として、感染症の時代に人と人のつながりが途絶えない手触り感のある出来事やEmpathらしさを文章に乗せて皆さんに伝えていく実験を続けていきたいと思います。
写真: COVID-19以前に、メンバーで撮影した写真。私たちが日々変化するように、私たちのオフィスも日々歴史と共に変化し続けている。
カバー写真クレジット: 奥田正治氏