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・四番サード長嶋茂雄を継ぐ者
四番サードという肩書は野球にとって特別な意味合いを持つ。長嶋茂雄だ。ミスタープロ野球。その独特のオノマトペでファンを幻惑、立教大学時代には英語の教師が「“I live in Tokyo.”の過去形は?」と質問し際に“I live in Edo(江戸)”と答えるなど日常言語の限界を軽々と超えてみせた。 そんな長嶋の数あるエピソードの中でもひと際有名なのが敬遠球のランニング・ホームランだ。1960年7月17日の巨人対大洋戦、5回2死二塁の場面で、長嶋茂雄は明らかに高めに外れるボール球を大根切りした。その打球はレフトの頭上を越えた。俊足の長嶋は一気にホームへ飛び込みランニング・ホームランとなった。
「どんな球でも打ち返す。そんなミスターが私のスーパー・スターなの」
そう答えるのは音声感情解析AIで世界を席巻する株式会社Empathの四番サード、千葉美帆だ。ちなみに長嶋茂雄は千葉県出身である。
「CEOの下地もCSOの山崎もとんでもないボール球(無茶な要求)しか投げてこないの。それを私はひたすら打ち返す。本当、あいつらは性根が腐ってると思うわ。でもね、私は全部打ち返してきたの。ざまあ見ろって感じよね。ナメんじゃねーよっていう」
(大阪出身の千葉のマイバッドは黄色。虎のグラフィティとの相性は抜群だ)
千葉は今年シカゴから帰国し、Empathに四番サードとして加入した。千葉がシカゴにいた2016年にシカゴ・カブスは108年ぶりのワールド・シリーズ優勝を果たしている。彼女は何かを持っている、そんな久しぶりの大型新人の到来にEmpathの役員陣は狂喜乱舞した。英語を操る千葉はこれからのEmpathの世界展開にとって欠かせない存在となる、そんな期待に満ちていた。そして千葉は入社して二か月も経たないうちにパリに飛び立つことになる。
「CSOの山崎が行きなりパリに行けって言ってきたの。私はアメリカに行きたかった。メジャーを見たかったのよ。特に大谷の活躍には目を見張るものがあるわよね。それがフランス。あいつら野球の「や」の字も知らないのよ?ヨーロッパならせめてオランダにして欲しかった。ヤクルトのバレンティン(注:バレンティンはオランダ出身)が結構好きなの。人生、フルスイングでいかなくっちゃ」
・積極的な初球打ち、最低でも内野安打
千葉の海外初戦はパリ、舞台はヨーロッパ最大級のテック・カンファレンスViva Technologyだ。Orange のChallengeに採択されたEmpathはOrangeのブース内にて展示、日本のスタートアップであるにもかかわらずヨーロッパ最大の通信会社からお墨付きを得た形となる。それほどにEmpathの音声感情解析AIには世界的な注目が集まっている。JETRO主催のピッチコンテストでは優勝も果たした。
「サラ(注:Empathの天才データ・サイエンティスト)がピッチで優勝した時は本当に嬉しかった。フランスでも私たちが戦えるってことの一つの証明よね。私?ブースでいろんな人相手に初球から打っていったわ。展示会で大事なのは積極性なの。慎重になって球を見送っていたんじゃチャンスを逃しちゃうのよ。」
(VivaTechで初球から打っていく千葉。相手投手は既にチラシを手にしており、千葉に圧倒されている)
1958年のデビュー開幕戦で長嶋茂雄は屈辱の4連続三振をきっした。それでも長嶋はひるまなかった。そのDNAは間違いなく千葉に受け継がれている。海外初戦で積極的に初球から振っていくのはとても勇気がいる。しかし、千葉は動じることなく打席(ブース)に立ち続け、打ち続けた(デモをし、チラシを配り続けた)。ゴロ(Empathにあまり興味がなさそうな来客)でも一塁まで全力疾走し、内野安打(名刺獲得)にしていった。
「アウェイでの初球打ちには勇気がいるのよ。打ち損じてゴロになってしまうことも多いわ。でも、そこからが勝負なの。全力で一塁まで走れば私の足なら内野安打(名刺獲得)にはもっていける。ゲッツー?そんなのなったことないわよ。」
実際、千葉の活躍によりViva Tech後にEmpathに対する問い合わせが殺到した。フランスのいくつかの大企業からプロジェクトの話も舞い込んできた。思わず千葉に大谷翔平の姿を重ねてしまう。大谷の打撃の凄さは長打だけではない。俊足をいかした内野安打も大谷の持ち味だ。メジャーでも値千金の内野安打を決めている。千葉の海外デビューは大谷と同様、鮮烈だった。
・渋谷は私の庭
凱旋帰国後の大一番は日経新聞主催のViva Technology報告会。千葉に取っては初のピッチの舞台となった。今でこそ多くのピッチ・コンテストで優勝をおさめているEmpathだが、CSOの山崎(3度優勝)も天才データ・サイエンティストのサラ(2度優勝)もデビュー後1年以上経ってからはじめてピッチを経験している。ところが千葉はデビューしてわずか二か月でピッチの舞台に立ったのだ。
「通常の時間軸で行動していたらスターにはなれない。私は最速で駆け抜けたいの。そういう意味では松井稼頭央がお手本になっているわ。彼はただ俊足なだけじゃない。メジャー・デビューの開幕戦初打席の初球をホームランにしてるのよ。しかも相手はブレーブスのラス・オルティス。前年度21勝をあげた最多勝投手よ。だから私も相手が日経新聞だろうとなんだろうと関係ない。初球からフルスイングしていくだけよ。」
千葉のピッチに会場はわきあがった。これが本当にピッチ・デビュー戦なのか?試合後(ピッチ後)、多くの人が千葉を一目見ようと千葉の周りに駆け寄った(名刺交換をした)。そこにはすでに王者の貫禄があった。
(トロフィーを手にする千葉。デビューからわずが二か月にも関わらず、その堂々とした表情はすでに名球界入りを予兆している)
そんな千葉が普段プレー(仕事)をするEmpathの本拠地は渋谷。現在、多くの選手(テック系スタートアップ)、コーチ陣(アクセラレーター)、スカウト(VC)が集まってきており、日本のスタートアップ・エコシステムの中心地となりはじめている。誰もがホームランを夢見る戦いの街をあえて選んだEmpath、そんな中で千葉は渋谷が「私の庭」であると豪語する。
「この街ではみんながホームランを狙っているわ。私みたいに初球から打っていくプレイヤー(スタートアップ)も多いしね。スカウト(VC)も目が肥えているから、みんな必死なの。そんな戦いの場にいるとぞくぞくしてくるのよ。私も負けてられないってね。私は今の自分に満足なんてしていない。常に今の自分のその先へと向かっているのよ。そんな未来がこの街には溢れている。だからこの街は私の庭(ホーム・グラウンド)なの。」
「それでも庭で生き残るには今のままではダメ。常に進化し続けなければいけないわ。私は今、新たな武器を手に入れようとしている。送りバントよ。」
・私は渋谷であえて送りバントをする
昼休み、千葉はマイバットをもって代々木公園に向かう。バントの練習のためだ。四番サードがバントをするというのは通常では考えられない。なぜなら四番とは得点につながる長打を期待されているからだ。日本ではノー・アウト1塁の場面でバントが行われることが多いが、それでも四番に打席が回った場合は通常打ちに行く。実際、近年では送りバンドの有効性に関して疑問が呈されており、メジャーでは送りバントはほとんど行われなくなっている。統計的にも無死一塁から送りバントをした場合と、しない場合の得点期待値を比較した場合、バントをしない場合の方が得点期待値が高くなることが多くのデータの分析から明らかになっているのが現状だ。それではなぜ、千葉は送りバントに今こだわるのだろうか?
(昼休みを「犠牲」にして「犠牲バント」をする千葉。ところがそれは「犠牲バント」ではなかった)
「確かに統計データから考えても送りバントをした場合の得点期待値は下がるわ。でもそれは「犠牲バント」をした場合よ。一死二塁になった場合ね。私のバントは違う。無死一二塁にするのよ。」
送りバントの効果が疑問視されているのはあくまでそれが一死二塁になる場合だ。ところが千葉ははじめから一死二塁のバンドなど考えていない。俊足をいかした無死一二塁を生み出す出塁率100%バントを完成させつつあるのだ。
「すでに私のOPS(On-base plus Slugging: 出塁率と長打率を足し合わせた値)はソフトバンクの柳田を超えているわ。でも私はその先に行きたいの。つまりは出塁率100%の世界よ。どんなに優れたバッターでも常にホームランが打てるわけではない。だから私はどんなに苦しい場面でも100%の出塁をしたいの。だから私はあえて送りバントをする。それに私が出塁すれば、直後にサラが必ず得点してくれるって分かってるしね。私の打順の後が山崎の場合はもちろん自分で得点しに行くけど。」
多くのスタートアップがホームランを狙う中、千葉は出塁率100%を目指すことでEmpathの世界展開を加速させている。ここぞという時では長打(契約完了)、苦しい時は内野安打(名刺交換)と送りバント(新規顧客開拓)で間違いなく出塁をする、そんな千葉の目標はワールド・シリーズでの優勝(海外テック・ジャイアントによるM&A)だ。
千葉はEmpathにどんな選手の加入を望んでいるのだろうか?
「私と一緒に未来のその先に行ける人。あと、昼休みに一緒にバントを練習してくれる人かな。」
今日も渋谷の片隅で白球が黄色いバットにあたり、着実に未来へと転がっていく。