1.「普通の会社」を目指して無理やり導入したヒエラルキー組織。
水都大阪を象徴する中之島の土佐堀川沿い、大阪市北区西天満に位置する鈴木商店は、代表鈴木史郎の父親が経営していた印刷資材卸販売業を業態転換し、2004年にシステム会社として創業したITベンチャーである。
その古風な会社名とはうらはらに、世界を代表するクラウドサービス-AWS, Google Cloud, Salesforce,Twilio-公式認定パートナーとして、100%自社開発にこだわり派遣や請負は一切活用せず、顧客企業の業務効率化や経営戦略を実現するための製薬系SFA、建設資材メーカーの工程管理システム等、最先端技術を駆使した業務システムを手掛けるSIerだ。
IT事業立ち上げ当初においては、社会から少しはみ出したような少数の尖った技術者たちが集まり、東大阪の町工場の如く、各々がものづくりに没頭する泥臭いシステム会社であったが、業績拡大に比例して開発者の人数も急速に増大し、社員数が30名を越えたあたりで、それまでの自由裁量的な開発体制に亀裂が走り不協和音が生じ始めた。
創業当時より、経営者である鈴木は、社員から「史郎さん」と名前で呼ばれており、鈴木に対して社員が自由にものを言えるような雰囲気ではあったものの、急激に規模が拡大するにつれ鈴木と彼らとの距離が遠くなり、不貞腐れた社員の間で不平不満が溜まっていく一方、鈴木自身も、経営者として細かいところにまで気を配りながら意思決定を行うことに限界を感じ、会社そのものがどんよりと重たい空気に包まれ負の連鎖に絡め取られていた。
そこで、かねてより「未成熟産業であるがゆえにシステム開発には無駄が多い」と感じていた彼は「挑戦するお客様の力に」という企業理念のもと、効率化を重視し、短納期・高品質の開発プロセスを構築するため、組織らしい組織、所謂「達成型組織」を実現する方向へ急進的に舵を切ることを決める。
当時の鈴木のビジョンとしては「餃子の王将の厨房」の如く「各々が決められた役割のみに集中し、システマチックに開発業務を進めていく」という体制で業務プロセスを標準化していけば、顧客に対してより安価で良質なシステムを提供できるのではないかと考えたからだ。
「標準化」に着想を得た鈴木は、精力的に片っ端からあらゆる経営セミナーに参加して経営組織論について学び、創業以来初めて組織図を作り、縦型のピラミッド組織に社員を当てはめ、マネージャー層に管理業務を担当させることで権限を移譲し、既存のマネジメント手法を模倣して一般的な「会社」として体制を刷新しようと試みた。
「〈会社とはこうあるべき〉という考えに囚われ〈普通の会社〉を目指すということしか頭にありませんでした」と、当時のことを振り返って鈴木は語る。
しかし、一般的な会社としてあるべき理想像であったヒエラルキー組織を導入してまもなく、あまりにも組織変革が急激だったために様々な問題が生じ、望んでいた方向とは真逆の方向へ会社が傾き始め、鈴木の懊悩は益々深まっていくばかりになってしまったのである。