社員対談インタビュー【Vol.1】大手医療機器メーカー開発プロジェクトを手掛ける社員が語る「私がパクテラに転職した理由」
パクテラ・テクノロジー・ジャパンでは、保険や製造業、自動車や医療機器メーカーなど様々な業界に向けて、コンサルティングやデジタルソリューションの提供を行っています。
こちらのストーリーでは、弊社の内部についてより知っていただくために、一つのプロジェクトにフォーカスし、「パクテラではどのような人が働いているのか」「どのようなプロジェクトが行われているのか」をお伝えいたします。
今回は全3回シリーズの第1弾として、大手医療機器メーカー向けプロジェクトを最前線で手掛ける3名の社員、田川、名取、藤田に関するプロフィールとこれまでの経歴や、パクテラに入社した理由などについてお届けします。 ぜひご覧ください!
<現在取り組んでいるプロジェクトの概要>
今回ご紹介する3人のメンバーは、大手医療機器メーカー向けの開発プロジェクトに従事しています。
具体的には
・医療機器の製品設計・開発・市場導入に向けた法規制、申請支援
・市場リリース済み製品に対する製品保守サポート
・医療機器の製品化におけるドキュメント策定
・医療機器開発プロジェクトのPMO
がメインとなっています。
現在プロジェクトを進めているクライアントは、パクテラと最も長期的にお取引をしている企業の一つ。そのため要件定義や設計など、上流工程から下流工程までワンストップでプロジェクトを進めています。
オフィスワークよりも変化を楽しむ|常駐先で活躍する田川のバックグラウンド
ーー 最初に田川さんから自己紹介をお願いします
田川:私は大学卒業後、新卒で大手オフィス機器メーカーに入社し、約25年間勤務しました。SE(システムエンジニア)として個別開発や受託開発を行い、途中からはPL(プロジェクトリーダー)も兼任していました。
私が新卒で入社した1990年代当時は、Macの起源となる、当時1セットで2千万円ほどするパロアルトで作ったワークステーションを日本で販売していこうという時期で、そのアプリケーションをどんどん作っていこうという中に新人として入りました。
その後、同僚のメンバーが立ち上げた製造系のコンサルティングを行う会社に誘われてジョインし、大手SIer企業に吸収合併されることになりました。
吸収合併後、同SIer企業を退職し、ECサイトの作成・運用管理を行うベンチャー企業で3年間お世話になりました。経営方針と自身の描くシステム開発に対する取り組み方針にズレを感じ、転職活動をしていたところ、パクテラと出会って今に至ります。2016年ですから、入社して6年ですね。もともとオフィスワークが得意ではないこともあり、入社後はずっとお客様先に常駐して仕事をしています。
ーー パクテラに入社を決めたきっかけを教えていただけますか?
田川:私はもともとオフショアの方たちと仕事をする機会が多く、スキームとして事業が成り立てば面白いなと思っていました。ただ、パクテラは中国では知名度のある会社でしたが、ホームページを見たところ、あまり情報が載っておらず、正直どんな会社なんだろう…という印象でした。
名取:当時のホームページは、難易度高かったですよね(笑)。いまは改善されていますが。
田川:そうなんですよね(笑)。でも、その後パクテラの中でも特にキャラクターの強い社員の方々とお会いして、商品化であったり今後のビジョンについて話を聞くきっかけがありました。その際に、中国のみならず、一緒に日本でのビジネスを拡大していかないかと話が進みました。面接後、一緒にお酒を飲む流れになり、そこで入社を決めました。豊洲のお店で話をしていて、店内には私たち3人しかいない中、いろいろと語り合ったことを覚えています(笑)。
上司である孫との出会い|名取がパクテラを選択した理由
ーー 続いて名取さん、お願いします
名取:私は大学卒業後、当時流行っていたエンジニアの派遣会社に入社しました。4年ほど大手電器メーカーのクライアント先に派遣され、メカや電気、ソフトウェアの評価、試験を担当、今はもうあまり見かけないCDドライブも扱いましたね。デスクトップPC、ノートPCに内蔵するCDドライブの設計評価として、静電気を与えても問題ないかなどの試験も行っていました。
後にその部署がなくなるとのことで、地方にある別の部署への派遣の話が出ましたが、当時ちょうど結婚を考えていたタイミングだったため、その話はお断りしました(笑)。そこで、現在のクライアント先である大手医療機器メーカーに派遣されることとなりました。
当クライアント先では、まず医療用PDA端末の回路設計チームに加わりました。その部署ではRFIDを読み取る基板を取り扱い、3年ほどCADで図面を描いていました。加えて、テスト基板のはんだ付けや設計検証を担当していたので、その3年間ではんだ付けのスキルは向上したと思います。作業の際は、0.25センチほどのパーツを顕微鏡で覗きながら基板を作っており、本当にパーツが小さくて、息でパーツが飛んでいってしまうこともありました(笑)。
それから3年ほど経ったころ、他のこともやってみたいと思うようになったタイミングでその事業部がなくなったんですね。その時にチームリーダーから「君の家から近いからいいんじゃないか」という理由で(笑)、内視鏡業務支援システムの導入部隊に声をかけてもらい、そこでSEとして8年間ほど勤務しました。
主に医師や看護師と要件定義を行い、システムの運用構築、製品のカスタマイズ、導入から立会い、最終的には保守引き継ぎまでを担当し、無事システムが稼働したらまた次の病院様へ、ということを繰り返していました。営業担当と一緒に商談に立ち会うこともあり、とても面白かったですね。
そろそろ別の仕事をしてみたいと思っていた中で、中国に出張した際に、今のパクテラでの上司である孫さんと出会いました。今でもはっきりと覚えているのですが、2012年の6月4日のことです。とても日本語が上手だったので、最初は「我々と同じ日本の方?」と思いましたね。
ーー ほんと、孫さんは日本語上手ですよね。そこからパクテラに入社されたきっかけは何だったのでしょうか?
名取:その後も孫さんと一緒にお仕事する機会があり、前職の経営方針が合わないこともあって、孫さんのところで働きたいとお伝えしたんです。初めて出会った時は、パクテラは大きな会社で自分に縁がないなと思っていましたが、歓迎してくださり、2017年の5月に入社しました。
ドイツで開発・セールスを経験|スキルアップを求めパクテラに入社した藤田
ーー 最後に藤田さん、自己紹介をお願いします
藤田:私は大学卒業後、日系のメーカーに就職し、産業用の映像機器・システムの研究開発を行っていました。取り扱っていたのは、主に監視カメラや医療用カメラ、テレビ放送などで肩に担ぐ放送用カメラなどです。開発チームが一気通貫で、要件定義から設計、検証までを担当していました。
その後、2015年に海外の現地法人があるドイツに駐在し、ヨーロッパの医療機器メーカーに対しての映像モジュールのOEM提案、受託開発、要件定義を2年半ほど行いました。他にも現地法人と日本の研究開発拠点をつなぐブリッジSE業務も行っていましたね。
帰国後はスタートアップ事業で、病院の手術室で使う映像システムの開発を担当しました。その後、開発した映像システムの販売や導入提案、カスタマイズ等、ワンストップで業務に従事していました。そのプロジェクトが一段落した後、転職活動を開始し、2021年2月にパクテラに入社しました。
名取:私が面接したんです(笑)。
藤田:はい、あの時は大変お世話になりました!
ーー パクテラに入社された理由を教えていただけますか?
藤田:前職でキリよく10年が経ち、自身のキャリアアップやスキルアップを考えて転職を決意した中で、可能性を見い出せる企業だと思ったからです。また、前職はいわゆる典型的な日本企業だったので、レガシーな世界から飛び出してみたいという気持ちがあり、グローバルなパクテラに入社しました。
ーー みなさん、ありがとうございました! 次回は、担当プロジェクトの詳細について話を伺っていきます。
第1弾は、大手医療機器メーカー向けプロジェクトを手掛ける、田川、名取、藤田のパクテラ入社までの経緯についてお届けしました! 次回は、3人がそれぞれプロジェクト内でどのような役割を担っているのか、またその実務についての詳細を紹介します。お楽しみに!