- PdM
- バックエンドエンジニア
- 事業戦略 / 事業推進
- 他46件の職種
- 開発
- ビジネス
- その他
みなさま、はじめまして。株式会社ワンキャリアの小川です。
現在はコンサルティングセールス事業部に所属し、新規セールスチームとして、日々ワンキャリアの存在をto Bサイドに広めるとともに、ワンキャリアを介して企業の新卒採用に並走しています。
今回は、なぜ8年間もプロマジシャンをしていた人間がビジネスの世界に入ったのか、
またなぜワンキャリアなのかを振り返ってみたいと思います。
ただ、自分の歩みを振り返るにはちょうどいい機会かつ、周りにプロマジシャンってあまりいないと思うので、
「そもそもなんでマジシャン?」「マジシャンってぶっちゃけ、お金稼げるの?」
みたいなこともお伝えできればと思います。
とはいえこれは、Wantedlyブログ。
「ワンキャリアにはこんな人間もいるんだよ」ってことが少しでも伝わればいいなと思います。
<1章>マジックとの出会い 〜 プロマジシャンになるまで 〜
はじめてマジックを生で見たのは小学校6年生。その時のマジシャンは同級生でした。
「カード弾いていくから好きな時に ” ストップ ” って言ってね」
繰り返すこと4回、出てきたのはA(エース)4枚。
…????
「え、すごくね?!、、、(やばい…やりたい。)」
これが僕のマジックとの出会いです。一瞬でどっぷりハマりました。
「サッカー選手になる!」という可愛い夢を追いかけていたこともあり、
まさか生業にするなんて微塵も考えませんでした。
そこからというもの、マジック用のトランプからおもちゃ売り場のマジック用品から
とにかくありとあらゆるものを買いあさりました。
もちろんお客さんは家族。” 人の驚き ” や ” 笑顔 ” を自分が創出できる感覚が
たまらなく気持ちよかったことを鮮明に覚えています。
そんなこんなで、マジックと学業に打ち込む日々を送っていましたが、高校3年生のある夏、
祇園祭で知り合いが夜店にマジックブースを出すとのことで、実演販売の声がかかりました。
全く知らない人にマジックを披露するのはこれが初めて。震えるまでの緊張を生まれて初めて経験しました。
これを機に、小学生の時に感じた「人の驚きや笑顔を創出する快感」は思い出すことができました。
ここで初めてうっすら、” マジシャンになりたい “ と感じました。
大学に進学してからも特にマジックの熱は冷めることなく、ひたすら練習を繰り返し、
幸運なことに、親戚が経営するバーや知り合いのホームパーティー、マジック連盟など、
披露する場も定期的に確保することができました。
徐々に自分のマジックでお金がもらえることに気がつき、僕はプロマジシャンを目指すことに決めました。
しかし、早々に気がつきます。
「ちょっと待てよ、そもそもプロマジシャンってなに?資格とかあるの?」
と。そうなんです。プロマジシャンに特に資格はありません。
「プロマジシャン」って言ってしまえばプロマジシャンです。
だとしたら、なにをもって「プロ」なのか?
「マジックで食う」
これがわかりやすい指標かもしれません。
とにかく、僕は「マジックで食う」ということを目標におくことに決めました。
ただ、実は一言で「マジシャン」といえど、大きく2種類が存在します。
①ステージマジシャン:大人数を相手にステージでマジックをする人。
②クロースアップマジシャン:少人数に対し、至近距離でマジックをする人。
この2つに求められる技術は全く違うため、
キャリアのはじめに「このどちらを選ぶか?」は、実はとても重要です。
悩んだ結果、僕は②のクロースアップマジシャンになりました。
そうです、人を切ったり、ハトを出したりしないタイプのマジシャンです。
ではなぜクロースアップマジシャンなのか。理由は二つ。
・マジックのタネが “ モノ “ じゃなくて “ 腕 “ だから
・お客さんの感情の変化が目の前でわかるから
クロースアップマジックのほとんどは、お金で道具を買っても真似ができません。
というのも、本当に「タネも仕掛けもない」ものを使っているからです。
つまり、「技術」一本で勝負しているのです。
そのため、たとえば、マジックを披露した時より、種明かしをした時の方が驚かれます。
そんなこんなで、僕はクロースアップマジシャンとしてデビューしました。
<2章>プロマジシャンとして働く難しさ、食べていけるのか?
では、クロースアップマジシャンってどうやって食べていくのでしょうか?
▼クロースアップマジシャンの仕事
・周年パーティーなど、企業が催すイベント
・結婚式、披露宴
・自身のディナーショー
・個人のホームパーティー
・一般の方へのマジック教室
・マジシャンへのレクチャー会
・バーやクラブでの営業
・マジックバーへの出演 などなど。
もちろん、18歳から上記のような仕事が舞い降りてくることはなく、
最初の1年くらいは親戚のバーや知り合いが経営する会社のパーティーなどで
なんとか食いつないでいました。
師匠がいるわけでもないので、仕事は自分で獲りにいかないといけない。
「これじゃただのバイトの延長線から抜け出せない」と危機感を覚えたのが19歳の頃です。
そこでとったアクションが「マジックバー」で働くこと。
目的はひとつ「自分の名前を売ること」でした。
体に染み付けたスキルだけを武器に、
無謀ながら当時京都で最も有名だったマジックバーに突撃。
そのバーには、当時関西の若手マジシャンで3本の指に入るようなマジシャンも所属していました。
なんとか、仕事にありつけたものの、僕が描いていたストーリーとはほど遠い現実でした。
「名前を売る」なんてもってのほか、そもそも披露の機会すらありませんでした。
芸能の世界の厳しさを知るとともに、自分の考えの甘さを痛感しました。
19時 - 29時という営業時間、日当は「ベースの2,000円 + 歩合」。
※ 歩合制度…自分をめがけてきたお客さんの場合は、売上の50%がその日の給料に加算され、「お店」にきたお客さんに披露した場合は売上の10%が加算。
言わずもがな、ほぼバーテンダーと化した僕の日当は2,000円。
生活リズムは完全に昼夜逆転し、大学の授業も虚ろ。働いても働いても、お金になりませんでした。
それでもひたすら練習するものの、いくら練習しても、いくらスキルが高くても、
認知されなければ意味はありません。
お酒の知識とオリジナルカクテルのレパートリーを増やし続けて2ヶ月、
とても簡単なことに気がつきました。
「僕のこと知らないのに、僕目当てのお客さんなんて来るわけないよね」
ここで初めて名刺を作りました。
そうです、自分のお客さんを作るために。
<3章>どうやって、自分の名前を覚えてもらうか? 夜の街に名刺をばらまきまくる日々がスタート
そして夜の街に名刺をばらまく日々が始まりました。
出勤した瞬間「行ってきまーす」と店のフライヤーと自分の名刺を持ってキャッチに。
店目当てにきたお客さんには、マスターに隠れて自分の名刺を撒いていました。
ちなみにバーマジシャンの仕事は「出張マジック」もあります。
簡単に言うと、お店宛に営業依頼がきます。
といっても、取り分はわずか。僕の所属していた店では報酬はなんと9:1でした。
つまり、全くお金にならない。だからそこでも名刺をばら撒きました。
それから少しづつ個人宛に営業の依頼をいただけるようになりました。
もちろん結婚式やディナショーができるほどではありません。
商店街の祭りのステージや老人会の宴会、ホームパーティーなどがほとんどでした。
マジックバーの定期出演を続けながら、個人で獲ってきた営業にいく。
これを2年ほど続けました。
そして大学3年生の頃、ようやく、東京にいる芸能プロダクションを経営する親戚から声がかかりました。
最初はその人が経営するお高めのバーや、取引先を集めた会食などが披露の場でしたが、
関西でしていた通り、そこでも名刺をたくさん配りました。
驚きはその「物価の高さ」と「経営者の影響力の凄さ」。
報酬は関西のおよそ3〜5倍、携帯へは全く知らない方からの電話がかなり増えました。
そこから徐々に認知が広がり、大きめの仕事も貰えるようになりました。
幸せなことに自分一人では回しきれないほどの量の依頼をいただくようになり、
少しずつ仕事を選べたり、周りに振るなんてこともできるようになりました。
ちなみにですが、マジシャンの仕事は土日に入ることが多いので、
毎日毎日働けていたわけではありません。
マジシャンは月3件、コンスタントに営業があれば売れっ子と言われています。
徐々に仕事が増えてきたこのタイミングでマジックバーは卒業。
ちょうど大学も卒業のタイミング。同期がみんな就職していく中、
22歳にして初めてプロマジシャンとして独立できた感じです。
大学卒業後は関東に行く頻度も増やし、
やっと以下のような仕事で生計を立てることができるようになりました。
・周年パーティーなど、企業が催すイベント
・結婚式、披露宴
・自身のディナーショー
・一般の方へのマジック教室
・マジシャンへのレクチャー会
・バーやクラブでの営業
こんな仕事を3年くらい続けていた頃、あることに気づきました。
マジシャンの寿命は短い。それも、とてつもなく、です。
<4章>" 20歳のマジシャンと50歳のマジシャンどっちを呼ぶ?"マジシャンの寿命は短い、という事実。
“ 20歳のマジシャンと50歳のマジシャンどっちを呼ぶ?”
答えは自明です。
年齢とともに手指の動きは悪くなり、お客さんのニーズも減ってくる。
見えた未来は「自分のお店を出すこと」や「ブローカー」。
「ここに自分の追いたい未来はない」
そう感じたら行動は早かったです。
もちろん、これまで必死で築いてきたものを捨てるのは簡単ではありませんでした。
そんなときに、マジックバー時代に出会った、関西で3本の指には入るというマジシャンに相談。
なんと彼は「家業を継ぐ」と言い、すでに資格もとって、マジックにケジメをつけていました。
一つのことにフルコミットして得た経験、成果は誰にも誇れるラッキーでレアなキャリアでした。
一度は「マジックをやめる」と決めた僕でしたが、
とはいえ、やりたいことなど全くありませんでした。
今までずっと一人で動いてたこともあり、志やプロセス、達成感みたいなものを「誰かと分かち合ってみたい」という思いはぼんやりありました。
一方で「やりたいこと」は思いつかないけど、「やりたくないこと」は思いつけることにも気がつきました。僕にとって「やりたくないこと」とは
自分の名前で選ばれず、それが故に能力は一生身につかないもの
でした。且つ「やりたくないこと」をあえて選べるこんな機会はないと思い、その二つを掛け合わして、
「会社」×「営業」で職探しをすることに。
大学時代は「就活」なんてまるで視界に入ってなかった自分が
「サラリーマン」なんて、まるで想像もつきませんでした。
ない知識で色々な会社を調べて、クチコミサイトをクロールしてたどり着いた、
もっとも厳しそうな不動産の営業に決めました。
でも入社してすぐに気付いた。
ここは、思ってた ” チーム “ じゃない、と。
売上のために社員を兵隊のように使い、売れなかったら怒鳴る。
僕が求めていた厳しさはそこにはありませんでした。
<5章>再び、路頭に迷う。
その会社を5ヶ月で辞めた僕は再び路頭に迷った。
そんなときに出会ったのが、現ワンキャリア執行役員の長谷川。
そこで、僕はワンキャリアと出会った。
(やっと出会いましたね。笑)
僕にワンキャリアとの出会いをくれたのは、上にも書いた長谷川。
彼は僕の高校の同級生でサッカー部の同志。
彼は新卒でGoogleに入社し半年で辞めたツワモノ。
そんな人間がジョインしたのがワンキャリアでした。
当時の僕は、彼が「Googleを辞めて、人材系のベンチャーに入った」ことだけ知っていたので、
単純に今後の相談をしていました。
彼はワンキャリアにいるいろんな社員に会わせてくれました。
入社までに5回ほどオフィスに通いましたが、実はそれが選考だと知ったのは入社してからでした。
ワンキャリアのイメージは「上位校出身のいわゆる”バキバキ”の人が集まった会社」で、
新卒マーケットに事業の主軸を置く会社にもかかわらず、自分は就活をしていません。
ビジネスの”ビ”の字も知らない僕には、あまりにもハードルは高かったです。
ですが、役員陣含め、中の社員と話していく中であることに気がつきました。
プロフェッショナルしかいない。
そこで、「こんな人たちと働いてみたい」と素直に感じました。
コーポレートビジョンや事業より、中にいる人のスタンスに惹かれました。
そして幸運なことに、
僕はワンキャリアの一員となりました。
まさかワンキャリアで働くなんて、まるで想像もつきませんでした。あとから聞いたところ、僕を採った理由を役員は
「何か一つに熱中し、極める力は絶対ビジネスでも役に立つから」
と話していました。
入社後、さらに驚いたのは、入ってからも大きな壁にぶつかることになったことでした。
就活をしていない僕からすると、マーケットの動きなんてもってのほか、
就活生がどんなスケジュールで何をしてるのかもわかりませんでした。
はじめは、キャッチアップも兼ねて、各部署の社内ミーティングにも参加し、
企業訪問にも同行し、学生面談にも同席をしました。
がしかし、就活の”し”の字も、ビジネスの”ビ”の字も知らない僕は、
その全てにおいて1割の理解もできませんでした。
プチ自慢になりますが、サッカーでは関西選抜、ビリヤードにハマっては関西大会で優勝も経験し、
好きなマジックではそれを仕事にできるなど、過去に挫折という挫折をしたことがありませんでした。
でもこの会社で初めて、伸びていた鼻をいとも簡単に折られました。
正直、こんなにも手応えのない日々は初めてでした。
でも不思議なことに、僕は自分のことで唯一「自分は足し算しかできない」ことだけはわかっていました。
掛け算が上手な人、つまりレバレッジを効かせられる人とは違い、
僕は、その人と同じアウトプットを足し算で出すタイプの人間ということです。
これもある意味才能だと言い聞かせ、とにかくコミットモンスターになろうと決めました。
この時、「危機感」は自分のキャパシティを最大限大きくしてくれることを学びました。
嬉しかったことに、周りのメンバーは誰一人嫌な顔をせず僕に時間を割いてくれました。
僕のアウトプットはチーム、ひいてはワンキャリアのアウトプットとイコールです。
アウトプットに責任を持つこと、また”人”にしっかり投資をする会社なんだなと素直に嬉しく思いました。
「人生でもっとも重要な意思決定をするタイミングに事業を置くこと」、
また、「スタートアップ企業から最大手企業まで、それぞれの今後を担う人材の採用に携わること」
をたったこれだけの人数でできている理由が垣間見えました。
「アウトプットに責任を持つ」こと = プロフェッショナル
マジシャンの時と今とで違うところは、「チームか個人か」それだけでした。
ここは昔も今も変わらず持ち続けていることで、これからもメンバー全員持ち続けていきたいことですね。
というより、この環境にいれば勝手にそうなります。笑
わかりやすくこれは「ワンキャリアの強み」と言えます。
…と、少しエモーショナルなことを言っていますが、軍隊のようなイメージは決して持たないでください。笑
手をあげればチャンスはもらえるし、成長意欲にはとことん付き合ってくれる会社だと思います。
<6章>ワンキャリアのセールスとして働くこと
最後に普段僕がしている業務についても少しだけ。
「セールス = 営業」ですが、個人的に「営業」という言葉はあまり好きではありません。
1社目の影響か、どうしても「数字のために売りつける」イメージが強いからです。
もちろんワンキャリアのセールスも売上は意識しなければなりません。
でも僕らがしているのは「ただの営業」ではありません。
サービスは「Just 手段」、必要ないと感じたら提案しない。
これがワンキャリアのセールスです。
我々のゴールは「受注」ではなく、企業がその年の新卒採用を無事に終えること。
企業の採用に並走するきっかけを作ることがワンキャリアのセールスです。
これまで「The 営業」を経験された方は違和感があるかもしれませんね。笑
でもこれがワンキャリアのセールスの特徴でもあり、魅力です。
セールスチーム、納品チーム、コンテンツチームなど、部署はあくまで「役割」でしかありません。
それぞれ同じゴールへ向かって違うKPIを追いかけています。
ちょうど、ワンキャリアのビジョンが体に染み付き、通常業務が卒なくできる様になった頃、
社内表彰にて「営業賞」たるものを受賞しました。
もちろん狙っていたわけではないですが、日々、目の前にコミットしていたことに対する成果として、この受賞は嬉しかったです。
「アウトプットに責任を持つために日々コツコツ注ぎ込む」ことはマジシャン時代から染み付いた自分のやり方です。
受賞したことで承認欲求が満たされたというわけではなく、想像もできなかった大きな挫折も、自分のやり方で乗り越えられたこと、そのやり方でバリューを出せることに気づけたことが最も嬉しかったかもしれません。
とはいえ、上記ご覧いただいた方は思ってるはず。「こいつめっちゃラッキーな人生歩んでるな」と。
実際その通りで、運はかなり良い方だと思っています。
でも100%運かというとそうでもなく、運が流れて来やすい環境は自身で作れると思います。
努力は必ずしも成果には繋がりませんが、運を呼ぶ環境は近づけられるのかなと感じました。
<最後に>そんな僕は、こんなひとと働きたい。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
社会人経験もなければ、ビジネススキルも業界知識もまるでなかった僕は、
限りなくゼロに近い戦力でワンキャリアにバンザイ攻撃を挑んだ結果、今があります。
これまでに何かに打ち込んだ経験がある人、次に打ち込む何かを探している人、
プロフェッショナルな仲間と働きたい人、生身の自分を育てたい人、
きっと恐ろしいスピードで毎日を過ごせます。
業界知識や経験なんて必要ありません。
本当にいろんなバックグラウンドの人間がいます。
これまでの自分と今の自分、これからの自分だけを持って会いに来てみてください。
お会いできることを楽しみにしています。