こんにちは!カクトク広報の山崎です。
大分県で生まれたカクトクも5期目を迎え、ここで改めて代表満田の創業ストーリーについて聞いてみました。前編、後編に分けてお届けします!
カクトク株式会社
Founder / CEO 満田 聖也(24)
衣服生産プラットフォーム「シタテル 」の立ち上げに営業統括として、参画。 東京、福岡での営業組織を編成し、各地域のアパレルセレクトショップの獲得に成功。 この時の営業組織を構築する際のコストと採用難易度の課題から、多くの企業が同じような課題を抱えているという仮説を持ち、「kakutoku」の事業構想を開始。
何歳のときにカクトクを設立しましたか。
20歳のときです。
カクトクの構想はどのようなところから得たのですか。
高校生のときに、スタートアップウィーケンドという3日間で起業体験ができるイベントへ参加しました。そのとき審査員の中に、衣服生産プラットフォーム「シタテル 」の社長河野さんがいらっしゃいました。そのイベントでは特に深く関わることはなかったのですが、数年後、河野さんと東京で再会する機会がありました。そのときにシタテルでインターンをしてみないかと誘われて、営業をしていました。
シタテルで働いているときに、自分のオリジナル服を作りたいという夢を持っているオーナーさんと工場の間に入り、オーナーさんが諦めかけていた夢を叶えることを経験したんです。その時に「営業でお客様の夢を叶えることができる」と、営業職の価値に気づきました。
同時に、世の中の営業職の人たちは、自分が本当に良いと思える商材を売っている人は少ないことにも気付きました。自分の好きな営業ができないと悩む人たちにシタテルを手伝ってくれないか、と声を掛けると、多くが「小規模の会社に入社するのは不安」や「転職は勇気がいる」と答えました。ただ副業であれば手伝いやすいという声もあり、そのような新しい働き方ができる仕組みを自分が作れば、世の中の働き方が変わり、企業の営業戦略や営業コストが最適化されるのではと現在の事業構想に行き着きました。
そもそもは満田さんが営業の本当の価値に気付いたことがきっかけだったんですね。すぐに起業を決意したんですか。
事業構想ができてからは、すぐに起業を決めました。通っていた大学(APU)が大分県にあったことから、大分県での設立となりました。当初は数人で立ち上げをし、副業メインのサービスを提供していました。別府市内の温泉地だったので、仕事をした後はよく温泉に入っていましたね(笑)。
仕事の後に温泉・・・最高ですね。
はい、とても良い環境だったので、いつか大分県へ戻れたらとも思います。仕事の後、飲みにいく代わりに温泉に入るって最高じゃないですか。
創業してからは順調に進みましたか。
当時は働き方改革の「は」の字もなかったので、事業自体を理解してくれる人が少なく苦労しました。特に企業に営業に行くと、君のような若造に営業がわかるわけがない!と言われ、追い返される経験もたくさんしました。
営業を外部人材に依頼できるなんて、全く選択肢になかったからだと思います。もちろん営業する側も、「営業は企業に属し正社員で」というのが当たり前でしたからね。
まずはビジネスの中心である東京で基盤を作りたいと思い、創業した翌年には東京にオフィスを構えました。
東京にオフィスを構えてから本格稼働といった感じでしょうか。
そうですね。2017年から副業を中心にビジネスを走らせましたが、成果報酬だと結果が出にくいことが実証されました。2018年にはフリーランスと固定報酬を軸に変えると、徐々に軌道に乗っていきました。
世の中の働き方改革も追い風になりましたね。もともとライターやデザイナー、エンジニアなどの職種はフリーランス化が進んでいましたが、営業や広報などのビジネス系職種も徐々に増えはじめ、登録者数の増加とともにカクトクの存在が広まっていると感じます。
(後編に続く)