プロフィール
佐賀県出身。中学では生徒会長として学校をまとめ、高校では公式テニス部に所属し部活に没頭。
その後、大阪大学外国語学部ドイツ語専攻に進学。学生時代は認定NPO法人AIESECの大阪大学委員会にて、経営幹部として50人規模のメンバーをまとめる。インターン1社目は株式会社和平にて、ボランティア・プロボノなどの市民活動を可視化するSaaSプロダクトの開発に従事。26卒として株式会社LivCoに内定をもらい、在学期間中は内定者インターン生としてコミット中。
誕生~AIESEC時代
人口1700人の町に生まれ、山と後期高齢者に囲まれて育った僕にとって、「社会」を知る手段は祖父が毎日見ていたNHKニュースでした。
画面越しに繰り広げられる自分の目では見たことのない世界の光景に引き込まれる中で、「どうやら社会というものは矛盾に満ちているらしい」「自分はとても恵まれた家庭に育ったらしい」ということが幼いながら分かるようになりました。
そんな中高校の国語の教科書で、幼児がハゲワシに今にも食べられようとしている「ハゲワシと少女」の写真を見て衝撃を受け、この現状を変えられるような仕事に就きたいと思うようになりました。
そして大学では、何かしら社会に影響を与えられる活動がしたいと、海外インターンシップ・ボランティアを運営しているNPO法人AIESECに入会しました。
大学の授業やバイトもある中で、学生だけであらゆるリスクを抱える事業運営を行うのはとてもハードでした(当時は週40時間は軽く超えていたと思います笑)
当時僕は財務統括兼組織開発・人事統括というポジションで、マネジメントと委員会資産の運営に責任を持ち活動を行っていましたが、事業成果を最大化させるためにヒト・カネリソースをどう活用するのがベストなのかと、ビジネス本を読み漁ったり、OBに頭を下げ教えを乞うたり頭を悩ませ続ける日々でした。
しかし何より同じ志を持つ仲間と一つの目標に対して汗水垂らして努力するのが信じられないくらい楽しく、刺激的な毎日でした。
今振り返ってみると、今僕がスタートアップにいるのも、AIESECでの経験があってこそだと思います。
時には泊まり込みで計画を練ったりもしました。あの頃に戻りたい笑
恒例の関空お見送りです。海外に飛び立つメンバーをみんなで送り出していました。
初海外で単身スリランカへ
大学2年生の時に、自身もスリランカに6週間渡航し、現地をホームステイして回りながら各地で日本語教師として活動しました。
僕が日本語を教えた生徒の大半は将来日本に来ることを夢見ていて、そんな彼らに対して毎日日本語を教える6週間はとても充実していました。
詳しいところはこのnoteにまとめているので省略しますが、いわゆる「途上国」に実際に行き、彼らと同じ釜の飯を食べ、彼らと同じ生活リズムで暮らした6週間は何者にも代えがたいリアルな経験でした。
お金がないから昼ご飯を抜かざるを得ない人や、睡眠時間を極限まで削って家族のために仕事をしている人達と触れ合う中で、おこがましいことは自覚しつつ、自分にとっての「当たり前基準」を今満たせていない人たちに届けることに人生かけて取り組みたいと思うようになりました。
なぜ経産省ではなくLivCoを選んだのか
3年生の6月頃から就活を始めましたが、選ぶ際の軸は大きく二つでした。
①自分にとっての「当たり前基準」を今満たせていない人たちに届けることにコミットできるか
②自分を追い込み、AIESEC時代とは比べ物にもならない角度で成長できる環境があるか
経産省からベンチャーまで、悩みに悩みました。写真のように選択肢それぞれのメリット・デメリットを整理したりもしましたが、だからと言って進むべき道が分かることもなく悶々としていました。
実は途中までは経産省に行こうかなと思っていて、国家公務員試験の勉強も進めていました。省庁の中では比較的風通しがよく、何より数ある国家機関の中で唯一「変革」をミッションに掲げているところに惹かれていました。
そんな中僕が経産省ではなくLivCoを選んだのは大きく二つの理由があります。
一つは、代表の佐々からもらった「目の前の人を変えられない人に社会なんて変えられるはずもない」という言葉です。言われたときはぐうの音も出なかったですし、今でもその通りだなと思います。当時はぼんやりと国連やJICAなどの大きな組織を動かして社会を変えてやる!と思っていましたが、じゃあお前は目の前の一人を変えることができるのかと問われたときに、ああ今の自分では無理だなと思いました。同時に、目の前の一人一人を変えていくことの連鎖が社会を変えていくのであって、いきなり立場だけ大きくなったからといって簡単に社会が変わるわけではないことも自分の中で腹落ちしました。
そしてもう一つは、最終面接でオフィスに行ったときに感じた「ここから始まる感」です。実は最終面接の数日前まで経産省でインターンしていたのですが、いい意味で経産省の環境との違いを感じました。何十階建てのビルもないし、廊下で大企業の重役は歩いていないし、報道専用フロアもない。でも、逆に言うと今自分の目の前に広がるこの光景が全てで、ここから会社を作り上げていくんだなと感じて、自分も今ある環境を受容するのではなく、自分の手で作り上げていく側にいたいと思いました。
この二つと、最後はなんか一番ワクワクするという単純な理由でLivCoに賭けてみることを決めました。
LivCoでの仕事の内容・やりがいを教えてください
現在はリクルーティングアドバイザー(RA)として、主に九州エリアを担当しています。
既に取引のあるお客様とのコミュニケーションや契約書の締結、追加受注の対応に加え、新規開拓のためのテレアポから商談、受注まで行っています。日々色んな業務をする必要があるので大変ではありますが、だからこそビジネスの全体像を俯瞰しながら日々学ぶことができているという実感があります。
やりがいとしては、持続的なやりがいと瞬間的なやりがいの二つがあります。
持続的なやりがいは、やはり何と言っても自分が獲得する一つの求人で日本で働くことを夢見る一人の若者の人生を文字通り「変える」ことができる点です。僕が獲得した一つの求人で、一人の若者がこれまでの20倍のお給料で働くことができ、そしてそのお金を母国で待つ家族に仕送りすることで、家族の暮らしを楽にすることができます。さらに、外国人を受け入れた事業者も人手不足という慢性的な悩みを解決することができるのです。
決して楽な業務ではありませんが、この1つ1つの求人に一人の若者の人生がかかっていると考えると俄然やる気が湧き出てきます。僕も就活の時に色んな企業や組織を見て回りましたが、こんなにダイレクトに人に影響を与えられる仕事はそうそうないのではと思います。寄付でも補助金でもなく、完全なビジネスの世界で、ビジネスの論理に則って社会に価値を与えられていることがすごく魅力的です。
瞬間的なやりがいは、目の前のお客様を変える瞬間です。
電話でもzoom商談でも対面商談でも一緒ですが、基本的には対峙するお客様は何らかの悩みを抱えています。その悩みを会話を通じて明らかにしながら、いかに自分達のサービスがお客様の課題解決に役立つかをお伝えし、納得してもらえた瞬間にとてもやりがいを感じます。まだまだ外国人材の受け入れに理解をいただけない企業も多い日本において一筋縄ではいかないことの方が多いですが、ヒアリングを通じて本当にお客様が困っている真因をあぶりだし、常に頭をフル回転させて一番相手に刺さる次の一言を探っていくヒリヒリ感は営業の醍醐味でもあると思います。
LivCoで成し遂げたいこと
「外国人も暮らしやすい社会を創る」というビジョン達成に向けて、まずはインターンだからと言って甘えることなく愚直に成果を出し続けたいです。そして与えられた仕事だけでなく自分から仕事を作りに行ってLivCoをもっと大きく、もっと社会にインパクトを与える会社にしていきたいです。
それと、いつか自分の原点であるスリランカに日本語学校を作りたいと思っています。今はインドネシアにしか日本語学校がありませんが、近い将来スリランカにも作って、多くのスリランカの若者を日本に送り出したいです。
未来のメンバーへ一言
僕の場合だと、入社して2週目からテレアポを始めて4週目には一人で商談をこなすようになり、同時に20以上の既存クライアントを担当することになりました。これを聞いて「面白そう!」とか「成長できそう!」とかワクワクされる方は間違いなくLivCoに向いています。覚えるべき知識は多いしやらないといけない業務の幅も広いですが、その分できることもとても大きくて広いです。
そして、セールストークではなく、外国人業界はこれから確実に伸びていくと思っています。
「円安だからもう誰も日本を選ばない。」とか「これからはITの時代だから人材不足もITが解決する」とか思っている方は一度この記事を読んでもらえたらと思います。これを読んだら今の日本で外国人採用がどれくらいホットな領域なのかが分かると思います。そして、LivCoもこれからどんどん大きくなっていく予定です。
ホットな領域の最先端を走りたい方、裁量権をもってぐいぐい成長していきたい方、そして何より自分の手で社会にデカいインパクトを残したい方はぜひLivCoにジョインしてください!心からお待ちしています!!
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