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【社員インタビュー 】休憩時間に入信し、イスラム教徒に!?ヒジャブを被った日本人スタッフ!〜“教育から就職まで”コミットした人づくり〜
プロフィール
兵庫県姫路市出身。同志社大学、神戸大学大学院卒業。在学中のボランティア活動がきっかけでインドネシアにハマり、将来はインドネシアと日本の架け橋を目指すことを決意。卒業後インドネシアに駐在し、JICAプロジェクトに計5年間従事し、コーディネーターとして人事・CS・営業・通訳など、主にインドネシア語を用いながら幅広い業務に携わる。日本帰国後は、株式会社すららネットにて海外向け算数教材の開発を担当。2023年9月よりASEAN HOUSEにて、キャリアアドバイザーとしてインドネシア人への仕事紹介を担当。現在はインドネシア人と結婚し、日本とインドネシアを往復しながら、目標に向かって奮闘中。
ーーASEAN HOUSEにjoinした理由は?
「インドネシアと日本の架け橋になる」「インドネシア人がより豊かな生活ができるように、将来の選択肢を広げる」という目標を叶えることができると思ったからです。
これまで「将来の選択肢を広げる」ために、“入口”として「教育」を中心に関わってきましたが、それだけでは不十分だと感じ、“出口”として「就職」にも関わりたいと考えていた時に、ASEAN HOUSEに出会い、入社を決めました。
ーーそこまでに至る経緯を、、
①インドネシアとの出会い
まずは、インドネシアにハマった理由を(笑)
高校生の頃世界史の授業が大好きで、アンコールワットやボロブドゥール寺院の写真を見て、漠然といつか行きたいと思ってました。
転機は大学2回生の夏。
友人からボロブドゥール寺院に行こうと誘われ、色々調べていた時に初めてバリ島がインドネシアということを知りました。(←それまではバリという国だと思ってました...笑)
結局その旅行は流れてしまったのですが、同時期にバリ島の孤児院でのボランティアプログラムを姉が見つけ、縁を感じて応募。
それまでは韓国やシンガポールなど、比較的日本と似た文化がある国に行ってましたが、インドネシアでは新しい発見ばかり。
お風呂はお湯を使わず水浴び、バイクは4人乗りなど(笑)、カルチャーショックもありましたが、すべてが新鮮。そして人々はフレンドリーで、すぐにインドネシアの魅力にハマりました。
孤児院のボランティアでは、子供たちに英語や日本語を教えたり、栄養のある昼食を一緒に作ったりしました。
↑孤児院の子供達と(10年以上経った今でも連絡とっている子がいます)
孤児院の子ども達は正規の学校に通っていないため、将来の仕事の選択肢は限られていました。それでも、子供達は目を輝かせながら新しいことを学んでおり、「教育こそが、将来の選択肢を広げるための鍵になる」「良い教育を受けることができれば、自分で明るい未来を切り開いていける」と思い、その後は大学院に進学し、教育開発を学びました。
ちなみに初めてインドネシア渡航時は全くインドネシア語は出来ず、帰国後すぐにFacebookや、別大学のインドネシア語学科の授業に通いながら、インドネシア語の勉強をスタートしました。
②インドネシア留学へ
大学院で1年半学習した後は休学し、ジョグジャカルタ州のUniversitas Negeri Yogyakartaに1年間留学。大学院の修士論文の研究も兼ねていたため、教育大学を選択しました。
前期は留学生とインドネシア語の授業を、後期はインドネシア人学生に混じってノンフォーマル教育やピアノの授業を受けました。留学中、少しでも早く語学が上達するように、休日はインドネシア人の輪に入れてもらい、遊びながら必死にインドネシア語を習得し、大切な友達がたくさん出来ました。
↑研究のために通っていたコミュニティ学習センターの様子
後半には大学院の研究テーマである「インドネシアの同等教育(Equivalency program)」として、PKBM(民間のコミュニティ学習センター ※公民館)やSKB(政府のコミュニティ学習センター)に通い、研究をしていました。
研究用の調査データが集まったため、日本に帰国。
(帰国の際に、ボーッとしていて途中のタイの空港で飛行機に乗り遅れ、その戒めとしてタイの空港で修士論文の執筆を始めました...笑)
③インドネシアでの就職&教育の世界へ
帰国後は修士論文に集中し、修論が完了する頃に就活開始。
卒業前ギリギリの就活だったのですが、インドネシアの小学校にeラーニング教材を導入する、というJICAプロジェクトの求人を発見。これだ!!と思いすぐ応募。
詳細は割愛しますが、多大なご迷惑をお掛けしながらもインドネシアのバンドンに渡航し、約3年間滞在しました。
インドネシア駐在コーディネーターとして、小学生向け算数教材開発や、eラーニング導入研修、授業サポートなど、様々な経験を得ることができました。
新卒で右も左も分からない中での業務だったのですが、良い経験、つらい経験を通して、人間としても成長できた3年間でした。また、私たちの教材を使った授業でどんどん成長する子供達を見て、やっぱり教育は大切だなと改めて実感できました。
④医療、、からのやっぱり教育へ
教育プロジェクト終了後は、縁があって医療分野へ。
妊婦向け電子カルテをインドネシアの病院に導入する、というJICAプロジェクトに参画し、年の2/3ほどをバンドンで過ごしました。
医師や助産師とコミュニケーションを取るには医療知識がないと相手にされないこともあるので、必死に勉強。妊婦死亡率の高いインドネシアの医療に貢献できるプロジェクトにとてもやりがいを感じていましたが、医療分野で自分にできることには限界を感じていました。
また、JICAプロジェクトは知名度もあって政府機関や民間機関からも信頼してもらいやすく、JICAプロジェクトでしか出来なかったこともありました。
一方で、「支援してもらえて当たり前」「何かインセンティブをもらって当たり前」という考えもチラホラ見え、「本当に必要でなくても、“とりあえず無料だから”利用してみる」といった人々もいました。
本当の社会課題の解決に必要なのは“持続性”で、そのためには本当に必要な人に、適切なサービスを届けることが重要だと考えています。ビジネスではお金のやり取りが発⽣するため、“とりあえず適当に”利⽤することはなく、売り手も買い手も本気で“対話”をしなければならない分厳しさがありますが、上⼿く“対話”できた場合はよりスピーディーで持続的な問題解決につながるのではないかと思い、今度はJICAプロジェクトではなく、ビジネスでの社会問題解決に挑戦したいと考えました。
コロナもあり日本に完全帰国し、やはり教育に関わりたいと考え、JICAプロジェクトでお世話になったすららネットに正社員として入社。海外向け教材開発担当として勤務しました。
(正社員としては退職していますが、現在業務委託として引き続きすららネット社でインドネシア向け算数教材開発に関わっています。)
⑤“出口”にも目を向け始め、ASEAN HOUSEへJoin
これまで仕事以外でも、「教育を通じて将来の選択肢を広げる」ということには取り組んできました。
2018年にインドネシア人の友人達と、学習施設を運営するボランティア団体を立ち上げました。地域の幼稚園生〜中学生が通い、楽しく学べるように工夫しながら、週1回活動しています。
可愛い子供たちと素敵なボランティアの子達と一緒に活動するのは楽しく、いいリフレッシュになっています!
↑1周年のイベントの様子とボランティア施設
子供たちが楽しく学習する様子を見ることに喜びややりがいを感じつつ、その地域の人々は中々安定した職を手にすることができず、経済的に苦しんでいる人がおり、「より豊かな生活をするには、質の高い教育を受けるだけでは不十分。適切な“出口=就職”を得ることも必要」と考えるようになりました。
そんな中ASEAN HOUSEの求人を見つけ、「外国人が暮らしやすい社会を創る」というビジョン、さらにバンドンに日本語学校開校ということに惹かれて、応募。
バンドン出身のインドネシア人との結婚を機に私生活が変わるタイミングでもあり、現在はすららネット株式会社では業務委託として勤務を続けながら、ASEAN HOUSEで働いています。
“ゆりかごから墓場まで”とはいきませんが(笑)、“教育から就職まで”関わり、より良い人づくりをして将来の選択肢を広げるためコミットしていきたいと思っています!
インドネシア人との結婚の際にはイスラム教にも入信し、今は「ムスリム」として過ごしています。
↑入信時の写真
入信した日は特別な日としてゆっくり過ごした、、というわけでもなく、ASEAN HOUSEの仕事の休憩時間で入信しました(笑)
朝からジャカルタからバンドンに車で移動して、スーツケースを抱えてバイクタクシーに乗り、モスクに移動して入信、というバタバタな1日でした(笑)が、夫や仲の良い友人も集まってくれ、とても特別な時間になりました。
まだまだ慣れない部分もありますが、宗教の点からもインドネシアの文化や考え方をより理解していけるようになりたいです!
ちなみに私は双子です。双子の片割れはアフリカに興味を持ち、青年海外協力隊でルワンダに行ったり、ブルンジで5年ほど働いていたので、海外に関わりながら頑張るもの同士、いい刺激になってます(好き勝手させてもらっている家族にも感謝、、笑)
ーーASEAN HOUSEでの仕事の内容・やりがいは?
現在インドネシア担当キャリアアドバイザーとして、
・SNSを用いたインドネシア人求職者の集客
・インドネシア人求職者への仕事紹介
・求職者と面接練習、企業面接同行
など、インドネシア人求職者が内定いただくまでのサポートを行っています。
私は今兵庫県とインドネシア バンドンの2拠点生活なので、フルリモートで業務をさせていただいてます。
日々多くの求職者と出会えることは楽しく、いつも刺激をもらっています。
あくまでも主体者は求職者で、求職者が目標を達成するために、私がどう寄り添っていくべきか、難しさと同時にやりがいを感じています。
↑支援者の入社同行、定期面談の写真
ーーASEAN HOUSEで成し遂げたいことは?
成し遂げたいことは2つあります!
1つ目は、日本での就労経験を通じて、1人でも多くの人の「将来の選択肢を広げる」「夢を叶える」ことができるようにしたいです。
2つ目は、東南アジアの人々に日本のことを好きになってもらい、日本のいいところを吸収して、自分たちの国づくりに活かす。日本も東南アジアの人々のいいところを活かし、日本の国づくりに活かす。互いに高め合うことができる関係を作っていきたいです。
ーー未来のメンバーへ一言
ASEAN HOUSEは「日本企業の人手不足」「母国での経済的困窮」「日本での生活に困っている外国人」といった社会課題を解決するために、様々な想いや目標を持ったメンバーが働いています!
もちろん売上を上げることも必要ですが、顧客(求職者&支援者&企業)に寄り添いながら、ソーシャルインパクトを与えるために活動しています。
実は私はほとんどのメンバーに直接会ったことがないのですが、すでに何回も会ったことがあるような気がするくらいアットホームな会社ですが、改善すべきところは指摘し合うことができ、ビジネスマンとしても、人間としても成長できる環境です。
国際協力には興味あるけど、国連機関や、JICA、NGO団体とは異なるアプローチで関わりたい方、ソーシャルビジネスに関心がある方、東南アジアが好きな方、そして、「外国人も暮らしやすい社会を創る」という理念に共感してくださる方のご応募、お待ちしています!