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「人間関係の正解」はどこにある? 愛と正義、信じるetc.をもとに考えた

最近、Xでも人間観察をするようになったという、コウダプロ社長の幸田さん。

SNSは、まさに魑魅魍魎が跋扈する世界(これは決して言い過ぎではないでしょう)。現実世界ではなかなか出会えないような人物が溢れており、ウォッチしながら人の心理を想像する場としても興味深いものです。

少し前、Xで話題になっていた記事URL付きのポストがありました。その記事は一番上の子どもが二十歳を迎えた夫婦について、夫の視点から書かれたものでした。

夫が妻に対して「子どもたちを育て上げた感じがする」と話したところ、妻が微妙な表情を見せたため、何を考えているのか尋ねたそうです。すると、妻は「一緒に育てたという感覚はない」と答え、夫は大きなショックを受けたといいます。

夫が理由を尋ねると、妻は過去の出来事を例に挙げました。

妊娠中に体調が優れない中でも夫は飲み会に行っていたこと、子どもが夜泣きしているときも夫は寝ていたこと、3人の子どもたちがそれぞれ泣いていたときも、夫はテレビを見て何もしなかったこと——これらの事例が次々と語られたのです。

夫は「たった3〜4件の出来事をこんなに長い間気にしていたのか」「産後の恨みは一生続くのか」「自分なりに精一杯やってきたのに」といった内容も綴っていました。

一方、妻の視点では、これらのエピソードはほんの一部に過ぎず、「子育てに参加していたとしても“手伝う”程度の関わりでしかなかった」と感じていたのかもしれません。そうした過去の積み重ねが、妻の中で「私が子どもを育てたんでしょ? 何を言っているの?」という気持ちに結びついてしまったのでしょう。

今日も人間の本質に迫る話題が飛び交う中、朝礼がスタートしました。


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こんにちは、プレスラボの池田園子(@sonokoikeda)です。昨年より、月1回「コウダプロ朝礼レポート」を担当させていただいています。

前回(2024年8月)の朝礼noteはこちらから。

「陰陽のバランスを保つことが大事」。皆が楽しく働ける組織のつくり方|福岡でコツコツまじめにやってる会社の平凡な日常
コウダプロで新たな社内制度がスタートするかも!?  朝礼冒頭で制度の案や背景を説明したのはコウダプロ社長の幸田さん。 (当事者としても、はたから見ても魅力的な制度ですが、ごめんなさい。まだここでは発表できません) 社内のコミュニケーションツールでも事前にさらっと発表されていたこのテーマを皮切りに、今日も朝礼がスタートしました。 *** ...
https://note.com/koudapro/n/nb5c96f333bc6


それでは朝礼レポートをお届けします。



「出産直前ZIMA事件」他、多くの事件を乗り越えてきた夫婦


先日のXの投稿を見て、昔の記憶が蘇ってきたと語る幸田さんは、第一子(息子)の出産から育児開始にかけてのエピソードをいくつか披露してくれました。

その中のひとつ、笑ってはいけないけれど思わず笑ってしまう、出産前の出来事をご紹介します。

出産のために入院したクリニックは、妊婦さんができるだけ快適に過ごせるようにと、とてもリラックスできる内装だったそうです。

「妻の様子を見に行ったとき、まるでリゾートに来た気分になっちゃって……ウキウキしながら、一旦病院を出て食事を買いに行ったんです。そしてその気分のまま、ZIMA(ジーマ)を買って病室に戻ったら、妻に『え?』ってキレられてしまって」

ZIMAのボトルの蓋は王冠タイプですが、病室には当然、栓抜きがありません。しかし、どうしてもZIMAを飲みたかった幸田さんは、妻の陣痛が始まりつつある中で声をかけながら、病室内を観察し、ZIMAの蓋を開ける方法を模索しました。

しばらくして「あっ、ベッドの脚だ!」とひらめき、パイプベッドの脚に王冠を押し当て、しゃがみこんでモゾモゾしながら何とか蓋を開けたそうです。

ポンッ。パキッ。その瞬間、妻の苛立ちが爆発。「くそ、開けやがった💢」という冷たい言葉が病室に響き渡ったといいます。

しかも、蓋を開けた際に勢い余って指を切り、血が出てしまった幸田さん。「これ以上キレられたくない」と思い、指の出血を隠しながら事態をやり過ごした——これが「出産直前ZIMA事件」の全貌です。

すみません。朝礼でこの話を聞きながら一度目、構成案を作りながら二度目、そして原稿を書きながら三度目ですが、何度も思わず笑ってしまいました。

幸田さんは、今振り返ればあのときは配慮が足りなかったと思うし、その後も夫婦間でいろいろな事件があったものの、今では妻と一緒にいてとても楽しく、円満な日々を送っていると笑顔で語っていました。

先の夫婦の事例と幸田さん夫妻が異なるのは、幸田さん夫妻が「我慢」せずにお互いの考えを正直に伝え合っていたからではないでしょうか。

関連記事↓

「炊き込みごはん事件の結末」から考える言語化の尊さと、コウダプロの時代が来たことについて|福岡でコツコツまじめにやってる会社の平凡な日常
「約24年抱えてきた問題が今朝解決しました」。こう切り出したのはコウダプロ社長の幸田さん。 24年も? 一体何!? と思いますよね。問題解決に至ったのは幸田家で起きた「炊き込みごはん事件」がきっかけだったそう。 今回、仕事の話じゃなくて、幸田さんのプライベート話? と思われる方もいるかもしれませんが、そうです。 ...
https://note.com/koudapro/n/na9acb7196736


これまで朝礼で聞いてきた幸田さん夫妻の数々のエピソードを振り返ると、そのように思わずにはいられません。山あり谷ありの中で、長年パートナーシップを構築してきた大人として、純粋に憧れます。


相手を想う愛と自己愛の違い


幸田さんはこうも語ります。「自分は(妻から)運良く許されたわけではなく、そこには何らかの作用やメカニズムがあると思う」と。

ここで考えたいのは「人間関係における正解とは何か?」というテーマです。幸田さんは東洋思想の観点から広義での「愛」を挙げました。

分かりやすい例を挙げると、街中で誰かが財布を落としていたら、「この人は後で困るだろうな」と思い、その財布を拾って渡す。この行動は広義での「愛」といえるでしょう。

私なりに例を挙げると、
・迷子になった子どもを見かけたら、保護して迷子センターや警察署など親に見つけてもらいやすい場所に連れて行く
・重い荷物を運ぶのに苦労している人がいたら手伝う
・道を聞かれたら、分かる範囲で案内する

これらも広義での人間愛から生まれる行動です。

見知らぬ他人であれ、知っている相手であれ、困っている人がいたら助けたい、役に立ちたいという気持ちこそが、人間に備わっている「愛」だと考えられます。

しかし、近しい人への愛、いわゆる狭義の愛には、執着や自己愛が絡みやすいという特徴があります。

幸田さんは、「これは相手への愛だ」と言いながらも、「実際のところ、それは自己愛に基づいていないか?」と問われると、抗弁できる人は少ないだろうと指摘します。

その例として、幸田さんは昔ビートたけしさんが発表したとある小説(絶版によりタイトルは不明)を紹介しました。

その作品では、すべてがデジタル化された現代にもかかわらず、あえて連絡先を交換せずに定期的に待ち合わせをするという、昭和以前のアナログな関係を楽しむふたりの男女が描かれています。

毎週決まった時間に喫茶店で会っていたふたり。しかしある日、女性が姿を見せなくなります。それ以降も彼女は現れません。

男性は「フラれたのか? 事故に遭ったのか? フラれるくらいなら事故であってほしい」と心情を吐露し、この発想が幸田さんには非常に印象深かったといいます。

確かに、フラれたり嫌われたり、興味を失われたことを認めると、自分が傷つきます。そのため、自分を守るために都合の良い解釈をする——これも人間の自己防衛本能なのかもしれません。

こうした話を聞いているだけで、読みたくなる小説です(幸田さんが挙げるエンタメ作品の多くは興味深く『坂の上の雲』や『日本統一』をはじめ、順次視聴してきました)。

ここまでお話を聞いて、私自身は「相手が幸せであり、機嫌よく過ごしてもらいたい」という気持ちこそが、広義での愛だと解釈しています。

また、意識的であれ無意識的であれ、誰かの不幸を願わない自分でありたい、とも思います。


正しいかどうかの二元論で考えるリスク


人間関係を語る上で、もうひとつ押さえておきたいことがあります。それは「正しいか否か」だけで物事を判断しすぎないということです。

正しい/正しくないという二元論に固執すると、物事の本質を見失うことがあります。歴史を振り返っても、「正しいこと」をしたはずが不幸な結果を招いた事例は数多く存在します。

幸田さんが示した例のひとつが、文化大革命(1966〜1976年)期に採用された治安維持方法「楓橋(ふうきょう)経験」です。

当時の中国共産党主席・毛沢東は、政府への反抗的な動きを未然に防ぐ目的でこの手法を利用しました。人々が互いに監視し合い、反対意見を持つ者を抑え込むことで、外部の力を借りずに治安を維持しようとしたのです。

この方法は、結果として密告文化を醸成し、家族間にも不信感を生じさせ、家族関係を破壊することすらありました。たとえば、子どもが「親が毛沢東を批判していた」と学校で話してしまった結果、親が処刑されるといった事例が頻繁に起こっていたのです。

多くの人は「自分こそが正しい」と信じて行動します。Xで炎上する投稿からも見えるように、互いがそれぞれの立場から延々と主張し続け、平行線をたどるやり取りが典型的な例でしょう。

幸田さんはこう語ります。「正義とは西洋思想の理屈の産物であり、すべてが理屈で片付けられるわけではない。良心に理屈は通用しない」。この言葉が強く印象に残りました。

機械と異なり、人間は心を持つ存在です。すべてをロジカルに処理することは不可能です。感性を無視せず、心の動きを大事に見つめながら生きていきたいと思います。


「自分より他人を信じる」心の柔らかさ


この日は「人を信じること」についても話題になりました。ここでの「信じる」とは、性善説に基づき「すべての人を信じよう」という意味ではありません。

むしろ、自分よりも「その分野に知識があったり、経験があったり、感覚を持っている他人」を信頼するという意味での「信じる」です。

たとえば、「この件については相手を信じてよい」と確信が持てるときは、その人を信じてよいのです。つまり、その場では自分よりも他人の方が信頼できる存在だということです。

具体例を挙げると、銀行から融資を受けたいけれど、自分に知識がない場合、融資に長けた銀行員の友人がいるとすれば、その友人を信じるのが適切です。融資における豊かな知見がある友人を信じることで、独断よりもよい判断ができるということです。

こうした状況で「自分よりも他人を信じることができる人」は、心に柔軟性がある素直な人だと幸田さんはいいます。

コウダプロの過去の朝礼でも「心の柔らかさ」や「素直さ」というキーワードが度々登場してきました。それだけ、こうした姿勢が重要だということです。

自分よりも他人を信じる行為も、広義での愛に含まれるのではないかと、私は解釈しました。


まとめ


本日もそろそろまとめに入ります。

人の悩みの9割は、突き詰めれば人間関係に起因するものです。だからこそ、人間そのものや心身、行動について興味を持ち、幅広く知ろうと努力し、学び続けることが大事です。

また、幸田さんがいう「心の根っこが温かい人」を自分も目指すとともに、そんな人たちと関わりながら生きていきたいと改めて感じました。

Text/池田園子






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